八人の住人
87話 カウンセリングルームにて・9
こんにちは、五樹です。昨日は、カウンセリングに行きました。
カウンセリングルームに着く前。午前の9時から時子は出掛けたがって夫君に「早く行こうよ」とねだりました。
運悪く、行こうとしていた店舗が2つも臨時休業で、仕方なく入った道の駅にて夫君は食事をし、時子は売店を覗いていました。
彼女は、売店でこっそり甘い物を買い、ベンチで食べました。
結局、車に戻って夫君と駐車場を出た瞬間に、「でも、甘い物食べたからちょっと元気出たなあ」と口にしてしまい、勝手に食べたのは知れてしまったんですけどね。
さて、本題のカウンセリングですが、その前に色々な場所を回っていた時子は、くたびれてしまって、僕、“五樹”に交代していました。
カウンセラーはその日も遠慮がちな佇まいで繊細そうな目を僕に向け、少し僕に慣れた気軽な様子で話し掛けてくれました。
しばらくは、僕とカウンセラー、夫君で話をしていました。
「別人格が、全体として現れやすくなっています。彰も含めて」
僕がそう言うと、カウンセラーは驚きます。
「彰君もですか?」
「はい。でも、彼は怒りそのものなので、自分を抑えるため、目眩まで起こしています。耐えてくれているようです」
「暴れたりは、しないんですね」
怒りの人格が暴れないというのは、むしろ珍しい事です。
「おそらく、僕達は、時子が許していない事は行えません。だから彰も暴れられないんでしょう。一度、夫君に物を投げつけた事はありますが」
すると、隣から夫君がこう言いました。
「怒って物を投げるなんて、たまにはある事だよ。俺はそんなに変だとは思わないけど」
僕はその時その瞬間に、苦々しい時子の過去を思い出してしまい、夫君に向かってこう言いました。
母親が、実母である祖母に向かって、食器を投げつける、幼い日に時子が見た光景。
「ああ、そういう奴居るな。この子の母親とか。僕はそういう事をする奴は軽蔑するけどね」
僕が言った事に、夫君は黙ってしまいました。
そんな風に話を続けていたら、時子が目を覚ます時の、眠気がやってきたのです。カウンセラーは何事かを喋っていましたが、僕にはもう返事は出来ませんでした。
椅子にもたれて首をがっくり後ろに傾けていた状態で、時子は目を覚まします。
「あ、…あ、あの、こんにちは」
時子は自分の居る場所を見渡してから、カウンセラーに頭を下げました。
近頃では、あまり人格の交代に怯えなくなりましたが、やはり一時心を鎮める事は必要なようで、時子は、混乱が鎮まるまであまり喋ろうとしませんでした。
カウンセラーに体調などの話をしてから、彼女はこう言いました。
「五樹さんは、私を“孤独だ”って言うんです…でも、私の周りには、私を助けてくれている人がたくさん居て、それに、夫まで居て…それで“孤独だ”って言われても全然分からないし、それに…孤独って、そんなに悪い事なんでしょうか?」
その言葉は、もしくは本当の孤独を知らない人の言葉だったかもしれないし、あまりに孤独に慣れ過ぎた人の物だったかもしれません。
カウンセラーは時子の問いに、「どうだろう。でも、“五樹さん”はそう感じてるんだね」とだけ返しました。
その後時子は、思い出したようにこう言います。
「前にも話したと思うんですが、私はたまに、ある想像をするんです」
「小さな部屋で、白い壁に囲まれて、私はその部屋に一人きりで座っています。窓には青いカーテンが引かれていて、ドアは真っ赤で、鍵が壊れていて開きません」
「“私の周りの人は、全員、あのカーテンの掛かった窓の向こうから私に話し掛けているんだ”と私は思って、なんだか、扉が開かないのは良い事のように思うんです…その想像だけを指せば、孤独と言える部分はあるかも…」
時子のその想像は、彼女が生きている毎日を、精神世界でのみ写した物に近いと思います。
夫にも、ご機嫌取りのための話題しか話し出せず、常に「怒らせないように」と誰に対しても本音が言えない時子。それは、内面の孤独と言う他ありません。
昨日のカウンセリングでは、大きなフラッシュバックは起きませんでした。それよりも、カウンセラーと和やかに話せた事で、カウンセリングルームは、より「安全な場所」へと近付いたように思います。それも、カウンセリングでは大事です。
そして時子は、PTSDについての本を、カウンセラーから借り受けて帰りました。
帰り道は、また長距離移動をするのが辛いようで、時子はずっと、車のシートを倒して過ごしていました、
そんな風にたくさんくたびれたのに、今朝になって時子は、「たっぷり眠ったから、ウォーキングに行こうかな」などと言い始めたのです。ですから、僕は慌てて交代し、今は布団の中で、休息を取りつつ、この文章を書いています。
少し長くなりましたね。お付き合い頂き、有難うございました。また来て下さると有難いです。それでは、また。