小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【後編】

INDEX|8ページ/39ページ|

次のページ前のページ
 

ー中殿さまが将来、王子さまをお産みあそばしたとしても、我が子に王子としての名乗りは上げさせません。生涯を姫として生きる子ゆえ、中殿さまの御子さまの障りになることはないと存じます。
 頭を床にこすりつけ、涙ながらに訴えたのだ。 
 王妃が冷えた声音で告げた。
ー良かろう。そこまで申すなら、そなたの子の存在には眼を瞑ってやろう。赤児を亡き者にして、御仏のご加護に与れぬようになっても困るからの。
 既に、王妃は次の御子を産むつもりであったのだろう。徒(いたずら)に幼子を殺して、仏罰で授かれる生命を授かれなくなっては困ると言いたかったのだ。既にこの時、王妃は三十七歳に達していた。誰が考えても次に御子を授かるのは無理があった。けれども、王妃はまさに執念で再び懐妊した。それが末子の益善大君(イクソンテーグン)である。
 真に身勝手な言い分ではあったが、王妃が次の御子を産みたい一心のお陰で淑媛の子は辛うじて生命を長らえることができた。
 殿舎に戻った淑媛は、長らく放心の態であったという。翌日から、彼女は赤児を胸に抱き、離そうとしなかった。
 保母尚宮にだけは赤児を委ねたものの、その他の者には一切、触れるのも許さなかった。
 淑媛は姫をかき抱いて室に閉じこもり、一歩も外に出ない。たまに
ー中殿さまがこの子を殺しにくる。
 と、怯えて取り乱し、半狂乱になることもあった。そうやって、淑媛の精神(こころ)はゆっくりと壊れていった。国王は毎日のように彼女の許を訪れたが、その間は常と変わらぬようにふるまうため、王も寵姫の異変に気づくことはなかったのもまた不幸を助長させた。
 王女が一歳の誕生日を迎える前日、中宮殿から桃入りの揚げ菓子が届けられ、重度の桃アレルギーがあった淑媛は知らずに食して亡くなった。
 長い話を終え、央明が吐息を洩らした。
「母は私を難産で産んだばかりに体調を崩したと、長らく信じていました。乳母からこの話を聞き、すべての辻褄が合いました。自分が何故、男の身体を持ちながら、女として生きているのかも」
 チュソンは呟いた。無意識の中に零れ落ちた言葉だった。
「何ということだ」
 今更ながら、我が伯母の所業に愕然とする。
 更に、女性と信じて疑うこともなかった妻が男であることを疑わせる要因。今から振り返れば、そのような要因は幾らでもあったことに気づく。
 例えば、声だ。二人で新居を見にいったあの日は、事実上の再会となった。あの時、会話を交わす最中、チュソンは央明の声が時折、不自然に低くなるのが気になった。普段は澄んだ高い声なのに、時々ふっと低い声が混じる。別人級の声の差に感じた戸惑いは、今もはっきりと記憶している。思えば、あの低い声の方が地声で、いつもは意識して高い声を出していたのだ。
 また町中で運命的に出逢ったあの日も、央明は女の子にしては随分とやんちゃだった。否、お転婆な女の子はざらにいる。それ自体はおかしくはないけれど、あの時、チュソンは央明の考え方そのものが女の子らしくないと感じたのも確かだ。それは再会後もずっと続いており、政治に関心を持つ央明は、拓けた考え方の女性というよりは、むしろ男性の思考回路に近いと漠然と考えたこともある。
 確かに、八歳の央明を見たチュソンは、中身が男の子みたいな美しい女の子と感じたのだから、あながち間違ってはいなかったということだ。
 不意にチュソンの耳奥で少女の声がありありと蘇る。
ー嘘つきだから。
 十年前のあの日、自分は彼女に勇敢だと褒め称えた。小さな身体で物怖じもせず、セナを庇った勇気を褒め称えたのだ。
 あの時、彼女は自分は嘘つきだと言った。
 次いで、彼女は言った。
ーあなたには判らない。
 自分を嘘つき呼ばわりする理由なのか、はたまた、彼女自身を理解できないと言ったのか判別できなかった。
ー幾ら善人ぶってみても、私は世の中の人すべてを騙して生きているんだもの。その罪は一生続くんだよ。
 長らくの謎が今、漸く解けた。チュソンは腹の底から長い吐息を吐き出した。
「幼い日、あなたは私に自分は嘘つきだとおっしゃった。私はずっと、何故なのかと考え続けてきました。嘘つきの意味は、あなたが抱えてきた秘密のことだったのですね」
 央明がかすかに頷いた。
「おっしゃる通りです。私は生まれたそのときから自分を偽り続けてきました。あなたが褒めて下さったように、確かにセナを助ける勇気を持つ自分も私の一面かもしれません。ですが、私の秘密は私自身の存在そのものを偽るものでした。桜の樹はたとえどれだけ自分を樫の樹だと言い張ろうとも、一生涯樫にはなれません。桜はあくまでも桜のままです。私はこうやって、もうずっと他人を欺き、自分自身すら騙して生きてきました。どれだけ善い行いをしようと、根っこの部分が腐っているのですよ」
 悲痛な哀しみに満ちた声は、チュソンの胸を鋭くついた。半年前、茶寮で央明が自分自身を?半端者?と言ったのも、恐らくは抱えてきた秘密によるものだろう。
 こうして彼は十八年間、他人に言えぬ重い秘密を抱えて生きてきた。央明のことだ、生母が早くに亡くなったのも、自分の存在ゆえだと思い悩むこともあったろう。
 淑媛亡き後、央明の味方は広大な宮殿では保母尚宮だけだったに相違ない。?日陰の王女?と呼ばれ後宮でうち捨てられた花のようにひっそりと暮らしていた境遇も、央明には好都合であったはずだ。勘繰れば、秘密ゆえに央明自らがなおのこと他者を寄せ付けまいとしていたとも考えられる。
 央明が良人となったチュソンを拒んだのも、この秘密が理由だった。また、身体関係を結ぶだけでなく、二人の距離を積極的に縮めようとしなかった背景には、やはり秘密の露見を恐れてのことに違いない。
 より多くの者と親しくなればなるほど、秘密を守るのは難しくなる。だからこそ、自らの周囲に固い垣根を築き、けして内へは入れようとしなかった。そうやって人との交わりを拒絶することでしか、秘密を守るすべはなかったからだ。
 そこで、チュソンはハッとした。
「殿下は、このことをご存じなのですか?」
 大体応えの予測はついたが、やはり訊ねずにはいられなかった。
 しばらくチュソンを見つめていたかと思うと、央明は淋しげな笑みを浮かべた。
「父上(アバママ)さまは私が正真正銘の王女だと信じておられます」
 やはり、と納得した。国王がこの秘密を知っていたとしたら、央明が真の性を偽ることで、こうまで苦しむ必要はなかったはずである。ただし、その場合、央明がこの歳まで無事に生命を繋げたかどうかは知れたものではない。
 現に、央明の母淑媛は王妃に殺された。仮に国王が央明の性別を知れば、そのまま捨て置きはしなかったろう。けれども、王子という本来の身分を取り戻すことで、央明は王妃を真っ向から敵に回す羽目になる。
 だとすれば、やはり、国王は真実を知らないでいた方が良かったのだ。