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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【前編】

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「祝言が終わってから、少しはご馳走を食べましたか?」
 問えば、王女は力なくかぶりを振る。
 チュソンは頷いた。
「それでは、お腹が空いているでしょう。少しは召し上がった方が良い」
 彼は鶏の蒸し物を箸でむしり、取り皿に取り分けた。ついでに青菜ともやしの炒めものも取り分ける。
「さあ、どうぞ」
 王女に差し出しても、彼女は受け取らなかった。彼女はうつむいていたかと思うと、いきなり面を上げた。
「私を離縁して下さい」
「ーっ」
 温厚なチュソンも流石に血の気が引いた。声が尖るのは致し方ない。
「何故と理由をお訊きする権利くらいは、私にもありますよね」
 チュソンは取り皿を小卓に置き、膝に両手を置いた。
 王女は頑なに唇を噛みしめている。
「理由は申し上げられません」
 チュソンはいっそ静謐な声音で問うた。
「何故でしょう? 新婚初夜に新妻に捨てられるのですから、せめて離縁を望まれる理由くらいは知りたいと思います」
 王女は何も言わない。チュソンは低い声で続けた。
「そんなに私がお嫌いですか?」
 王女の眼が大きく見開かれた。
「いいえ。それは違います」
 王女はわずかに視線を宙に彷徨わせ、一つ一つを噛みしめるように言った。
「いつかも申し上げました。私はあなたを嫌ってはおりません。嫌ってはいないからこそ、早くに別れた方が良いと考えているのです」
 チュソンは頷いた。
「確かに、あなたはこの屋敷を見にきた日、そう言いました。それから、こうも言いましたよね」
ーそして今も、幼い日と同様に、自分を飾りも偽りもしなかった。そんなあなたの笑顔がとても尊く美しいものに見え、私もこんな子と友達になれたら、毎日が愉しいだろうなと考えました。
 王女の言葉を繰り返し、彼は続ける。
「今はもう友達として一緒にいるのもおいやですか?」
 王女はかすかに首を振った。チュソンは自分の声ができるだけ優しく聞こえるのを祈りながら言った。
「ならば、友達でも構いません」
 王女がハッとチュソンを見た。チュソンはやわらかな笑みを刷く。
「友達、恋人、単なる同居人。世の中にはたくさんの夫婦のかたちがあるでしょう。私は友達でも構いません、あなたさえ側にいて下されば、十分なのです」
 王女の艶のある唇がかすかにうごめいた。
「ー本当に?」
「ええ。男に二言はありません」
 きっぱりと言いつつも、彼の視線は艶めく王女の唇に吸い寄せられている。控えめな色味ではあるが、燭台の炎に照らされた唇はどこまでもつややかで、何とも誘うような色香がある。
 チュソンの体熱が上昇し、頭にカッと血が上った。
「寝る前に少しご酒を召し上がった方が良い」
「え?」
 王女が小首を傾げ、彼を見た。チュソンがひそやかに笑う。
「震えているあなたを見るのは忍びません。これからあなたを抱こうとする私が怖いですか?」
「ー!」
 王女が鋭く息を呑んだ。蒼褪めた美しい面の中で、薄紅色に塗られた唇だけが妖しく彼を手招きしている。あの唇を塞いだら、どのような味がするだろうか。彼女の身体に滾る自分自身を深く埋めたら、彼女はあえかな声を上げるのだろうかー。
 チュソンの呼吸が荒くなる。
「私が怖くて震えているようでは、酒の力が必要でしょう、ね?」
 たった一杯で酔いが回るなんて、滅多にないことだ。チュソンはいつしか頭の芯がジンと痺れていた。
 早く早く、あの美しい蝶の羽根を捕らえてしまわねば、蝶が逃げてしまう。
 チュソンは小卓をぞんざいに脇へ押しやった。待つこと久しと乱暴な仕草で、王女の細手首を掴む。彼が少し力を込めて引いただけで、彼女はあっさりと彼の胸に倒れ込んだ。
 やっと我が物にできる。チュソンは深い満足の吐息をついた。細い腰に手を回し、きつく力の限り抱きしめる。
 王女は随分と肉付きが薄かった。確かに太ってはいないけれど、見た目はそこまで痩せているようには見えなかったのだが。
 かすかな違和感は、直に消えた。何しろ十年越しの想いを遂げる夜なのだ。肉付きは薄いが、肌そのものは触れるとしっとりとし、吸い付くような手触りが心地良い。
 抱きしめた身体はやわらかく、抱き心地は悪くはなかった。
 いかほどそうしていたのだろう。耳許でかすかな声が聞こえた。
「ー痛い」
 あまりに強く抱きしめていたのだ。チュソンは我に返った。
「済まない」
 これまで女人に手荒な真似をしたこともなく、また力に恃んで乱暴なふるまいに及ぶ輩を軽蔑してきたはずだ。そんな自分が想い人を前にすれば、自制の効かない盛りの付いた雄猫のようになってしまうことを彼は初めて知った。
 チュソンは王女をサッと抱き上げた。抱きかかえたまま、そっと壊れ物を扱うかのように褥に横たえる。
 新居にはすべて調度、寝具ありとあらゆるものが揃って、若夫婦を待っていた。今頃はまだ父の屋敷では祝宴が延々と続いていることだろう。
 祝言を終えた新郎新婦は祝宴に連なることなく、そのまま新居へと移動した。どの室も予め入念に掃除され、調度は磨かれている。
 すべて国王自らが王女のために選んだものだ。むろん褥も絹仕立ての分厚いものである。
 チュソンは王女を褥に横たえ、上から覆い被さった。彼女の両手を頭の横で持ち上げた格好で褥に縫い止める。
 まさに、囚われの美しき蝶だ。
「愛しています」
 チュソンの声が掠れていた。唇と唇が近づき、重なる。彼女の唇は、ほのかに花の香りがした。藤の花が好きだという彼女はもしや白藤の化身なのだろうか。
 埒もないことを一瞬、考えかけたその時、悲鳴にも似た声が上がった。
「ーいや」
 気がつけば、チュソンは王女に両手で押しやられていた。女性にしては、かなりの力だといえるだろう。不意を突かれて油断したというのもある。
 彼は突き飛ばされ、あっさりと後方へひっくり返った。男としては、みっともないことこの上ない。
 チュソンは茫然とし、のろのろと身を起こした。たった今、自分は何をしでかした?
 彼女には友達でも構わないと体の良いことを言いながら、現実には何をした? 彼女の罪深いほどの魅力に誘惑され、抗いきれずに力に任せて押し倒した。
 まったく男の風上にも置けない、見下げ果てたヤツではないか!
 恥ずかしさのあまり、彼女の顔を見ようにも見られない。それでも、チュソンはありったけの勇気を総動員し、意思の力で彼女を見た。
 可哀想に、王女は打ちひしがれ、背を向けていた。白藤が心ない雨に打たれているかのようだ。
「済みません」
 チュソンはただひと言謝った。たとえ彼女が許してくれなくても、許してくれるまで謝り続けなければならない。
 王女がゆるゆると面を上げた。黒曜石の瞳には大粒の涙の雫が煌めいている。
 大切にしたいと思う女を泣かせてしまったー。チュソンは彼女の涙に胸をつかれた。
 どこまでも澄んだ黒い瞳は星がきらめく夜空のようだ。見つめていると吸い込まれるようで、また自制がきかなくなりそうだ。
 彼は急いで彼女から視線を背けた。
「私が泣かせてしまったのですね」
 応えはなかった。チュソンは手を伸ばして、そっと彼女を抱き寄せた。刹那、彼女がピクリと身を震わせたのが判り、余計に自己嫌悪に陥った。