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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑥びわ湖一周の旅(滋賀県)

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■旅の2日目(6月9日)湖北(長浜市)→琵琶湖大橋
 熟睡から目覚めたのは6時前、ここはびわ湖、その湖岸を散策しない理由はない。
 デジカメを首から提げ、“朝の湖”を見ながら、湖畔のさざなみ街道の歩道を、先ずは北側の尾上(おのえ)岬あたりまで歩いて引き返すと、湖面を覆う朝靄を背景に、湖北特有の景観なのか、岸から少し離れた浮島に水中木が何本も見えてきた。その情景は一幅の絵を思わせるほど素晴らしいものだった。びわ湖の水位が上がっても、水中木は大丈夫なのだろうか。そんなことも思いながら、素晴らしい朝の時間を楽しむことができた。

 1時間弱の散策後、キャンピングカーの中で、撮ったばかりの写真を眺めながら、インスタントだがコーヒーで一息ついた。
 朝食は自宅から持ってきた小さなクロワッサンを3つと目玉焼き、そして昨夜の夕食と同じものだが、さつま揚げとウィンナーを電子レンジで温めた。その時、サブバッテリーの充電残量の表示ライトが赤色(電圧低下)になっていることに気付いた。

 自宅を出る前、サブバッテリーにAC電源を接続して満充電し、昨日の約250km走行による充電もできたはず、それに晴れた1日だったので、屋根の太陽光パネルからの充電量もあり、サブバッテリーの充電容量は十分だと思っていた。
 昨夜はビデオを見て、電子レンジは朝までに2回使って、冷蔵庫に水道、それに電灯も使ったが、それでサブバッテリーの充電容量がかなり少なくなってしまったとは・・・、電気製品をどのくらい使用できるのか、それを定量的に分からないことが不安だった。
 キャンピングカーを購入した際に、サブバッテリーは新品に交換されているのだが、朝食後、充電残量の表示ライトが赤色になっていて、もう充電容量が少なくなっているとは、昨夜と今朝の消費量が限界なのか? 不安になった。

 食後のコーヒーを飲みながら、サブバッテリーの充電容量と家電製品別の消費電力値をしっかりと把握すれば、簡単な引き算で、充電残量を知ることができるのではと、そんなことを思いながら、一方で、サブバッテリーの充電残量の測定は、その電圧降下が代用特性になるならば、電圧計を取り付けてはどうかと思い付いた。後日、具体的にやってみることにした。

 ネットで、今日の天気を「雨雲レーダー」で確認したところ、今日も雨雲は見当たらない。昨日から始めた「朝のルーティーン」の2回目だ。

 余呉湖までのルートをマップで見ていた時、ダイネットの窓から見えたのは、道の駅まで走ってきて小休止中の“おじさんサイクリスト”だった。少し興味が湧いたので、彼に話し掛けてみた。
 彼は、クルマにロードバイクを載せて長浜まで来て、そこからびわ湖一周の200kmサイクリングの「ビワイチ」を始めたとのことだった。ビワイチは湖畔に近い側を走るので、左回りが基本だと知った。会話の後、彼は北に向け出発した。
 その直後、私も道の駅を後にして、余呉湖に向かうために北上したところ、かなり先で彼を追い越した。ビワイチサイクリストの凄さに驚いた。

 北国街道(R365)をわずかばかり北上し、左折して県道に入り、その先のJR北陸本線の余呉駅に立ち寄った。そこで入手した観光パンフレットによれば、余呉湖は周囲6kmの小さな湖、三方は山に囲まれ北側は開いており、そこを県道やJRが走っている。湖面が穏やかなことから「鏡湖」とも呼ばれるとのこと。
 駅員に尋ねたところ、クルマで一周できるとのことで、余呉湖観光館の横を抜け、一周を始めた。

 静寂な雰囲気の中、湖周道路をゆっくりと走り始めると、湖畔近くに1台のキャンピングカーを見付けた。この場所を知っていたら、昨日はここで、車中泊したのだろう、静かで良い場所のようだ。
 湖畔の道を走りながら、木々の間から見える静かな湖面が印象的だった。
 半周した頃、あの「七本槍(しちほんやり)」の賤ケ岳(しずがたけ)登山口があった。そのあたりから先は、対向車とのすれ違いができない道幅になり、湖面を見る余裕はなくなった。出口の見えないカーブの先ばかりを見ながら、クルマが来ないことを祈りながらの前進になった。
 加えて、道路側にたわんでいる木の枝がキャンピングカーの側面を擦りそうになると、歩くほどの速度に落としながらゆっくりと進んだ。やがて集落に入ったものの、宅配便のトラックより幅があるキャンピングカーのため、今度は、道路脇の家屋の軒先に気を付けながらの運転になった。
 このような周回道路は、50ccのバイクでゆっくりと、湖面や周囲を見ながら走るのが良いのだろう。キャンピングカーにキャリアを装着して、バイクを載せられるようにすれば、旅の幅が広がるはずだ。

 湖の北側の公園で、無事に一周できたことを安堵しながらの小休止を取った。そこからは湖越しに賤ケ岳が見えた。約3万年前に古いびわ湖から分かれたとされる余呉湖だが、そのダイナミックな大自然の造形は想像の域を超えていた。

 公園から少し離れた「余呉湖観光館」に入ってみた。余呉湖の四季の写真展が開催されており、1年分の景観や集落の人たちの暮らしを垣間見ることができた。

 余呉駅で入手した観光パンフレットの中に、賤ケ岳のリフトが紹介されていた。頂上からの景色が良さそうなので、賤ケ岳南麓のリフト乗り場に向かった。
 リフトに乗っている時に脱げてはたいへんだと思い、サンダルからシューズに履き替え、リフトに乗った。僅か6分だが、一気に高度を稼ぐ。リフトを下りてから少し登った所が山頂だ。
 山頂から見える南側の足下にはびわ湖の北岸、遠くは伊吹山と長浜方面、北側には、先ほど一周回った余呉湖などの大パノラマが広がっていた。「山頂付近の木々が伐採されたため、以前よりは見晴らしが良くなった」と説明してくれた方がいた。サンクス。

 戦国時代、ここは、「本能寺の変」後の主導権争いで、羽柴秀吉と柴田勝家が争った「賤ヶ岳の戦い」の古戦場で、秀吉方で功名をあげた7人は後世、「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれた。彼らの手柄もあり、この合戦で、織田勢力は二分したが、これに勝利した秀吉は亡き織田信長が築き上げた権力と体制を継承し、天下人への第一歩が開かれた。
 賤ケ岳の頂上やそこから見える風景の中に、甲冑(かっちゅう)を着た兵(つわもの)の姿を想像しようとしたが、かなり無理があり、平和な今に感謝する次第だ。

 上りのリフトからは、伐採された左右の木々の間から次第に近くなる山頂駅のみが見えたが、この下りのリフトからは、旧戦場を背にしているせいか、正面に広がる長浜市北部の田園風景の静けさが感じられた。リフトを下りてからは、戻ったキャンピングカーの中で湯を沸かし、粉末のコンソメを入れたカップに湯を注ぎ、コンソメスープを作った。少し運動したあとのコンソメスープは体に染みるようで、美味しかった。