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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【前編】

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 あの時、両親は猛反対していた。特に母は息子の突然の宣言を聞き、失神しかねないほど神経を高ぶらせていたのだ。父もまた王女を息子の嫁に迎える気は毛頭なさそうで、この恋はやはり絶望的だと落ち込んだ。
 何とかして王女にせめてこの想いだけでも伝えたいと考えてみたものの、手段が浮かばなかった。たとえ伝えたところで、王女から色よい返事を貰えるとは限らない。
 あれこれと考えて結局、袋小路に迷い込んだ形となり、食事もろくに喉を通らず、夜も眠れない仕儀となった。
 あの日、父はどうやら王宮に出向き、王妃と面会したらしいのだ。そう、丁度、チュソンがチョンドク夫婦と門前の道で遭遇した日のことだ。あの日は非番のはずの父が王宮に向かうらしいのを見て、愕いたのまで憶えている。
 父はあの日に中宮殿で王妃に謁見し、央明翁主とチュソンの結婚の許しを得たということを父自身から同じ日の夜に聞かされた。
 そのときの気持ちを、どのように表現したら良いのだろう。天に昇る心地という言葉があるけれど、そんなものでは追いつかないほどだった。
 どうせまた小言を食らうのだろうとチュソンらしくもなく、挑むような眼で父を見ていた。そんな彼に、父は家族で花見に出掛けるのが決まったのと同じ口調で結婚が決まったのだと言った。
 王女を我が家に迎える気負いもまた栄誉だとする大仰な感激もなく、ただ決定事項を淡々と告げるという感じだった。
 父は立ち上がり、茫然とするチュソンの側に来て座った。
ーよもや我が家が畏れ多くも国王殿下のご息女を頂くことになるとは考えてもみなかった。されど、これも縁というものだろう。チュソン、王女さまであろうと、ただのか弱い女人であり、年若い娘にすぎない。そなたとは生まれも育ちも違う方ゆえ、最初は互いに戸惑うこともあろうが、労って差し上げなさい。
ー父さん(アボジ)。
 チュソンは思わず父に抱きついた。
 ジョンハクは笑いながら、チュソンの背中を叩いた。
ー嫁を迎えようかという大人がまるで子どもだな。
ーありがとうございます、父上(アボニム)。
 チュソンは満面の笑みで父に抱きついたまま、礼を言った。息子の歓びようを見て、ジョンハクもできれば逢いたくない異母姉に逢い、頭を下げた甲斐があったものだと思ったのだが。
 母ヨンオクの反応は、父とは真逆であった。母は父が王妃に王女降嫁を願い出ることを知らなかったのだ。確かに父よりは母の方がムキになったように王女降嫁に反対していた。
 父は母が余計な口出しをしないよう内緒にして、王妃に降嫁を願ったのだろう。結果、降嫁の許しは出た。最早、母がどれほど異を唱えようと、チュソンと王女の婚姻は決まったも同然なのだ。
 歓びに浮かれていたチュソンは、ふとその場に母の姿がいないのに気づいた。
ー父上、母上はこのことをご承知なのでしょうか?
 息子の声に不安を感じ取ったのか、父は溜息交じりに言った。
ーヨンオクにも既に話はしている。今はまだ突然のことで混乱しているようだが、おいおい冷静に事実を受け止めるだろう。
 けれども、父が言うように容易くはなかった。母はいまだにチュソンとはろくに口をきこうともしない。父とも冷戦状態は続いているようだ。
 父はもう放っておくしかないと半ば諦めの境地らしい。
ーヨンオクが臍を曲げているのは、何も王女さま降嫁を願ったからではない。母は、そなたの結婚そのものに反対しているのだ。
 物言いたげなチュソンの肩を、父は愛情を込めて叩いた。
ーそなたはヨンオクにとっては、手放しがたいほど自慢の息子だということだ。されど、そなたももう大人だ。科挙にも合格し、任官したからには、いつまでも独り身でいるというのもかえって外聞が悪い。私は今回のご縁をありがたいものだと受け止めているよ。
 父の言葉は、チュソンの心に滲みた。世間ではよく息子の嫁を姑がいびるなどという下世話な話を聞く。母親にとって手塩にかけて育てた息子を嫁に託すというのは、息子を取られるに等しいらしい。
 母は両班家に生まれ育った、貞淑な女性だ。むろん、教養も備えている。そんな人がよもや流行小説に登場する姑のように嫁いびりをするなぞ、信じられない。もちろん、自分の気の回し過ぎだと信じたいし、そうならないのを祈るしかなかった。
 父から突然、王女との結婚が決まったと聞かされてから、一ヶ月が経過した。その間、チュソンが央明翁主と逢うことは一度もないままに日は過ぎている。
 もっとも、両班や王族の結婚とは、それが当たり前だ。ひどいときには結婚式当日まで、新郎新婦が顔を合わせないという例もあるし、珍しくはないことだ。
 自分たちはまだ、こうして祝言前に対面できただけでも恵まれていると思うべきだ。
 約束の刻限に、羅家の門前の道に立派な女輿が横付けになった。屈強な男たちが輿を担ぎ、お付きらしい若い女官が側に立っている。
 チュソンは軽やかな足取りで門から道まで続く階段を駆け下りた。チュソンを認めた女官が頭を下げて挨拶する。
「翁主さまは、中においでか?」
 小柄で丸顔の女官は愛らしい顔立ちだが、央明翁主の美貌には比べものにならない。
 女官はどこかチュソンを警戒するような眼で見て、小さく頷いた。
「では、そろそろ参ろう」
 チュソンは馬で、王女は輿でそれぞれ新居を目指した。チュソンはゆっくりと進む輿に合わせて馬を並足で歩かせた。
 いかに央明翁主が日陰の花のような暮らしをしているとはいえ、国王の娘を羅家の邸に迎えるわけにはゆかない。婚姻に先立ち、新婚夫婦が暮らす新居を用意しなければならない。
 それもまた母には不満の種らしかった。釣り合いの取れた両班家から嫁を迎えれば、わさわざ新居なぞ探さずとも良い。母はチュソンが結婚しても息子夫婦と同居もできるし、孫ができれば、しょっちゅう孫の顔も見られる。
 しかし、別居となれば、思うように息子にも会えず、孫が生まれても抱っこもできない。
 二人の新居として用意されたのは、羅氏の屋敷がある同じお屋敷町ではあるが、かなり離れた外れに位置している。まともに歩けば四半刻はかかるだろう。
 この屋敷は、国王自らが王女のために決めたものだという。国王は、とうに亡くなった末端の側室が生んだ娘に普段は殆ど父親としての情も関心も示さないらしいが、やはり王室を離れるとなると、親らしいことの一つもするのだろうか。
 高貴な人々の考えることは、チュソンは理解できない。ゆっくりと進んだため、四半刻よりはかかり、新居の前に到着した。羅家と同様、やはり人気の無い細い道から階段が続き、門を経て敷地内に至る。大体、どこの両班家でも似たような屋敷の作りだ。
 もっとも、両班とは名ばかりの零落した家では、到底屋敷とはいえないような仕舞屋に暮らす場合もあるにはある。
 階段下に輿が横付けされた。女官が正面の扉を開け、靴を揃えて置く。輿から降り立ったのは、たおやかな女人だった。まさしく、二ヶ月前、後宮の庭で見た麗しの姫君に相違なかった。
 チュソンの胸は早鐘を打ったように音を立て始めた。今日の王女は薄桃色の上衣に、鮮やかな緑のチマを合わせている。白い小花が刺繍された靴も濃い緑だ。