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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【後編】

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 ジョンハクが呟いた。
「そこが問題なのだ」
「どういうことです?」
 胡乱な眼を向ければ、父が殆ど吐息のような声で言った。
「翁主さまが実は男だということを殿下に伝えれば、中殿さまの所業の数々も自ずと明らかになろう」
 チュソンはまた唇を噛んだ。
「何を今更。翁主さまのお話では、淑媛さまが亡くなられたのも伯母上の仕業だと殿下は薄々ご存じのようでしたよ。だからこそ、淑媛さまが亡くなられた後、可愛い盛りの翁主さまと距離を置かれ、わざと冷淡な父親のふりをなさったのではありませんか」
 ジョンハクが低い声で言った。
「気づくのと知るのは似ているようで違う」
 チュソンが?あ?と声を上げた。灯火がほの暗い火影を投げかける室内で、父子は互いに見つめ合った。
 チュソンは父の意図を正しく理解した。
 ?気づく?のは知っていて知らないふりをするともいえるが、?知る?からには知らないふりはできないということでもある。
「殿下が知ってしまわれれば、罪を犯した中殿さまを断罪せぬわけにはゆかんだろう」
 ジョンハクが疲れ切った様子で言った。
「事があまりに複雑すぎる。すべてを照らし合わせて考えれば、翁主さまには気の毒だが、今のままが誰のためにも一番良いのではないか」
 父の言葉に、チュソンは猛烈に反抗した。
「翁主さまは本来は第一王子です。世子邸下ではなく、あのお方こそが本来の王位継承者なのですよ? にも拘わらず、女として世を偽って生きねばならないだなんて、あまりにも理不尽ではありませんか。私は、このような理不尽が許されて良いとは思いません」
 チュソンが立ち上がった。
「父上があくまでも事なかれ主義に徹するというなら、私は一人でも戦います」
 ジョンハクが唖然として息子を見た。
「そなたー、何をしでかすつもりだ?」
 チュソンは父に挑むような眼を向けた。
「父上こそ、これから、どうされるつもりですか? よもや、お祖父(じい)さまに翁主さまの秘密を暴露するおつもりではないでしょうね」
 チュソンは片手で袖を抑え、いつでも動ける体勢を取った。父の返答次第では、このまま刺し違えるつもりであった。
 ジョンハクは感情の読めぬ瞳で息子を見、静かな声音で言った。
「儂も見くびられたものだな。たとえ翁主さまの真実の姿がどうあれ、儂は既にあの方は我が家の一員としてお迎えしたと思うている。息子の嫁をたとえ父上とはいえ、売り渡す真似はせんよ」
 チュソンの身体に漲っていた緊張が解けた。彼はホウと息を吐き出し、その場に座り込んだ。
「それで、そなたはこれからどうするつもりなのか、聞かせて貰おうではないか」
 父の言葉に、チュソンは表情を引き締めた。
「伯母上に申し上げて、翁主さまの復権をお願いします。ただでは伯母上も承知はされますまいから、条件をつけます」
 毒を喰らわば皿までともいう。国王は臣下たちから物笑いの種になるほどの恐妻家である。王妃である伯母から翁主が実は王子であったと上手く取りなして貰う代わりに、伯母のこれまでの罪は公にはしない。淑媛殺害に関しては、証拠さえない有様だ。その辺りは当事者の翁主から国王に過去の事件を今更表沙汰にはしたくないとでも懇願すれば、何とか丸く収まるだろう。
 果たして、チュソンの思惑なぞ父にはお見通しであったらしい。
 ジョンハクがいつになく声を荒げた。
「馬鹿を申すな」
 父は息を継ぎ、しばらく言葉を探しているかのように見えた。チュソンは黙って次の言葉を待つ。
 ジョンハクが潜めた声で言う。
「愚かなことを言うものではない。男の嫁を娶らされたと、そなたばかりか儂までが恥をかく」
「しかし」
 チュソンはなおも食い下がろうとして、片手を挙げた父に機先を制された。
「愚か者、よく考えてみよ。姉上の気性であれば、ライバル(宿敵)の子である第一王子を生まれた時点で殺しても不思議はない。そなたが騒ぎ立てれば、あの方の生命はないぞ」
 現に王妃は十八年前、生まれたその日に央明を殺そうとしている。一度めは保母尚宮が気づき、未遂に終わった。生母淑媛の涙ながらの懇願によって、赤児は女児として生きることで辛うじて存在を許された。
 生まれた赤児が男であると知った時、淑媛の下した判断は正しかった。半月前、王妃が第一王子を死産したばかりで、淑媛の産んだ男児は事実上の国王の第一男子であった。
 赤児の性別をありのまま公表すれば、我が子の生命はない。淑媛は嫉妬深く権力欲の強い王妃の性格を嫌というほど知っていた。
 淑媛は咄嗟に男児を女児と偽り、国王には嘘の報告をした。だが、産殿には王妃の間者が紛れ込んでおり、沐浴中に赤児が男児であるのを確認し、王妃は赤児の性別を知るところとなったのだ。
 今、央明が王子だと名乗りを上げれば、世子の脅威となるのは必定である。王妃は今度そ央明を亡き者にしようと全力でかかってくるのではないか。
 チュソンには父の言わんとしていることは容易に察せられた。
「ですゆえ、伯母上を牽制するのです。世子邸下を今の地位につけるために伯母上がなさったことを邸下にお伝えすると言えば、伯母上も翁主さまに手を出そうとまではしないのでは」
 ジョンハクがわずかに首を傾けた。
「その程度で、あの姉が大人しく引き下がるものであろうか」
 ジョンハクの顔には憔悴がありありと現れている。一体、自分はどれだけ親不孝なのだろうか。チュソンはやつれた父の顔を見ながら、申し訳なく思った。
 父は王女降嫁を希(こいねが)うため、王妃に下げたくもない頭を下げた。将来を嘱望していた一人息子は附馬となり、官僚としての出世も捨てた。これだけでも十分なはずなのに、ひとめ惚れして迎えた妻は、王女ではなく王子であった。将来的にも子をなすことはできず、家門の存続は危うい。
 更にチュソンは央明の復権を望んでいる。父は幾つ生命があっても足りない心持ちだろう。
 ジョンハクが眼を細めた。
「大人になったな」
 戸惑うチュソンに、ジョンハクが薄く笑った。
「そなたが懐中に物騒な代物を隠しておるくらいは見抜いているぞ」
 咄嗟に袖に忍ばせている短刀を押さえ、チュソンは頭を下げた。
「申し訳ありません」
 ジョンハクが低い笑い声を立てた。
「大方、儂が翁主さまの秘密を父上に密告するとでも思うたのだろうよ」
 穴があったら入りたい。父を信じ切れなかった。チュソンはうなだれた。
 ジョンハクはかぶりを振った。
「良い眼をしている。大切なものを守るためには我が生命さえ惜しまぬ男の眼だ。だが、早まるでない。そなたがなそうしていることは翁主さまにとって、諸刃の剣になる」
 チュソンは父を真正面から見つめ、頷いた。
 少し迷いを見せ、ジョンハクが言った。
「誰かを守りたいと強く願うには、深い愛がなければならぬ。愛する対象が必ずしも女人であるとは限らない。翁主さまとそなたの関係は、つまりはそういうことであるのだと儂は受け止める」
 遠回しな言い方ではあるが、父なりにチュソンの央明への気持ちを理解してくれているのは判った。