Shred
川宮は、玄関で脱いだ靴を反対に向けて、逃げ出すための動作を前もって体に覚え込ませようとした。二階からはゲームの音がしていて、いつもよりうるさく感じる。おそらく、門林と藤松が一緒にやっているのだろう。問題は、真壁がいないことだ。川宮は車庫と家を隔てるドアを開けようとしたが、それも開かないことに気づいた。確か、反対側に南京錠がぶら下がっていた。それが役割を果たしているのは、今まで見たことがない。川宮は車庫を諦め、窯に繋がる裏口のドアに触れた。今度はあっさりと開き、思わずドアノブから手を離した。二度あることは三度ある、ではなく、三度目の正直だ。禍々しい焦げ跡の残る窯は背が高く、何かが焼けた後の煙るような匂いが、まだ残っている。川宮は地面に散らばった健康サンダルを足で寄せて履き、数歩歩いた。そして、足を止めて見回したとき、角に立てかけられた細長い傘のような物体を見つけ、それがベレッタ686であることに気づいた。ポーチも下に置いてあり、川宮は屈み込んでファスナーを開いた。八発。つまり、二発は散弾銃の中だ。川宮はポーチから散弾を取り出して、上着の両側へ四発ずつ押し込んだ。散弾銃を静かにブレークオープンさせて二発の鹿撃ちが薬室から覗いたことを確認すると、手に持って家の中へと戻った。
二発を装填したのは、恐らく吉田だ。呼びたいが、声を出すと門林の注意を引いてしまう。川宮はスマートフォンを取り出し、吉田の番号を鳴らした。これはゲームの音なのか、それとも着信音が裏で鳴っているのか。川宮は判断がつかないまま発信を続けながら、散弾銃の銃口を下げたまま家の中を見回した。顔を一周させて元の位置に戻したとき、玄関のドアが乱暴に開けられ、川宮は散弾銃を手に持ったまま飛びのいて尻餅をついた。弓削が蓮町を引きずって土足のまま入って来ると、床へ投げ捨てるように蓮町を突き飛ばして倒し、言った。
「おい、計画変更。もうこいつ、やっちまうわ」
川宮が両手で支えるように持つ散弾銃に気づき、弓削は顔をしかめた。
「オーバーアンダーか? 渋い銃持ってんな」
二階から聞こえるゲームの音量が下がり、川宮は声を落として弓削に言った。
「静かに。気づかれる」
「誰に? 真壁と女以外に、誰かいるのか?」
音が静かになり、小さな振動音が鳴っていることに気づいた弓削は、周囲を見回した。
「ケータイ、鳴ってんぞ。車庫だ」
川宮は車庫へ繋がるドアを見たが、首を横に振った。
「鍵がかかってんねん。南京錠や」
「ドアは木だろ? そいつで吹き飛ばせよ」
弓削が言い、川宮はいよいよ覚悟を決めて、二階にいる『切り札』を明かす決意をした。この状況では、門林が切り札なのかも分からない。むしろ手元に散弾銃があるのだから、邪魔にすら感じる。
「上から……、くそ。言うてなくて申し訳なかったけど、真壁にはニートの甥がおるねん。これを撃ったら気づかれる。そうなったら、ややこしいぞ」
川宮が説得するように言うと、弓削は気まずい場面に出くわしたように眉を曲げたが、真顔に戻って言った。
「そのニートも、そいつで吹き飛ばせよ」
川宮は無意識に笑った。弓削は考え方がとことん単純で、行動も一直線だ。その迷いのなさに、初めて羨ましいという感情が湧いた。これだけ好き勝手に生きて、今も自分の親分をどうやって殺すかということばかり、考えている。キャラバンで弓削と二人きりになった数分で、蓮町は血こそ流していないものの、体に効く暴行を相当受けたように見えた。
川宮は散弾銃のストックを肩につけると、反対側に南京錠があると思しき位置へ、銃口を向けた。弓削は教官のように銃身へ手を伸ばし、位置を調整しながら言った。
「錠にまっすぐ当てんなよ。ヒンジとドアの継ぎ目に当てろ。弾は何?」
「十二番の鹿撃ち」
川宮が更なるアドバイスを期待して弓削の顔を見ると、弓削は苦笑いを浮かべながら言った。
「撃て」
川宮は引き金を引いた。オレンジ色の炎が爆発音と共に噴き出し、木のドアが体当たりされたように大きく歪んで風穴が開き、枠が動いた。弓削が蹴飛ばすと、ドアは内側に落ち込んで垂れ下がり、川宮は柱に手錠で結ばれた吉田の姿を見つけて、叫んだ。
「おい!」
吉田は意識を失っていて、呼びかけには応じなかった。川宮は車庫に入り、ランドクルーザーが停まっていないことに気づいた。周囲を見回した後、置き土産のように床へ放られた誘拐セットのリュックサックを拾い上げて埃を払い、肩に背負った。集められるものは、できるだけ持っておいた方がいい。
少しだけ開いた窓を通して、微かな破裂音が聞こえた。花火か、遠くでタイヤがバーストしたような音。この仕事をする前なら、それ以外の解釈を知らなかった。田中はスマートフォンを手に取って冬本の番号を鳴らしたが、電源はまだ入っていなかった。直感のままにシートベルトを締めて同時にシフトレバーをドライブへ入れると、田中はアクセルを踏み込んだ。
あの銃声は、冬さんじゃない。
「今の音……」
藤松は肩が痛くなるぐらいにすくめた首を、少しずつ伸ばしながら呟いた。ただの音じゃない。家全体が揺れた。門林も困惑した様子で、一時停止ボタンを押した。
「銃」
短く呟き、門林は立ち上がるとカーテンを押しのけて窓を開け、一階を見下ろした。
「知らん車が来た」
藤松が部屋から外を見ようと体を曲げたとき、窓を閉めた門林は慌てた様子で手を伸ばし、藤松を中へ引き戻した。
「出たら危ない。ここは安全」
体を引かれた勢いで仰向けに転がった藤松が起き上がり、元の位置に腰を下ろしたとき、門林の言葉を証明するように階段を駆け上がって来る足音が鳴り響き、顔を出した川宮が言った。
「カドバ、手錠の鍵ないか?」
田中は脇道の入口でヘッドライトを消し、一気に上り坂を上がった。視界の隅で二階の窓が一度開き、そこから巨大な男の顔が覗いたことに気づいた。二階に一人。目までは見えなかったが、その立ち姿からして異様で、何かが人間的に恐ろしくずれているような印象があった。ほとんど真っ暗な道の中、玄関と車庫だけがおぼろげに照らされていて、田中は玄関とその反対側に注目した。あの黒いキャラバンは路肩に前から突っ込まれていて、その様子は明らかに普通ではない。銃声は恐らく、家の中だ。
キャラバンの手前まで来たとき、ヘッドライトを消した車が坂の上から下りてきていることに気づいて、田中は急ブレーキを踏んだ。勢いを失ったステップワゴンが坂道の途中で停まり、すぐ目の前で横滑りしながら急停車したランドクルーザーは、GS350に突っ込んできたときと同じ鉄の塊だったが、そのフロントは戦果を誇示するように大きく歪んで、ほとんど笑っているようにさえ見えた。シフトレバーをリバースに入れようとした田中は、その時点で観念した。
この位置関係では、絶対に逃げきれない。
藤松は、川宮の手に握られた散弾銃を見て、呟いた。
「それは……、本物?」
川宮は、一発撃ったことでまだ痺れる肩を少し動かしてから、うなずいた。
「そうや。さっきのは銃声。うるさくてすまんな。で、カドバ。手錠の鍵知らん?」