八人の住人
102話 時子の笑顔
おはようございます、五樹です。
前回、転院などの大きな話を出したと思いますが、今回はまた日常に立ち戻ってみましょう。
時子はこの間、「別人格さん達と話をする時に、“どうして自分がこんな事しなくちゃいけないのか”って疑問から目を逸らすのが、やっと出来るようになってきた」と言っていました。彼女にとっては、僕達の存在はまだ異常事態なのです。
ただ、彼女の生活そのものは正常なのかという問いには、僕は首肯出来ません。
インターネット上で調べると分かりますが、「簡易抑うつ症状尺度」という物があります。シンプルな問いに答えて、どの位うつ状態が重いのかを計測する物です。それは、27点満点となっており、時子は以前、満点の27点を叩き出した事があります。
現在は20点〜23点ですが、時子が「きわめて重いうつ状態」である事にさほど変わりはありません。彼女は時折死して逃げる事を夢見て、日常に酷い苦痛と、強い悲しみを感じています。
時子は、毎日頑張って家事をします。
米を研いで水に浸し、時間が経ったら水を切って、もう一度水を計り、炊飯器にセットする。
洗濯をして、乾燥機に放り込んで、乾燥が終わったらそれを畳む。
テーブルやガスコンロを生活空間用の洗剤で拭き上げる。
テーブルに置いてある水差しに熱湯を注いで火にかけ消毒したら、その時使った湯を魚焼きグリルに開けて油汚れを落とす。
時折気力のある時には、床を箒で掃き、モップで水拭きをして、汚れの酷い所は水布巾で手磨きをする。
トイレ掃除は汚れ過ぎない内に忘れずに。
それから彼女は、趣味の小説で、現在連載をしています。
小説に向かい合う時には、水を飲む事も、Twitterをする事も忘れ、LINEが来ても反応せずに、一心不乱に書いている。3日に一度は更新をする。
考えてみて下さい。これが、「きわめて重いうつ状態」と評される人物の生活なのです。おかしくはないでしょうか?無理の掛からない物と言えるのでしょうか?
僕は知っています。彼女は、無理をするしか何かをやり遂げる方法が無く、楽をするには何もかもを投げ捨てる必要があると。ただ、本気で療養をするというのは、思っているよりも難しい事です。
人には、本人が望む生活があります。しかし、長期間それが得られないと決まってしまい、完全なる回復への道がいつまで経っても見えなかったら、どうでしょう?自棄になって、ちょっとはやりたいようにしたいと、無理をしてしまう事もあるのではないでしょうか?時子は、その一番極端な形です。
彼女は幼い頃、自分の疲労が一瞬も拭えない毎日を過ごしていました。双極性障害を発症し、極めて辛い、酷いうつ状態に陥った頃です。その頃は何度も自殺を図りましたし、常に「死にたい」と口にしていました。それに対し母親は、「好きにすれば」と言いました。
疲労は止まない。終わりが見えない。無理をしなきゃ何も出来ない。
「だったら、ずっと無理を続ければいいのね」
まるで無駄話の延長のように、時子は心の中で独りごちて、決めてしまったのです。でも、僕が今日話したいのは、そんな話ではありません。「ここまでの辛さを積み上げたら、他の物はもう結構だ」と言いたい程辛い時子の、もっと大きな辛さです。
時子が孤独の殻に閉じこもる事で平穏を得ているという話は、もう何度もしました。それは今も変わっていません。その上彼女が、もう一つ自分に課している事があります。それは、「いつも笑っている事」。
正直に言うと、一生笑わなくてもいいから、もうやめて欲しいです。動機を話せば分かって頂けるでしょう。
時子は、「周りから愛されたい」、「周囲に受け入れられたい」という、幼子の頃に叶えられて当然だった欲求が、満たされなかった子供です。だから彼女は、強迫的なまでに、「愛されやすい人物」を演じているのです。だから笑うのです。
僕はいつも、心の内側から彼女の振る舞いを見詰めています。
時子が、本当は楽しくなどないのに笑い、悲しみに責められ続けているのにそれを封じ、虚しい心の内を黙って夫に向かって冗談を言っているのを、見詰めています。これ以上の苦痛はありません。一人の女性が心を殺すのを、ずっとずっと見させられ続けているのです。
ですが、時子が笑うのは、「こうしていなければ愛されない」という思い込みが生む、本能的な危機感からです。彼女は自分を守ろうとしているのです。そういった行動を、人間がすぐに直せる筈はありません。彼女の目的は、彼女から見れば実現されてしまっているのですから。
僕にとっても辛いですが、もちろん、一番辛いのは時子本人です。しばらくはこの状態でしょうが、僕は、彼女が少しでも安らぎを得られるように、行動したいと思います。それが時子にとって安らぎになり得るのか、という話は別にして。
いつも見守って下さる皆さんには、感謝しております。今回は暗い話になってしまいましたが、また気が向いたら、覗きに来てやって下さい。それでは、また。