Shred
レクサスGS350の車内は静かで、田中は蓮町の好みに合わせて、控えめなボリュームで月光の第一楽章を流していたが、自然と重くなる瞼をこじ開けるように、瞬きを繰り返していた。二日間で走る距離は五百キロほど。一つ目は数社が合同で立ち上げた再生プラントで、地上のごみを煙に変え、空中へまんべんなく吐き出している。
「第一は眠いだろ。第二と第三はテンポが速い」
新聞を読む蓮町が後部座席から言い、田中はオーディオのスイッチに手を触れた。
「変えますか?」
「メタルでもジャズでも、好きな曲をかけていいぞ。おれはこだわらない」
蓮町は新聞に向かって笑いかけると、窓の外を眺めた。弓削を殺すはずだった連中は、おそらく返り討ちにあったのだろう。弓削は単独行動が多いタイプで、即席のチームを組んで動くとは考えづらい。十年間で、三人の男を返り討ちにできるぐらいの技術を得たと考えるのが、自然だ。
「大した奴だ」
労うような言葉が自然と出て、田中はバックミラー越しに反応した。
「冬本さんですか?」
「いや、あいつの元部下というか、仲間だよ。例えば、立体駐車場の屋上で三人が待ってるとして。車はほとんど停まっていないから、遮蔽物はほとんどない。そこへ車で下から上がっていって、対面する。三人は全員武装していて、初めから自分を殺すつもりだ。生き残れるか?」
「私なら、立駐の屋上って時点で断りますね」
田中はオーディオのスイッチに再び触れて、テンポが速い第三に変えてから言った。蓮町は期待通りの答えが返ってきたことにうなずいて、言った。
「そうだろ。それを断らないだけじゃなくて、自分から罠に入っていきながら返り討ちにするような奴がいるんだよ。そいつに仕事を教えたのが、冬本だ」
会話はそれで打ち止めとなり、しばらくして郊外の山道にさしかかった。上り坂で登坂車線に入った観光バスを追い越した田中は、ブレーキ操作に気を遣いながらも、他の車には到底真似できない的確なステアリング操作で、ワインディングを縫い始めた。
逃げ場のない一本道は、素早く抜けた方がいい。
港の近くは人で賑わっていて、どちらかというとファミリー向けだ。増山は、普段家族と来ることもない場所に集う家族連れを眺めた。高校生が本当に行きたがるのは、この駅からもう少し先の、もう少し派手なショップが立ち並ぶエリア。学校で話題になるのは、そういう界隈に出ている店がほとんどだ。でも、夜になると体感治安は悪いし、制服でうろつけば補導される。お昼ならどこにいても安全だけど、藤松は長閑な方を選んだ。増山は、藤松のすぐ後ろを蓮町と並んで歩きながら、その背中に視線を送り続けた。年の離れた姉のような存在でもあるけど、今日の案内はその中にいる『藤松ママ』によるものだ。蓮町が派手でどぎついものを好むようには見えないし、そのことを証明するように、今は笑顔でカラフルなキッチンカーを眺めている。増山が蓮町の様子を見ていると、藤松が振り返って、わざとらしく鼻をひくつかせながら言った。
「お腹、空いてる?」
「せんせー、生徒と買い食いしたら怒られるんですよね?」
増山がからかうように言うと、藤松は笑い飛ばした。
「まー、そやろね。でもそれは、怒る方が悪い。好きなだけ怒ったらよろしいわ」
「お腹、空いてます」
蓮町が言い、同意を求めるように増山の方を見た。
「ね?」
「うん、いい感じに空いてる」
増山は答えながら、蓮町が初めて丁寧語を使わず話したことに気づいた。
「蓮町さん、丁寧語やめてさ。名前呼びにしよ。今から」
「はるか……、さん?」
蓮町が港全体の顔色を窺うように言い、増山は笑った。
「さんも要らんで、わたしは理緒って呼びたい」
「はるか、何を飲みたい?」
蓮町は思い切ったように早口で言い、少し紅潮した頬に両手を当てた。藤松が小さく拍手し、増山は大仕事を終えたようにうなずいた。
「クッキーが入ったバニラのシェイクがいいね」
藤松が三人分のシェイクを買い、テーブルを囲んで飲み始めたところで、蓮町が言った。
「先生、今日は業務外ですよね?」
「うん。さっき増山さんと話したことと被るけど、ルール通りにやるなら、これはご法度。でもな、転校生は特別。学校に来たその瞬間から味方がおらんと、ほんまに苦労する。私は親が転勤族で、転校のたびに当たり外れがあったから。自分が担任のクラスに来た子ぐらいは、当たりを引いてほしい。つうか、引かせる」
藤松は熱っぽい口調で語り、スピーチを終えたように小さく咳ばらいをした。蓮町はそのストイックな姿勢に感銘を受けたように目を輝かせると、言った。
「ありがとうございます」
増山は、教育の場になったテーブルを仕切り直すように、町で今までにあったことを話し始めた。二度と出くわしたくない不審者から、面白い店の話までを網羅したとき、向かい側で開店準備をしていたポップアップストアが看板を掲げ、増山と蓮町は同時にその方向を見た。増山は何も言わなかったが、蓮町は興味を惹かれたように首を伸ばした。
「綺麗なアクセサリー。ペアリングだって」
二人の向かいでクッキーとシェイクが同時に逆流するような鈍い音が鳴り、藤松が咽たことに気づいた増山は、慌てながら言った。
「せんせー、気管に入りませんでした?」
「大丈夫……、蓮町さん。交際相手はおる?」
藤松の言葉に驚いた蓮町は、目を丸くしながら首を横に振った。
「いいえ」
「おらんのね……」
藤松の口調が、ほとんどクッキーだけになったカップの残りのように濁り、増山は小声で蓮町の耳元に囁いた。
「多分やけどな。せんせー、彼氏と別れてん」
藤松が地獄耳で聞き取り、カップの蓋を開けてクッキーを食べながら、作り笑いを浮かべた。
「私事でごめん。契約満了いたしました。まー、振られたんですけどね」
「長かったですよね? なんか、自分も振られた感じがする」
増山が言うと、蓮町は海に面した展望台の方を向いて、言った。
「あっちの方へ歩きませんか」
蓮町が先導する形で、三人は展望台まで歩いた。人影がまばらになったところで、蓮町は藤松の方をまっすぐ向くと、言った。
「藤松先生。どうか、気を落とさないでください」
藤松は、校長先生と対面したときのように姿勢を正すと、気圧されたままうなずいた。
「オッケー……。立ち直ってみせるよ」
「破局した今、彼氏に言いたいことはありますか?」
インタビュアーのような口調に、増山は笑いそうになったが、それを堪えさせるだけの真剣さが、蓮町の目に宿っていた。
「私にも……、悪いところはあった。マジで。甘えすぎてた。でも、そういう喧嘩を全然せんかったから」
「それを、彼氏に言いたいですか? その前に言いたいことはないですか?」
「まあ、バカヤローって言いたいかな」
藤松が言うと、蓮町は体ごと振り向き、藤松を海に案内するように背中へ手を回した。
「では、叫びましょう。大声には自信ないですが、私も一緒に叫びますので」
増山が反対側から、蓮町の真似をするように藤松の背中へ手を添えて、言った。
「クラスを代表して、わたしも叫びますよ」