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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【前編】

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 王妃お声がかりの縁談となれば、相手の娘はむろん両親も否とは言えまい。ジョンハクの考えを王妃は的確に言い当てた。
 ジョンハクは頭を下げた。
「畏れ入ってございます」
 王妃は紅色に染めた指先を眺めつつ言った。
「良かろう。他ならぬ弟の頼みであり、甥のためだ。口をきくくらいならば、容易きこと」
「ありがとうございます」
 ジョンハクは床に頭がつくほど垂れた。
 王妃がわずかに首を傾ける。
「して、相手の娘の親は?」
 ジョンハクは眼を瞑り、ひと息に言った。
「央明翁主さまです」
「ー」
 王妃の美しい顔から表情が消えた。一切の感情が抜け落ちた顔で、ジョンハクを見ている。
「これはまた思いも掛けぬ名を聞くものだ。一体、チュソンがどうやって央明と知り合ったのだ?」
 ジョンハクはまたも冷や汗をかきながら説明する。
「過ぐる日、投壺をなさっておられた聡明公主さま、央明翁主さまをチュソンが見かけたそうです」
 王妃は納得顔で頷いた。
「なるほど、チュソンが確か出仕初日に私の許へ挨拶に来たことがあった。恐らくは、その日、チュソンが央明を見かけたのだな」
 ジョンハクは黙って聞いていた。否定しないのは肯定と同じだ。
 王妃が考え込む風情になった。
「央明、か」
 央明王女はけして幸せとはいえない星の下に生まれている。ジョンハクも王女の生い立ちについて、おおよそは知っている。
 十九年前、王妃が第一王子を懐妊した年、ほぼ同じ時期に側室も懐妊した。予定日も近く、どちらが先に出産するかは判らないと医官は言った。
 先に産気づいたのは王妃の方だった。残念ながら、王妃が生んだ第一王子は死産、王妃に遅れること十四日後、側室も産気づいて無事に女児を出産した。
 同じ兄妹ながら、明暗を分けた運命となってしまった。更に王女を生んだ側室は産後の肥立ち良からず、一年後に亡くなっている。
 元々、央明翁主の母は、強力な後ろ盾を持たず、生母を失った幼い姫は後宮の片隅で忘れ去られた花のように、ひっそりと暮らしている。
 央明翁主の母は、女官上がりであった。打てば響くような才気と、匂いやかな白百合のような美貌はその頃、かなり目立つ存在であったらしい。国王は女官に夢中になり、眩しいほどの寵愛を受けていたとの話だ。
 王のお手が付いてからは特別尚宮となり、出産後は淑媛の位階を賜った。実のところ、王妃はこの淑媛を至極嫌っていたという。 嫌うどころか憎み、色々と嫌がらせをしたとかしないとかというのは今も語りぐさとなっている。
 というのも、淑媛が寝所に呼ばれるようになって、王妃にはまったくお声がかからなくなったからだ。もっとも、これは王妃だけではなく、他の大勢の側室たちも同じだったのだが。あの頃、王は淑媛だけを連日のように召していた。王妃にとっては淑媛は?良人の愛を奪った憎らしい女?という話になるのだろう。
 そのせいか、王妃は央明翁主を冷遇しているとの専らの噂だ。
 王妃所生の王女ならともかく、何かといわくつきの央明王女を妻に欲しいなどとは、なかなか言い出せるものではなかった。しかし、チュソンのやつれた様を見て、これはもう王妃に直談判するしか道はない。ジョンハクが普段滅多に訪問もせぬ姉を訪ねた理由だ。
「良かろう、央明をチュソンに遣わしましょう」
 突如として沈黙を破り、王妃が宣言した。
 あまりにあっさりと許可が出たため、ジョンハクは愕いた。
「国王殿下の大切なご息女を我が家に頂くなど、本当によろしいのでしょうか」
 暗に国王に許しを得ずに決めて良いのかとほのめかしたのだがー。王妃は声を立てて笑った。
「殿下は央明のことなど、気にはされないだろう。むしろこのまま王宮で朽ちるよりは、たとえ分家とはいえ名門羅氏に迎えられることをお歓びになるはずだ」
 さりげなく?分家とはいえ?とあてこすりを入れるところがいかにもこのひとらしい。更に義理とはいえ娘に当たる央明王女に対しても、あまりの酷い言い様だ。王妃の立場であれば、生母を幼くして亡くした義理の娘の母代わりとなるのが本来の役目なのに、この言いようはどうだろう。
 まるで厄介払いができると言わんばかりではないか。
 国王も国王である。存命中の生母をさんざん寵愛し央明王女を生ませておきながら、母親が亡くなると残された娘をあっさりと見捨てるとは、嘆かわしいことだ。
 王妃の麗しい面には、ほのかな微笑が浮かんでいる。何事か企んでいる策士の表情を思わせる。
「安心するが良い。殿下には私からきちんと話を通しておくゆえ」
「何からか何まで、ありがとうございます」
 ジョンハクはまた異母姉に深く頭を垂れた。立ち上がって一礼し、室を出る。室の外には尚宮が待っていた。扉を閉める寸前、耳に障る高笑いが聞こえたのは錯覚であったか。
 紛うことなく、王妃の笑声であったはず。しかし何故、王妃があのように笑う必要があるのか? あれは、してやったりと誰かの不幸を歓ぶ者のほくそ笑みのようだ。
ーむしろこのまま王宮で朽ちるよりは、たとえ分家とはいえ名門羅氏に迎えられることをお歓びになるはずだ。
 側室の子、分家の子、共にたいした身ではないから釣り合いが取れるーとでも言わんばかりのあの科白。その意味は言葉通りのものだけでしかないのか、それとも、もっと深い意味があるのか?
 何やら胸騒ぎがしてならなかった。更に、王妃があまりにもあっさりと結婚許可を出したのも気になる。
 あの異母姉には、何かもっと思惑があると思っても、現状、手の打ちようがない。何しろ当人のチュソンが寝ても覚めても央明翁主に心を奪われているのだから。
 ジョンハクは来たときと同様、尚宮の先導で中宮殿を出た。殿舎から庭へと続く階を降りきった時、彼は思わず振り向かずにはいられなかった。階段の傍らには、紅白の梅が今、盛りである。満開の花から芳香が漂い、何とも早春を感じさせてくれる長閑な午後だ。
 中宮殿は澄んだ春の陽差しを浴び、威容を誇っている。
ー何事もなければ良いが。
 ジョンハクは胸に兆した不安を払うように首を振り、歩き始めた。
 
父ジョンハクの不安が嘘のように、チュソンの縁談はとんとん拍子に進んだ。
 その日、チュソンは央明翁主と二人、新居を見にゆくことになっていた。約一ヶ月前、またも父の室に呼び出された。内心、チュソンは首を傾げたものだ。
 三月初めにも、やはり父に呼び出され、厳しい叱責を受けた。理由は初出仕にも拘わらず、チュソンが心ここにあらずでミスばかりしていたからだ。普段から考えられないミスを繰り返し、上官が堪忍袋の緒を切らしたのだ。
 あれは上官や父が怒るのも無理はないと、チュソン自身も考えている。あのときのことがあるので、二度目の呼び出しも説教に違いないと思い込んでいた。
 神妙な面持ちで文机の前に座り込んだチュソンに、父は常と変わらぬ生真面目な顔で言った。
ーそなたの婚姻が決まった。
 刹那、チュソンは弾かれたように面を上げた。もしや、央明翁主への恋慕を告げたから、他の女人と無理に結婚させられるのか?