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「はい。私からすると、父より気軽に話せる相手なんです」
「一緒に来てくれたんや、いいなー。守り神やん」
増山が言うと、蓮町はその言葉に驚いたように、目を大きく開いた。やがてその口元が笑顔に変わり、増山は再びおかきを噛み砕く作業に取り掛かった。ラッコ父の背中が動き、外に制服を着崩した数人がいることに気づいた増山は、狭い窓越しに目を合わせてきた相手に手を挙げた。蓮町が覗き込もうとするのを手で制止しながら、言った。
「目とか合わせんでいいで」
素直に引き下がった蓮町は、言った。
「同じ高校の生徒ですか?」
「うん、煙草の闇取引。委員長やってるとな、色々と顔が広い方がいいのよ」
「一旦同じ立場まで下りて、仲間にする方法ですね。未成年でありながら煙草を吸っているということが、弱みになると。未成年に煙草を売っていると指摘されたら、家のおつかいで買いに来ていると思ったと言えばいいですし、実際彼らはそういう建前で買っているんですよね?」
蓮町が真顔ですらすらと言い、増山はその淡々とした口調に気圧されながら、瞬きを繰り返した。
「ちょいちょい怖いな自分。まあ、そういうことよ」
外の高校生がいなくなったことに気づいた蓮町は、自分に対する評価を受け止めるように愛想笑いを浮かべると、言った。
「今来た人たちとは、よく遊びに行くんですか?」
「いや、学校の外では付き合わんで。ちなみにさっき来てた四人は、左からチャボ、あずま、ペースケ。後はパシリの黒丸。別に覚えんでええよ。ペースケが同じ中学」
増山がすらすらと言うと、蓮町は今までで一番の笑い話を聞いたように、口元を押さえながら笑った。
「あはは。みんな、面白い名前ですね」
このまま続ければもっと笑うのではないかと考えて、増山は続けた。
「チャボの彼女はメイクが真っ黒で濃いからゴス美って呼ばれてて、学校は行ってない。で、三年の鶴田って人と二股してる。あずまは、ペースケとペアでよくナンパしてるわ。マジで、そういう知り合いがめっちゃおるねん、わたしは」
蓮町は引きつるように息をしながら、頬を紅潮させて笑い続けた。お茶に助けを求めるように一口飲むと、手で顔を扇ぎながら言った。
「本当に、お友達が多いんですね」
「まー、委員長病かな。あと、煙草屋の宿命からは逃れられまへんで。良し悪しでんな」
増山が言うと、蓮町は笑う前と比べて少しだけ線が柔らかくなった肩をすくめると、目を伏せながら言った。
「あの。私の家にも、いずれ来てくれますか?」
「行く」
増山は即答した後、大事なことを思い出したように、目を大きく開いて言った。
「引っ越したばっかで大変ちゃう?」
「まだ散らかってますが、頑張って片付けますので」
蓮町はそう言って微笑み、上品な仕草のままお茶を飲んだ。増山はその様子を見ながら思った。海外には海外の常識があるにしても、蓮町理緒の持つ『芯』は、少しヤバい人寄りな感じがする。
冬本は、スマートフォンをポケットから取り出した。ワンから送られた『私物』は、特定の港の決まったエリアに、特定の時間だけ出入りしている男に預けられることになっている。飲みに行った日の深夜に届いた段取りのメールによると、ドックの番号は七番、相手の名前は『ササモト』。工場地帯に囲まれるような立地の港で、片側二車線の道路が碁盤目のように張り巡らされている。逃げ道は多いが、交差点の数だけ死角が多いということでもある。とにかく、メールに書かれていた『水曜』が、ついに来たのだ。タクシーを使って取りに行く予定だったが、田中が『乗っけていきますよ』と言い、一応安全のために二人で行動することになった。主である蓮町に、娘の理緒。そして運転手の田中と、そこに居候している大男。最後の一人だけが場違いだ。冬本は自分をそう定義づけて、スマートフォンをポケットへ戻した。田中は、家が落ち着くまで雑務を手伝っているらしく、今はピアノの自動演奏機能を設定している。
理緒が県立双見高校に通い始めて、二日が経った。まだ学校の感想はしっかり聞けていないが、すでに連絡先を交換する仲の友達ができたらしく、父と話すその表情は快活で、明るく見える。今は、新しいピアノの部屋にカーテンを掛けていて、それは初日を終えて帰ってきた後、友達を呼ぶとき見栄えするようにと、色を一から選びなおした物だ。冬本がその様子を見ていると、田中がピアノの設定を終えて、大きな目をぱちぱちと瞬きさせながら言った。
「できました。いやー、ハイテクですね」
カーテンを掛けるために背伸びしていた理緒が振り返ると、言った。
「昔からあるみたいですよ。これ、私が向こうで使ってたピアノと同じ型です」
「凄いですね。理緒ちゃんが弾いてないときも、流れとったってことですか?」
「はい。私が演奏したのを録音して、その通りに鍵盤が動くんです。父が、お客さんが来るときに流すから、恥ずかしくて」
「それだけレベルが高いってことですよ」
田中はそう言うと、立ち上がりながらスーツのしわを伸ばし、振り返った。
「ほな、用事やっつけちゃいましょか」
「よろしくお願いします」
冬本が言うと、田中はてきぱきとした動きでキッチンにいる蓮町のところへ行き、言った。
「冬本さんと私物を回収してきますので、二時間ほど頂きたいです」
蓮町はキッチンで新聞を読んでいたが、目の動きだけで同意を示すと、アイスティーを一口飲んだ。田中はレクサスGS350のキーを手に取ると、一人の用事を済ませるようにつかつかと玄関まで歩き、パンプスを履いた。冬本が遅れてついて行くと、追いつかれることを拒否するように、田中はステップワゴンの隣に停められたGS350の運転席に乗り込んで、スニーカーに履き替えた。早足で助手席に乗り込んだ冬本は、スマートフォンを取り出して地図アプリを開いた。田中はナビの画面に触れてメニューを呼び出し、言った。
「住所、お願いしまっす」
「おれが案内する」
冬本が手で制止すると、田中は画面の上に虫を見つけたように、両手を挙げて体を引きながら目を見開いた。
「やめろって感じですか?」
「感じじゃなくて、そのまんまだよ。バイパスに乗ってくれ。港の方向だ」
冬本が手を引くと、田中は傷ついたように、大げさに眉をハの字に曲げた。流れの早いバイパスに合流し、時速八十キロまで加速したとき、冬本は言った。
「あんた、いくつだ?」
「セクハラって聞いたことあります? 最近、社会問題になってるらしいですよ」
前を見たまま、田中は笑った。冬本が自分の年齢を言おうと息を吸い込んだことに気づいて、逆に小さく息を吐きながら言った。
「二十五です。冬本さんは? 五十ぐらい?」
「四十二だよ」
冬本がぶっきらぼうに言い、田中が髪を揺らして微かに笑うと、やがて冬本も声に出して笑った。
「何がセクハラだ。年を当てるときは、見た目より多少加減するもんだろ」
沈黙が流れることを期待して冬本が視線を前に向けたとき、田中は言った。
「蓮町さんを海外で守ってたんですよね。理緒ちゃんから聞きましたよ。最強やって」
「おれが? 光栄だね」