Shred
車庫から突然鳴り響いた銃声で足を踏み外し、川宮は階段の途中から一階まで転げ落ちていた。散弾銃が暴発することはなかったが、片手を離すのが遅れたことで、川宮は頭から一階の床に激突していた。意識が朦朧とし、どちらが天井かも分からなくなったまま、それでも散弾銃を拾い上げた川宮は、台所の方へふらふらと歩くとシンクに手をついた。痛みを感じない代わりに、新しい臓器が作られたように、頭の左側が激しく脈打っている。
弓削は、蓮町の指を折りかけていた手から力を抜いた。何度も聞いた、四五口径の懐かしい銃声。冬本が来た。電話すると言っていたが、珍しく忘れていたらしい。自力でここを探し当てたのなら、それはいかにも『冬さん』らしいやり方だ。蓮町が弓削の表情に気づき、本当に恐れていたことが起きたような、いよいよ死を覚悟した目を向けた。弓削は、蓮町が本当に恐れているのは冬本だということに今更気づき、小さく息をついた。薄々分かっていたが、やはり自分の力では足りなかった。
「よかったな、真打ち登場だ。ちょっと休憩すっか」
「オヤジさん」
藤松の後ろで門林が立ち上がり、部屋から飛び出そうとしたが藤松の足につまずいて、前のめりに転倒した。頭に直接電気を送り込まれたようにその動きは唐突で、突然電源が入った機械のようだった。
「大丈夫?」
藤松が手を伸ばそうとすると、門林は立ち上がりながら首を横に振った。大丈夫でないという風に解釈した藤松は、呟いた。
「下は危ないと思う」
門林は分かりきったことのように、うなずいた。藤松の肩をぽんと叩くと、言った。
「フジは、ここにおったら安心」
門林は大きな足音を立てながら、階段を下りていった。台所でシンクにもたれかかっている川宮を手で押しのけると、真壁が八宝菜を作るのに使う直径三十センチの中華鍋を掴んだ。押しのけられた衝撃で川宮が手を振り回し、門林は叫んだ。
「じっとせえ!」
冬本は吉田の頭にオフィサーズを突き付けて、言った。
「藤松はどこにいる?」
体の半分を真壁の死体に覆われた吉田は、返り血で真っ赤に染まった顔で、二階を見上げた。
「多分、二階におる」
冬本は、銃口を逸らせた。田中は、二階に大男がいるのが見えたと言った。真壁は甥だと言い、この『甥』がお前を殺すと言って、脅した。その時点では、まだ歯が全て残っていたから威勢が良かった。残りの歯が過半数を切った辺りで、甥は体力だけが取り得の大男で、名前は門林であることが分かった。そして、遊び相手として連れてきたのが、藤松だということも。これだけ確認すれば、藤松も二階にいると考えて、間違いないだろう。再び吉田にオフィサーズの銃口を向けようとしたとき、冬本は慌ただしい足音に振り向いた。それは、荷物を二階から転がして落としたような音で、冬本はオフィサーズの銃口を家の中へ向けると、一歩隣にずれた。静まり返って数秒が経ったとき、部屋の中で影が素早く動き、中途半端に垂れ下がっていたドアが爆破されたように破られた。
「お前!」
門林は叫ぶのと同時に中華鍋を振りかぶり、オフィサーズを構えた冬本に向かって投げた。冬本の撃った二発は鍋の底に命中して跳ね返され、中華鍋は勢いを失うことなく冬本の手からオフィサーズを弾き飛ばした。門林はそのまま突進すると、冬本をランドクルーザーまで跳ね飛ばした。オフィサーズが床に落ちて、冬本はその位置を右目の隅で確認すると、門林の顎に向けて頭を突き上げた。舌の一部を噛み千切る鈍い音が鳴り、門林は苦悶の表情を浮かべながら後ずさった。冬本がオフィサーズを拾おうと手を伸ばしたとき、門林は苦しみながらも足を振り回し、それが冬本のがら空きになった脇腹に命中した。門林がそのまま体を掴もうとしたとき、冬本の繰り出したアッパーが再び顎に命中し、門林は野生動物のように体を縮めながら後ずさった。
吉田は目の前で始まった格闘の衝撃で、我に返ったように冷静さを取り戻した。まるで、頭の一部が今まで停止していたようだった。真壁の上着のポケットを片手で探り、手錠の鍵を探し当てた吉田は、真壁の死体を脇へ蹴飛ばして、殺し合いからできるだけ距離を置きながら手錠へ鍵を挿し込んだ。頑強なロックがあっさりと外れ、腕を支点に吊り下げられていた吉田は、思わず地面に倒れた。
川宮は、台所でどうにかまっすぐ立ち上がれるだけの意識を取り戻し、ふらつきながら車庫へ続くドアまで歩いた。散弾銃のグリップを右手でしっかりと握り、自分が破ったドアが垂れ下がっているのを見ながら思わず笑った。散弾一発で、こんな簡単に壊れるとは。視線を上げると、車庫の中に門林の背中が見えた。川宮は、そのまま銃口を持ち上げようとしたが、息が抜けたことで力が入らず、狙う前に引き金を引いた。
門林と間合いを取った冬本がオフィサーズに意識を向けたとき、銃声が鳴り響いてランドクルーザーの窓が粉々に割れた。飛びのいた冬本は、『中の下の背が低い方』である川宮が散弾銃を持っていることに気づいた。門林が振り返り、叱りつけるように叫んだ。
「じっとせえ!」
川宮は、門林の顔に向けて引き金を引いた。何も起きず、二発を撃ち尽くしたことに気づいた川宮は、薬室を開いて空薬莢をはじき出し、ポケットを探った。ようやく手が掴んだ散弾は方向があべこべで、薬室に入っていこうとしなかった。
門林は向き直ったとき、拳銃を拾うという行為自体を諦めた冬本の右ストレートを顔の中心に受けた。鼻の骨が折れ、同時に冬本の中指も鈍い音を鳴らして折れた。
藤松は階段を下りきって、ありとあらゆる音が鳴り響く一階へ足を踏み出した。車庫から戻ってきた吉田と鉢合わせし、小さく悲鳴を上げた藤松はその場に尻餅をついた。返り血で真っ赤になった吉田は言った。
「静かに」
藤松が右手にロボットのスマートトイを握りしめていることに気づいて、今までの馬鹿馬鹿しい人生を締めくくるように、吉田は笑った。
「それは、武器にならんで」
玄関から出て、吉田は大きく息を吸い込んだ。家の中と違って、外の空気はあまりにも澄んでいる。しかし道路上には、真壁が生きていたら『ちょー』と文句を言うに違いない光景が、広がっていた。キャラバンは砂利に突っ込むように斜めに停められているし、その手前には、完全に道を塞ぐステップワゴンがいる。吉田は、眼鏡のレンズ全体に広がった返り血を袖で拭うと、肩で息をしながらステップワゴンに目を向けた。その背後から出てきた女に気づいて、目を見開いた。田中は言った。
「よう」
その手に、ガムテープで補修されたマカロフが握られていることに気づいて、吉田は笑った。真壁が貸してくれていた『最後の手段』。弾がなくても、脅すぐらいはできる。
「ははは」
吉田は笑った。田中は釣られたように一瞬だけ笑顔になると、真顔に戻って言った。
「笑うとこ、どこよ?」
吉田が答えるよりも前に、田中はその顔へ三発を撃ち込んだ。