八人の住人
68話 統合と解体
こんばんは、時子です。皆様お久しぶりですね。
私は今、八度目の統合の直後にこれを書いています。部屋は暖かくして、お供の珈琲もあります。
前回「統合をした」と書いた時には、「六度目」と言ったと思います。今回は、短期間に起こった七度目と八度目の話をしましょう。
数日前の私は、まだ統合されていませんでした。それは、「悠」が夫にからかわれていた日です。
いつものように五樹と頻繁に交代をしていたから、その日の内に、「悠」についての説明も聞けました。なので、私は夫に文句を言ったのです。
統合をしていなくて、悠の記憶がない私でも、この小説を読んでいれば、「悠」はからかうべきではない人格だというのは解ります。
でも翌朝になって目が覚めた時、私は、自分が誰なのか、今、人格間の主体は誰が持っているのか、分かりませんでした。
“混じり始めてる、統合かもしれない。今は誰だ?”
そう感じていた私は、訳もなく気が急いていました。
私は“人格が混じる”と言ったりしますが、それがどのような物か、なるべく噛み砕いて説明します。
あくまで私の場合の体感に沿った説明であり、多重人格障害を持っている方全てに当てはまる訳ではないです。ないと思います。
まずここに、6人の自我が、別々にあります。
そして、その時に目が覚めている人格が、ボールを持つかのように、“意識”を得ています。これが通常の状態のイメージに近いです。
その他の5人は眠っていて、意識はありません。
でも、「混じる」時には、全員に“意識”があります。
全員が目覚めていて、その間をぽんぽんとボールがパスされていくように、頻繁に意識に上る人格が変わっていきます。その後で、“混じる”のです。
それは、一人称が「僕」でも「私」でも、「俺」でも当てはまる感覚です。自分が誰なのか解らず、しばらくあたふたしていると、「統合するのだ」と、理由もなく理解するのです。
そうして一昨日、私は七度目の統合をしました。でもそれは上手くいかず、また一日しかもたなかったのです。
私は、統合して生活していた間の記憶も、失っていました。多分、交代人格と一体にならなければ維持出来ない記憶なのでしょう。
それでは、今朝行われた、八度目の統合について話します。
目覚めた時には、私はまだ「弱々しい主人格の時子」でした。起きた途端に世界に絶望して、「また何も無い人生が始まった」と思うのも、いつもと同じでした。
でも、今回の統合は速かった。起きてしばらくすると、突然に、でもやんわりと、自分が誰なのか分からない感覚が襲って来たのです。
試しに目を閉じてみると、“彼等”はもう手を繋いで輪を作り、私を待っていました。
私は、統合する時にしか、彼等の姿を目視出来ません。
頼りない幼子の姿ではにかむ、「悠」。
こちらを厳しい目で見つめている、黒く長い髪の、「桔梗」。
髪を茶色に染めて学ランを着た、「彰」。
それから、私が亡くした友人と瓜二つだけど、友人のようには笑わない、「五樹」。
言葉もなく、でも全てを知っているかのようにこちらを覗き込む「羽根猫」。
どうやら、私以外の人格は、もう5人しか居ないようでした。
一瞬間の内に私はちらと彼等を見渡し、また目を開けた時には、「全人格を包容した時子」になっていました。
“ずいぶん速くなったなぁ”と、そう思うだけで、私は日常に戻りました。
「弱々しい主人格の時子」だった時に恐れていた物や、その恐れを解消すべく努力していた事などは、今の私には重要ではありません。
ところで、統合をした私は、「無敵」と言われます。割り切りがはっきりとしていて、意志が強い人間に見えるようです。
実際の所、今の私を形容するのならば、「自分の為にならない努力はせず、全く他人の為に生きる事もない」という感じでしょうか。
今後、もしかしたら統合と解体を頻繁に繰り返す事になるかもしれません。なるべく波が激しい書き方にならないように気を付けます。お読み下さり有難うございました。それではまた。