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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【前編】

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 ふと王女が彼を見た。女性にしては上背がある彼女ではあっても、チュソンも飛び抜けて長身なので、かなりの差がある。
 おかしなものだ。十年前、町中で出逢ったあの時、チュソンはまだ同じ年のチョンドクと比べても格段に小さく、女の子の王女よりも背が低かった。なのに、十年後の今、チュソンは王女よりも背が高くなっている。十を過ぎた頃からどんどん背が伸びて、チョンドクをもあっさりと追い抜いてしまった。
 自分たちの間には、それだけの月日が流れたのだ。
 王女はか弱い女人だ。自分が守ってあげなければならない。そして、初恋のパク・ジアンが後宮で見初めた美しい王女であったという希有な幸運を奇跡と感謝するべきだ。
 王女はまた藤棚を見上げている。よほど藤の花が好きなのだろう。
 チュソンはそっと声をかけた。王女を愕かせないための配慮だ。
「本当に白藤がお好きなんですね。十年前も、白い藤の刺繍入りのチマをお召しになっていた」
 王女が視線を動かし、チュソンを見つめる。
「一つだけ訂正させて頂けませんか」
「はい、何でしょう」
 チュソンが見つめ返せば、王女はまたも視線を逸らす。やはり、まだ自分という存在を受け入れてはくれていないのだと、少し残念に思った。
 だが、焦りは禁物だ。これから先は長い。自分たちにはまだ時間がたっぷりあるのだから、少しずつ互いへの理解を深めてゆけば良い。
 王女は女性にしては少し低めの声で言った。耳に心地良い声音ではあるが、気をつけて聞いていると、時々、声が低くなるときがあった。本人は意識して地声より高い声を出しているようにも思える。
 チュソンが咄嗟に感じたかすかな違和感は、王女の続く話で中断された。
「父を誤解しないで下さい。噂だけを聞けば、父が私を冷遇しているように思われるかもしれませんが、事実は違います」
 チュソンは眼をまたたかせた。
「お父上というと、国王殿下の御事ですね」
 王女は頷き、真摯な面持ちで言った。
「先ほど、あなたはおっしゃいましたね。私が王宮で淋しく暮らしていると」
 チュソンは慌てた。
「失礼な発言でした。翁主さまのお気持ちを傷つけてしまったのですね。心からお詫びします」
 王女が淡く微笑った。
「別に吏曹正郎さまを責めているわけではありません。ただ、父は私をちゃんと気に掛けてくれています。そのことをあなたには知っておいて欲しくて」
 チュソンは少し躊躇い、思い切って言った。
「こんなことを申し上げると、ますます翁主さまに疎まれてしまうかもしれませんが」
 前置きして言葉を継ぐ。
「世間では、そのような見方をしている者たちが多いのは事実です」
 王女はまた藤棚を無心に見上げている。
「娘を冷遇している父親が娘の結婚に対して、ここまでの配慮をするでしょうか」
 あっと、チュソンは声を上げた。
「翁主さまが白い藤をお好きだから、殿下がわざわざこの屋敷を用意された?」
 チュソンは今更ながらに思い至った。新居として用意されたこの屋敷は、若い新婚夫婦が暮らすには立派すぎるほどだ。調度などもすべて真新しく、しかも一流の職人が丹精を込めて作り上げた技術の粋を感じさせるものばかりだ。
 更に広い庭には藤棚まである。しかも、紫の藤はなく、白い藤ばかりだ。これは王女の好みをよく知る父親だからこその心遣いに違いなかった。
「確かに国王殿下は、表向きには私に隔てを置かれているように振る舞われています」
 チュソンは訝しげに言った。
「表向きーですか?」
「ええ、そう」
 王女はチュソンを見た。
「殿下は中殿さまに遠慮されているのです」
「ー」
 王女が言わんとしていることは判らないでもなかった。央明翁主は王妃の生んだ娘ではない。彼女の生母はかつて王の寵愛を後宮で独占したという側室だ。
 正妻たる王妃が良人の愛を奪い、あまつさえ子を産んだ女を憎んでいたとしても当然だ。チュソンは王妃の美しいけれど、険のある眼許を思い出した。
 我が伯母ながら、王妃には底知れぬ怖ろしさを感じずにはいられない。気に入らぬ者、邪魔立てする者は容赦なく排除しそうな危うさもある。
 王女は淡々と言った。
「中殿さまは殿下が私に情を示すことを歓ばれません。ゆえに、普段は私に冷たい態度を示されますが、真実は違います」
 チュソンは頷いた。
「判りました。殿下は本当はお優しい父君なのですね」
 王女が微笑む。
「王妃の眼がありますから、父は私の許を大っぴらには訪れません。でも、折に触れ、珍しい果物やお菓子、時には玩具に手紙を添えて届けてくれました」
 チュソンは嘆息した。
「しかし、おかしいでしょう。殿下はこの国では至高のお方です。いかに中殿さまがご機嫌を損ねようと、そこまで遠慮される必要はないのでは」
 王女は首を振った。
「そういえば、中殿さまは吏曹正郎さまの伯母上でしたね。ですから、あの方がどれだけ怖ろしいかご存じない」
 含みのある言い方には、何か不穏なものを感じる。周囲には誰もいるはずがないのに、チュソンはつい声を落とした。
「何があったのですか」
 王女が感情の読めない瞳で彼を見た。
「私の母はお産が元で亡くなったのではありません」
「ーっ」
 チュソンは息を呑み、俄に背筋が粟立つのを感じた。
「まさか、中殿さまが」
 彼の呟きに、王女は頷いた。
「ご推察の通りです」
 翁主の母は、お産そのものは極めて軽かった。元々健康な女性で、産気づいてから一刻半で出産を終えたという。
 むろん、産後の回復も良かった。にも拘わらず、肥立ちが良くないと御殿に閉じこもったのは、ひとえに御子のためだった。
「ご存じかどうかは判りませんが、私の母とほぼ同時期に中殿さまもご出産されました。私には腹違いの兄になる御子を生まれたのですよ。ご自身の御子は儚くなったのに、私は元気そのものです。中殿さまは随分と悔しがり、死ぬなら何故、私の方が死ななかったのかとまで言われたそうです。母は中殿さまがいつ私を殺しにくるかと戦々恐々としていました」
 だから、王女を抱きしめ、日がな殿舎に閉じこもっていたというのか。
 チュソンには理解に苦しむ話だ。
「ですが、あなたは女の子でしょう。王位継承には関係ない。なのに何故、中殿さまがあなたを排除されるというのですか」
 幾ら嫉妬深い伯母でも、生後間もない赤児を手に掛けはすまい。
 王女がフと笑った。随分と儚げな笑みだ。
「ですから、あなたは王妃を理解していないと言うのです。私が一歳の誕生日を迎える前日、母は亡くなりました」
 その日、王妃から届け物があったそうだ。小麦粉と蜂蜜を混ぜて揚げた菓子で、表面には粉雪のように砂糖をまぶしてあった。
 淑媛は歓んでそれを食べ、半刻後、お付きの女官が居室を覗いたときは既に事切れていた。
 チュソンは声を震わせた。
「中殿さまが賜った揚げ菓子に毒が入っていたのですね」
 王女が静かな眼で彼を見た。
「いいえ。王妃が下さった菓子から毒は検出されませんでした」
 たとい王妃とはいえ、自らが贈った菓子を食べた直後、側室が死んだのだ。当然ながら、義禁府が一通りは調査したはずだ。
「では、何故、淑媛さまは亡くなられたのでしょう」
 チュソンの問いに、王女はうつむいた。