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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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八人の住人

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90話 カウンセリングルームにて・10






こんばんは、五樹です。今回は、カウンセリングの話が中心です。


先週金曜のカウンセリングでは、始めの30分、僕が表に出ていて、時子の生活に続いている様々な苦痛について話をしていました。

「時子は、なるたけ努力をしようとします。それがまるで無駄な程、自分に力が足りない時であっても、僅かな結果の為にやってしまうんです」

「無理をしてしまう…?」

「そうです」

そんなような事を、30分間、話し続けました。

もちろん、カウンセラーというのは解決者ではありませんから、明確なアドバイスなどはありませんでした。でも僕は、知っている限りの、時子が問題にしてくれない彼女の苦痛を訴えました。

その後、僕が眠気を感じ、時子が目が覚めます。

「あ、え…」時子は目眩のような眠気から自分を起こしに、そんな声を上げます。

ちょっと戸惑ってから、時子は夫君とカウンセラーと目を合わせ、二人が遠慮がちに微笑んでいるのを見ると、「おはよう!諸君!」と、おどけていました。


いつも通りに自由連想的に会話をし、カウンセラーは時子をリラックスさせられるよう、時子の意見を聞いて、部屋の戸をすべて閉めてくれました。

ふっと他愛のない会話が途切れた時、カウンセラーは時子にこう聞きます。

「頼りにしている人などは、居ますか?」

そこで時子は「ええ、夫を」とは言いませんでした。素直にそう言える程、夫君に頼る自分を肯定出来ないのでしょう。身近な人間に頼る事を否定され続けた記憶は、今も彼女を苦しめています。

「えっと…実際に頼るのは難しいですが、阿弥陀如来様と、弥勒菩薩様を…」

時子は、ずっと昔に母から聞いた、仏教の伝承が好きでした。例えば、「お地蔵様の足元にやった水だけは、餓鬼道に落ちた人も飲める」だとか。

弥勒菩薩はその内に(ずいぶん間があるらしいですが)衆生を救う存在、阿弥陀如来は地獄にて救われない人々に説法をして回っている存在、らしいです。

時子は、心優しいまま、苦しんできました。そのような人は、得てして“この世そのものが救われていない”と思いがちです。

カウンセラーはいくつか頷いて、こう言いました。

「では、どちらか、ここに呼びましょう」

そう言われて時子は慌てふためき、「無理ですよ!」などと言ってみましたが、結局、「想像の中でだから」と、カウンセリングルームの「上座に」弥勒菩薩が招かれる事になりました。

「どうですか?弥勒菩薩様、何かおっしゃってますか?」

カウンセラーがそう聞いた時、時子は想像上の弥勒菩薩から諭されたような気持ちを素直に受け取り、強く感じ入っていました。

“努力を怠ったからこうなったのではない。でも、いつでも必ず、出来る努力がある”

時子はそのままそれを口に出し、カウンセラーに伝えます。

「そうですか…」

カウンセラーは特に何も言わず、しばらく目を伏せていました。

その時にカウンセリングルームで行われていたのは、恐らく、「頼りにしている人に一番言われたい言葉」を探す事だったのでしょう。そう考えると、この言葉は腑に落ちません。労いの台詞よりも、努力を求められるのを望む人間は、そう多くありませんから。

時子は、努力を求められる事を苦痛に感じません。母親との生活では、どんなに努力しても否定されたので、全力投球は当たり前なのです。

でも、これはもしかしたら、想定した相手が神仏だったためかもしれません。高次元の者からは、労われるよりは、激励されるのを皆思い浮かべますからね。

その日のカウンセリングで取り上げられる話としては、その位でした。大半は僕が喋っていたので。


時子は、今更何の為に、努力をするのでしょうか。自分を許す為でしょうか。もう居ない母親の、過去の言葉や態度を頼りにして?

彼女がいつか今の周囲の事を理解して、緩やかな日々を送れる事を、僕は願っています。


ここまでお読み頂き有難うございます。また、読んで頂けると嬉しいです。それでは、また。




作品名:八人の住人 作家名:桐生甘太郎