八人の住人
116話 氷山の中身
こんにちは、五樹です。先程は彰が失礼を致しました。
病院も食事も終わり、時子と夫は帰路に就いています。僕はその間に、時子の体を預かっています。
第1回の診察は、解離がなぜ起こるのか、カウンセリングをする理由、その方法などの説明だけで終わりました。
解離は、ごく幼児期に一度目が起こる物という認識で良さそうです。
どうやら幼児期に耐えられない経験に晒され、処理する能力に欠ける子供の事ですから上手く対処し切れず、そのまんま、感情や感覚と共に、記憶に蓋をしてしまうという事が起こるそうです。
医師の取った例では、「雪の降る寒い頃に弟が生まれた後、母親が自分に構ってくれなくなった4歳の花子さん」が出されていました。
花子さんは母親に構われなくなった。大人なら「まあそういうものよ」と片付けられるが、子供にとっては、親の愛情が自分に注がれるか否かは死活問題。
とにもかくにも「これからはお姉ちゃんとして頑張っていこう」と花子さんは感情に蓋をしたものの、雪の降る寒い日、雪に似た白い物などを見る度、弟が生まれた日に立ち返ってしまう。
雪の日には彼女は気持ちが塞ぎ、孤独だった子供の頃を思い出し、泣いたり取り乱したりする。そういう時、それを取り払う事が自力では出来ない。どう思い直したり、決意しても、彼女の心は変わらなかった。いつまでも、昨日弟が生まれたように思ったまま、進めない。
ここまでがPTSDです。解離性同一性障害は、それをもう一歩踏み込みます。
多くの場合、人格として自我を生じた、例えば「花子さんの弟が生まれた日」は、その記憶をそのまま包み込み、本人からは見えないように記憶を隠してしまいます。僕達にはこれは起こりませんでしたが。
幼児期に作られる「人格」は、大抵周囲に秘匿され、本人も気付かないそうです。安全な環境へ移らない限り、周りに弱みは見せられないからです。
そうして花子さんは、弟が生まれた後、成長してから恋人に死に別れ、職を失うとしましょう。あくまで例です。
彼女が得た幾つもの挫折は、過去の経験から、心の中へいくつもしまいこまれてしまう。まるで癖になったように。幼児期には、「とても対処出来ない事への対処法」として有効だったからです。多重人格者が、2人3人では済まず、大勢の人格を持つのは、この為でしょう。
花子さんは、人生の重要時の記憶がすっぽり抜け落ちていて、思い出す事が出来なくなる。
そして彼女が平穏な環境に移ってからというもの、気が付かない間に、知らない間に知らない場所に居たり、身に覚えのない持ち物が増えていたりと、不審な事が増えていく。彼女は日常に、自分自身に疑惑を持つ。
彼女の失くした記憶。それはどうやら、別の人格が持っているらしいと、書き置きなどから花子さんは知った。
その後、人格間でのコミュニケーションとして、幻聴や、脳内会議などを経て、別人格が行った事、言った事も、花子さんは記憶を得る事が出来るようになる。段々境目が曖昧になってきます。障壁が下がって来るのです。
人が普段利用している記憶は、氷山の一角に過ぎず、思い出すにしても浅い場所からすぐに取り出せる。しかし、蓋をした記憶は海中深く深くにある。
閉じた記憶に頭の中を占領されたり、自分と意見の違う人格を内包したりすると、物を決断する事も充分に出来なくなってしまう。脳の作業領域が制限される。様々な要求を持った人達が常に綱引きをしているかのような状態でもある。
「ですから、人格は一つに統合する必要があるんです」と、医師は訴えました。
解離性同一性障害の、医師からの説明はこんな所です。残りは、時子の話をしましょう。
今日の診察は、問診票を書く前から起きていた時子が受けていましたが、医師が人格の統合を訴え始めてから眠たがるようになり、やがて診察中に、僕、五樹に交代しました。
「この子は統合を望んでいないんです。統合すれば、自分を支える者達が居なくなるんだと思い込んでいる」
僕がそう言うと、医師は鷹揚に頷き、事を飲み込んでからこう言います。
「鎧を着たり、剣を構えるよりは、肉体を強くする方が、良いと思いますがね」
「全くそうです。僕達は元から居たんですから」
「そうですか」
僕はその時、「元から居た」という自分の台詞がどこから出てきたのかは理解出来ませんでしたが、元々何も無い所から人格なんか生まれる筈がありません。僕達はいつまでも在るのです。今度は彼女に統合されて、一人の人間として。
そうする事に、時子が承諾をしてくれればいいのですが。本人の意志無しには統合は不可能だと、医師は言っていました。
今回は話が長くなってしまい、すみません。もう少し上手く整理が出来れば良いのですが。
ちらほらと雪も降り始めている最中です。皆々様、体を温め、食事をきちんとするのはお忘れにならないで下さい。それでは、また。