八人の住人
72話 巡り合わせ
こんばんは、皆様。時子です。現在は統合がされています。
今日の私は、気圧の急な変化から、体調不良に陥っていました。
まだ統合もされていなかった頃には、気圧が下がって来て具合が悪くなると、「五樹」が出てきていたものです。
現在は、気圧変化を始めとして、疲労や緊張での体調不良などでも、人格の統合がほどけてしまうらしいですね。
「弱々しい時子」には、統合された私の記憶は全くありません。彼女はやはり、たった一人で生きています。私にはそう見えます。
今日の「弱々しい時子」は、私がインターネットで買い物をした記録を、メールボックスで見つけて驚いていました。
それから、食事をした後片付けをしていない様子を見ては、誰が食事をしたのか分からないと考え込み、どうやら彼女は、統合された私の事を、「新しく生まれた人格」と勘違いしているようです。それは無理もないかもしれません。
私が「新しく生まれた人格」であろうと、「統合されて全人格を包括した時子」であろうと、その記憶は彼女にはありません。
「弱々しい主人格」として生きる彼女にとっては、全てが“自分の知らない間に別の自分が行った事”にしか見えないのです。記憶が無いのですから。
話がややこしくなりましたが、そんな訳で、統合が解けてしまうと、「弱々しい時子」は、統合していた間、自分がどうなっていたのかは分からないという事です。
私は現在、就職もしていませんし、責任を持って行っている事もありません。だから、障害として生じるのは、“記憶が無い事への不安”位で済んでいるのです。
これがもし就職していて、それなりの人付き合いがある人だったら、とても大変でしょう。
別人格が職場で勝手気ままな振る舞いをしてしまったり、友人や知人から、「この間の様子は一体どうしたんだ?普段とずいぶん違ったぞ」と詰問されたり。家族からだって同じです。
幸いにも、私の夫は、私が繰り返し過去の痛みについて話す事に気づき、インターネットで理由を調べてくれるような人でした。
その夫の調べがあって初めて、「これはもしかしたらPTSDという病気なのではないか」と、話が一歩進んだのです。
その後程なくして多重人格障害が発覚し、2年程カウンセリングに通って、現在では、統合している時間の方が長くなりました。
運良く助かった、という場面が、私は多かったと思います。
“父親が運良くとても胆力があって優しい人で、母親に逆らって自分を守ってくれた”
“運良く祖母も優しい人で、実の娘である母と喧嘩をしてまで私を守ってくれた”
“連れ添った夫が、運良く父親程も強い人だったから、今でも支えてもらっている”
“運の良い事に、今でもずっと相談に乗ってくれる、優しい叔母が居る”
数え上げればキリがありません。不可思議に思えてくる程、私は巡り合わせに救われて来ました。
何もそれで“恩を返さねば”と息巻く程の必要が無くても、“これからは自分をもう少し面倒見てやらないとな”とは思います。
特に夫には苦労を掛けているので、彼の意に沿う生活の実現が果たされればと感じています。
今日はこんなところでしょうか。お読み下さいまして有難うございました。それでは、また。