八人の住人
78話 カウンセリングルームにて・7
おはようございます、五樹です。昨日はカウンセリングでした。
いつもの通りに近隣で食事をしてからカウンセリングに向かうのですが、レストランで時子は眠ってしまい、僕に交代したまま、カウンセリングルームに入りました。
僕と夫君は並んで椅子に掛け、正面でカウンセラーは控えめな微笑みをこちらに向けていました。
昨日は、僕、桔梗、時子の順に、カウンセラーと話をしました。
僕は、時子が苦しむ原因について思い当たる事を喋り、今までの時子がどんな目に遭ってきたかを、少し喋りました。その内に眠くなり、時子になるかと思ったら、目覚めたのは桔梗でした。
桔梗は、カウンセラーという存在を信用しない人格です。彼女が、「時子の苦しみを死において終わらせる」為に生まれた人格だからです。
ぷいと横を向いて、桔梗はじっと黙っていました。でも、カウンセラーに名前を聞かれ、「桔梗です」と返事はしました。その後二言三言喋ってから、唐突に桔梗はこう言います。
「この子は、いつも上の空なの。誰の言葉も聴けない。その事には、本人は気づけない。ずっとそうだったから」
それは恐らく、現実逃避を夢見てついに得てしまった、“解離”の事でしょう。
なんだか現実感が無いとか、自分がここに居ない気がするとか、そういった感覚も“解離”と言います。時子はいつもその状態です。
カウンセラーは真摯に桔梗の言葉を受け止めて、「それを分かっているというのはすごいと思います」と言いました。その後、時子が目覚めます。
目を開ける前から、“どうやら目が覚めたらしい”と分かった時から、時子は深い絶望に囚われていました。
カウンセリング前日に、時子はフラッシュバックの嵐に苦しみ、リストカットをしてしまった。
母親から受けた苦痛。亡くした友人。全ての悲しみを思い出し、まるで今それが目の前で起こっているように、苦しめられていました。
だからか、その日のカウンセリングでは、時子は泣く事から始めました。
じわじわと涙を目に溜め、時子は少し俯き加減のままでした。でも、カウンセラーの目を見て、彼女はこう言いました。
「先生…私、目覚めていたくないんです…もう眠っていたいんです」
カウンセラーは心を痛めているように胸に手を当て、悲しげに顔を顰めます。
「そうですね…辛いですよね」
「ええ。辛いです…何も起きていないのに…」
その後、嫌々ながらも話をしていたようですが、カウンセラーがこう言った時、時子はもう一度本音を話せました。
「ほとんどが辛い時でも、残り少しの楽しい時の事を、辛い時にも思い出せると、気持ちが上がりますよ」
時子はすぐさまこう答えます。
「そうですね。でもなんだか、私は不幸な方がいいんです」
カウンセラーはその言葉には明確な返事をしませんでしたが、これからの課題として強く意識したと思います。
帰宅するまでの間は僕が目覚めていて、家に着いて入浴と腕の手当をしたのも僕でした。
カウンセリングルームまでの長距離移動と外出を頑張ったご褒美にと夫君が買ってくれたドーナツをテーブルに並べた時には目覚めてくれて、嬉しそうにしていましたが、その後すぐ、眠ってしまいました。
今朝も時子は、コーヒーを2杯飲み、その高揚感を楽しんだら、さっさと僕に交代してしまいました。
“楽しめる時以外は全て眠ってしまおう。その他の時はすべて五樹さんに任せてしまえばいい”
必要だからそうなったのには違いありませんが、時子には今、「生きずに済む手段」があります。
彼女に向かって「辛いのは分かる」と言った後に、「でも戦おうよ」と、僕は言えません。それに、“目覚めないでいよう”と願うのも、一時的なものでしょう。
今後もぼちぼちやっていきます。お読み頂いた方、有難うございました。また来て下さると嬉しいです。それでは、また。