八人の住人
26話 交代は疲れる
こんばんは、五樹です。少し思い出した事があるので、書き留めておきますね。
今朝方、時子が夫を送り出す前、彼女はテーブルに肘をつき、こう言っていました。
「あなたが仕事に行っちゃうと、私は当然一人になるけど、なんだか、最近はそれが辛くて仕方ないの…前は平気だったのに…」
時子がそう言ってすぐ、彼女は「眠い」と訴えました。夫君は家事をしに戻るため、キッチンへ。
それから目覚めたのは、悠です。
「おじさん?今日も会社?」
夫君はちょっとの間を開けて、今が誰なのか、分かった様でした。
「そうだよ。お仕事に行かなきゃね」
「そっかあ…」
悠はがっくりと俯いて、泣きそうな声を出します。それから、夫君が何も言わないでいる間、悠は自分の周りの景色を“思い出して”いました。
池袋にある、2LDKのマンション。7階に部屋があって、そこに両親は居ない。コンビニで自分で買ってきた「かにぱん」を、7歳の自分が一人きりで食べる。
悠が知っているのは、時子が過去に体験した、その寂しい風景一つです。
悠はいつもの様に、同じ台詞を繰り返しました。
「おうちに一人は、よくないよ」
そう言い残して、悠はすぐに眠りました。
目が覚めた時子は、強い疲労を感じていました。テーブルにうつ伏せた状態から起き上がるのが辛いくらいに。
彼女は重い首でなんとか周りを見渡し、まだ夫が居る事、時計の時刻はさほど進んでいない事を知りました。
それから、悠が出てきた事、悠も「一人で居たくない」と訴えたと、聞かされました。
「そうなんだ…それにしても、なんでだろ、交代した後って、五樹さんでも悠さんでも、なんだかとても疲れていて…動けなくなってる…」
僕は、時子が交代後に疲れてしまう理由が、なんとなく分かります。
僕達は、時子の記憶の内、「悲惨な過去の記憶」です。
「悠」は、時子が7歳の頃に、一人ぼっちで食事をしていた情景を思い返していた。そんな時間は辛いだけでしょう。でも、悠にはそれ以外の記憶は無いのです。
そんな記憶を思い返していたら、ぐったりと疲れても、おかしくないです。皆さんも、辛い事を思い出した後には体も疲れていた、という経験はおありでしょう。
他の人格に話を移しても、それは同じです。
「桔梗」は、“死こそが救いなんだ”と駆られる気持ちは諦めてくれましたが、14歳の頃の時子がまだ強く意識していた、母親からの躾。それを守ろうと厳しい努力をしているように見えます。それも、とても辛い時間です。
「彰」は、16歳の頃、母から逃れても続く病魔の中に居る、時子の記憶。
“虐待から救われなかったから、病気に罹って、もう立ち直れそうにない。なぜそうなるまで誰も手を出さなかったんだ!”
彰の思考回路は、これ以外にはありません。
こんな事ばかり考え続けていたら、後に疲労してしまうのは当たり前です。
時子が封印していた記憶は、“周囲が安全だ”と感じ始めた時子によって、「表に出て良し」と太鼓判を押された。
でも、その副作用として疲労してしまうのは、仕方ないと思います。
さて、僕はこれから、洗濯物を畳まなければいけません。今日もお読み頂き、有難うございます。少し長くなってしまい、すみませんでした。それでは、また。