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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【後編】

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 むしろ破瓜の後は細い腕でチュソンに抱きついてきて、
ー嬉しい。
 とさえ涙ぐんでいたのだ。
 あの仕草も可愛くて、チュソンは煽られた。余計に央明の身体を貪ることになってしまったのだがー。
 思い出してまただらしなく頬が緩みそうになり、チュソンは水から陸(おか)に上がった犬のように首を振る。
 馬鹿なことを考えている場合ではなかった。改めて小屋を見回している中に、壁につるされた薬草の一つが眼に入った。
「あれは、葛の根だな」
 あまり薬草に知識のないチュソンも知っている、比較的よく知られたものだ。チュソンはつるされている薬草を降ろし、またしても少々拝借した。
 火鉢に火を熾し、これもやはり置いてあった土瓶に持参の竹筒から水を入れ、薬草を入れて煮出す。しばらく後、小屋中に薬湯の匂いが濃厚に満ちた。
 チュソンは土瓶を火から下ろし、適宜冷ます。十分に冷めた頃合いを見計らい、まずは自分が薬湯を口に含んだ。匙のようなものは探してもないので、この場合、やむを得ない。
 口に含んだ薬湯を眠っている央明に覆い被さり、口移しに分け与えた。この動作を根気よく何度か繰り返し、すべての薬湯を飲ませることはできた。
 おかしなものである。昨夜は何度となく身体を重ねたのに、いざ明るい陽差しの差し込む中で央明に口づけるのは、何とも罰が悪いというか照れくさかった。
 裸のままなのも良くないと、チュソンは既に乾いた央明の下着や衣服を着せ、更に火鉢の火をかき立て出来るだけ室内を暖めた。
 甲斐甲斐しい世話のせいか、央明の熱は夕方には下がり、チュソンはやっと愁眉を開くことができた。
 が、この分では今日も下山は叶うまい。観玉寺では今頃、騒ぎになっているのは疑いようもなかった。何しろ二人が山に入って丸二日が過ぎている。本当なら、昨日の中には下山する予定だったのだ。
 昨夜が風雨になったため、昨日中に帰らなかったのは仕方ないとしても、遅くとも今日には帰るはずだと寺の人たちは思っていたろう。なのに、今日も帰らないとなると、運悪く遭難したのだと思われているかもしれない。
 とはいえ、熱が下がったばかりの央明にまた無理をさせることもできず、チュソンと央明はそのまま二日めも小屋で過ごした。
 三日目の朝、二人はやっと小屋を出て帰路に就いた。小屋を出る間際、チュソンは袖からチュモニ(巾着)を出し、よく見える場所に置いた。纏まった金子が入っている。顔も知らぬ小屋の持ち主への心ばかりの礼のつもりだった。
 あの烈しい吹き降りの中、この小屋がなければ、下手をすれば自分も央明も凍死していた可能性もあるのだ。更には薬草や小屋内の道具など、勝手に使用した分の感謝も込めていた。
 小屋を一歩出た瞬間、眩しいほどの朝陽が眼を射た。央明も同じようで、手のひらを額にかざして頭上を見上げている。
 改めて、この小屋で過ごした時間の長さを思い出さされたのは恐らくチュソンだけではないのだろう。けれど、チュソンにとっては下界から隔絶された山上の小屋で想い人と水入らずで過ごした忘れがたい二日間だった。
 図らずも遭難しかけ、この小屋に辿り着いたことで妻の秘密を知り、央明と名実共に夫婦になれたのだ。小屋を出て数歩あるいたところで、チュソンは背後を振り返った。
 恐らく、ここで過ごした密度の濃い時間を一生涯忘れることはないだろう。立ち尽くし小屋を眺めるチュソンの傍で、央明は寄り添うように立っている。何も言わないが、できれば彼もまた自分と同じ気持ちであって欲しいとチュソンは願った。
 幸いにも、央明の挫いた右足は、ほぼ元通りに回復しており、歩くのに支障はなかった。
 小屋を出て細い山道を少し辿った頃、紅椿が群れ咲く一角を通りかかった。行きも確かに見た憶えはあるけれど、四日間、小屋に閉じこもりきりだった眼には艶やかな紅色が随分と鮮やかに映じた。
 央明が手を伸ばし、指先で天鵞絨(ビロード)のようなやわらかな花びらに触れている。花に戯れるほっそりとした指先の白さと鮮烈なまでの花びらの対比の妙が美しかった。昨夜はあの細い指がチュソンの身体を辿ったのだとーと思い返しただけで、堪え性もなくまた身体がカッと熱くなりそうだ。
 チュソンが花を愛でる妻を微笑ましく眺めていると、央明がふと呟いた。
「いつか父上さまが仰せでした」
 チュソンはハッと央明を見つめる。央明は特に返事を期待しているわけではなく、独り言を言っているようだ。
「王座とは、山奥に咲いている花のようなものだと」
 チュソンは思わず問い返していた。
「王座が山奥に咲く花ですか?」
 央明は声には出さず、頷いた。ややあって、いきなり歩き出したので、チュソンは面食らいながらも慌てて央明の後を追いかけた。
 央明は前方を見つめ歩きながら言う。
「私も最初は父上の仰せの意味がよく判りませんでした。ゆえに、お訊ねしたのです。すると、父上はこのように応えられました」
ー山奥に咲いている花は、誰もが手に入れられるものではない。だからこそ、余計に人はそれを手に入れたいと願うのだ。
 央明は続けた。
「さりながら、その話をされた父上ご自身は、さして王座に執着されているようにも見えませんでしたし、私自身も何故、山奥の花を人がそこまで欲しがるのか理解に苦しむのです」
 チュソンは控えめに自分の考えを述べた。
「人はなかなか手に入りにくいものには余計に憧れるものだ。それだけの希少価値がより魅力に思えるのだろう。僭越ながら、殿下もそなたも王宮で生まれ育ち、山奥の花は見慣れている。格別に珍しいものでもなかったのではないだろうか」
 央明は軽く頷いた。
「それもあるかもしれませんね。穿った見方をすれば、父上も私も王座がどのようなものであるか、いいえ、王座に座るのがどういうものであるか、現実を知るからこそ魅力を憶えないのかもしれません」
 チュソンはふと興味を憶えた。
「王座は、どういうものなのだろう」
 央明は、これには即答した。
「人を変えます」
 チュソンはわずかに眉を寄せた。
「人を変えるー」
 央明がいきなり立ち止まり、チュソンは危うく妻の背中に衝突するところであった。しかし、央明は気を払う余裕もないようだ。くるりと振り返り、チュソンを食い入るように見つめた。
 普段の彼らしくなく、強い力が閃いている。
「中殿さまも元々、あのような権力欲の塊のような方ではなかったと聞いています。家を恋しがって泣く幼い女官見習いを眼に止められ、心優しき言葉をおかけになるほどの方であったとか」
 なるほどと、チュソンは納得した。確かに央明の言う通りだ。伯母である王妃は山奥の花ー王座に恋い焦がれるあまり、人の血に手を染めた。チュソンが知るだけでも、央明の生母が殺害されている。
 また央明も生後まもなくあわや殺されるところであったのに、生母の嘆願で何とか王妃の毒牙から逃れ得たという経緯があった。