八人の住人
12話 なんと言っていいのか
あの、お久しぶりです。時子です。
この度五樹さんから、Twitterで「「八人の住人」に1話書き足しておいてよ」と言われ、「感想でいいからさ」と言い添えられたもので…。
本当にただの感想しか書けないと思うので、物語風ではなく、どちらかと言うと話し言葉に近い形で、思うままに書いてみます。
はっきりと言うと、初めに「八人の住人」のタイトルを見つけて第1話を読んだ時は、どうしてまた書き始めたのか分かりませんでした。いえ、今でも分からないのですが。
「六人の住人」で、だいぶ格好付けて終わったのに、また同じ話を書き始めるなんて、ちょっと恥ずかしいじゃないですか!(笑)
でも、仕方ないですね。私は、「六人の住人」の最終話を書いた時と同じ「時子」ではありません。
私の中にはまた不安と恐怖が満ち満ちて、もちろん五樹さんとしての記憶はなく、他の人格の人達の物もです。
全てが元通りに、辛く苦しい毎日が敷かれている。そこから逃れられはしない。死ぬまでは。そんな気持ちで、また生きています。
今朝方、Twitterで「みんなが私が早く変わる事を期待して、「もっと楽にして」などと責めてくる」というような事を言ったら、その後目を覚ましたらしい五樹さんから、返事がありました。
「全てが昔とは全く反対になってしまいましたからね。でも僕達は君が困っている事を知っているし、理由の理解も出来ますから、君が信じられるまで、二十年でも、三十年でも、待ちますよ。」
昔とは全く反対にとは、多分私の生育環境が悲惨で、今は幸福な家庭を持っているという事でしょう。
それにしても、三十年は少し長すぎやしないか、と思うんですが。
この「八人の住人」を五樹さんが書き始めた頃から、実は私は全話を読んでいます。
毎日のように更新されているので、毎日驚きますし、別人格の挙動が形に残っている事に混乱したりします。
それにしても、五樹さんという人は、冷徹でシンプルな人だな、と思いました。
「八人の住人」を読んでいて思うのは、「これ以上何かを削れば内容が伝わらなくなる」という事です。それに、やっぱり物の考え方が私とは全然違います。だから、「え?こんな人が私の一部だって言うの?」と、やっぱり驚くのです。