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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【後編】

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 顎を人差し指で掬い上げ視線が合いそうになると、慌てて眼を伏せた。
 震える睫も、わななく細い身体も、すべてが愛おしかった。このすべてはチュソンのものだ。裏腹に、自分のすべても彼のものであって欲しかった。
「ー愛しています」
 短い言葉に今の想いの丈をこめて告げれば、央明はまたコクリとした。
 チュソンの切れ長の瞳が俄に熱を帯びる。央明の両頬に手を添え、小さな顔を引き寄せ丁寧に唇を重ねた。
 経験の浅い央明を怖がらせないように、唇を放し、また、そうっとそっと口づける。かく言う自分自身もまた女を抱いた経験すらないのだから、お互いさまかもしれない。
 そんなことを冷静に考えていられたのは、そこまでだった。一度で止めようと思っていた口づけは、二度めを終えてもまだ続いた。
 まるで、水を求めて彷徨(さまよ)う西方砂漠の旅人のようだ。気がつけば、幾度も央明の唇を奪っていた。
 幾ら奪っても奪い足りない。
 角度を変えて幾度も口づける間、央明が何度か怯えたように身を引いた。その都度、チュソンは身を離し、彼の顔を覗き込んだ。
「もう止めようか?」
 チュソン自身、央明に問いかける声がいつになく甘さを増している自覚はない。
 愕いたことに、央明は恥じらいながらも小さく首を振るのだ。チュソンは信じられない想いながら、央明が拒否しないのに勇気を得て接吻を続けた。
 時々躊躇いを見せるのは嫌なのではなく、未知の行為への本能的な恐怖によるものなのかもしれなかった。
 どれだけ口づけを続けたのか。断腸の思いで己の身を央明から引きはがした時、央明の唇からは銀の糸が細く滴っていた。あまりに濃厚な口づけのせいで、どちらの唾液なのかも知れたものではない。
「大丈夫?」
 央明を怖がらせまいと極力自重するつもりだったのに、気がつけば暴走していた。彼を欲望の赴くままに貪った自覚はある。
 央明が小さく首を振る。
 チュソンの内から突如、烈しい情動が湧き上がった。あまりの愛おしさに、このまま離したくない。少し力を込めれば折れそうな儚さに強い保護欲をかき立てられる。同時に、触れられるのさえ躊躇われる清純無垢さは、すべてを滅茶苦茶にして踏みにじってしまいたいという倒錯的な欲情を呼び覚ますのだ。
 チュソンは己れの中にそういった獣じみた情動が潜んでいることが信じられなかった。
 チュソンは央明を今一度強く抱きしめ、そっと床に横たえた。彼の顔の両側に逞しい手をつき、腕の中に愛するひとを閉じ込める。
「このまま、あなたを抱くと言えば、あなたは私を嫌いになるだろうね」
 央明は無心にチュソンを見上げていた。何か言おうとして、澄んだ涙の雫が美しい瞳から流れ落ちる。刹那、漸くチュソンに理性が戻った。
ー自分は何をしているのか?
 またしても嫌がる妻を手込めにしようというのか。自己嫌悪に陥りながら、チュソンは央明から離れようとした。と、小さな手が咄嗟にチュソンの腕を掴んだのだ。あたかも離れようとする彼を押しとどめるかのように、央明はチュソンの腕を掴んでいた。
 チュソンは奇跡を見るような想いで央明を見下ろした。
「央明ー」
 央明が消え入るような声で囁いた。
「私はこれまでずっと自分の意思で何かを選択したことはありませんでした。すべてが与えられるがままの、定められたままの人生だったのです。でも、一度くらいは自分で決めたいし選びたい」
 たどたどしい言葉は、央明の葛藤を何より物語っていた。当然だ、言葉はどうあれ、彼は自ら男に抱いて欲しいと今、告げているのだから。慎ましい彼にとっては崖上から飛び降りるに等しい覚悟が必要だったに違いない。
 チュソンがやや掠れた声で訊ねた。
「本当に良いのか?」
 これより先に踏み込めば、たとえ央明が心変わりしたとしても、チュソンが踏みとどまるのは難しいだろう。男の身体というのは、そのようなものだ。経験の浅いチュソンだとて、それしきの知識はあった。
 暗にそんな意味を込めて問いかけたのだけれどー。央明はむしろ、黒い瞳に必死さを滲ませているように見えた。彼の決意を示すかのように、チュソンの腕を掴む細い腕には更に力がこもった。
 チュソンの端正な面に、限りなく優しい微笑がひろがる。こよなく愛する永遠の想い人が今、腕の中にいる。
 チュソンの中で危うく保っていた情熱と理性の均衡が脆くも崩れ去った瞬間だった。彼の瞳に蒼白い情炎が燃え盛る。チュソンは愛する妻の唇を貪るように烈しく奪った。

   陰謀

 翌日は昨夜の土砂降りが嘘のように晴れ渡っていた。チュソンの腹づもりでは、遅くとも昼前には山を降りる予定であった。
 しかし、央明が熱を出したため、降りるにも降りられなくなってしまったのである。
 朝方、チュソンは騒がしい小鳥のさえずりで目覚めた。正直、央明の身体を貪ることに夢中で、いつ雨や雷鳴が止んだのかも記憶していなかった。
 傍らには愛しい人が眠っている。無防備な寝顔を眺めていると、時間の経つのさえ忘れられた。身体は疲れてはいるが、やっと想い人と結ばれた歓びで心は満ち足りていた。
 眠っていると、随分と稚(いとけな)く見えるのだと改めて湧き上がる愛しさを噛みしめ、乱れた艶やかな黒髪を撫でる。ほのかに口許が笑んでいるように見えるのが愛らしい。
 昨夜は央明の気持ちを確かめた上での行為ではあっても、やはり常とは違う異常事態を利用したという後ろめたさは拭えなかった。
 けれども、央明の安らいだ寝顔を見れば、彼にとってもけして望まない行為ではなかったのだと判る。チュソンは何より、それが嬉しかったのだ。
 が、暢気に歓んでいられたのもここまでだった。小屋には持ち主が夜具代わりに使っているらしい熊の毛皮があった。悪いとは思いつつも、昨夜はそれを掛け布団代わりに借用したのだ。
 チュソン、央明共に何も身につけてはいなかった。二人は裸で抱き合い、熊の毛皮にくるまって眠った。チュソンが先に覚醒した時、央明はまだ熟睡しており、裸の肩が毛皮からはみ出ていた。チュソンは優しい眼で妻を見やり、剥き出しの肩上まで毛皮を引き上げようとして、ハッとした。
 央明の身体は異様に熱かった。これまでも彼を抱えて眠っていたのだから、この熱さに気づいても良いようなものなのに、迂闊にも昨夜を思い出してはニヤついていたのだ。
 チュソンは飛び起きた。火鉢の火はとうに消えていたが、床に干した服は殆ど乾いている。彼は乾いた衣服を手早く纏い、央明の傍に戻った。額にそっと手を当てると、かなりの熱だ。
 チュソンは我が身を責めた。昨日は慣れない山登りの上、雨に濡れた。現に央明は幾度もクシャミをしていたではないか。弱った身体を幾度も抱いて、きっと無理をさせたのが悪かったのだ。
 央明が女人であったとしても、初めて男を受け入れるのは身体に負担をかけるはずだ。しかも央明は女人ではない。チュソンも書物や話を通じて、男同士がどのように身体を繋げるのかは知識としては知っていた。
 だが、現実に男の身体で女性と同じように男を受け入れるのは、かなりの苦痛を強いるのだと昨夜、知ったばかりだ。それでも、央明は健気に耐え、泣き言は言わなかった。