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悔季 geki ~violent~

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 俺が近づくよりも早く、その男の相棒らしき男が近づいた。やはり普段と様子が違うのか、その男の肩へ手を当てながら様子を伺う。



「おい、お前どうした……あ、え……あ……ああああああああ!!」



 その男は腰が抜けたようにその場で尻をつく。それは窓に顔を向けた相棒の顔を覗いた時だろう。

 その顔に何が見えたのか、突然叫びだし、後ずさった。



「なんだっていうんだぁ? なんだっていうだってなんだってえ?」



「うああああああ!!」



 同じ言葉を繰り返す男。繰り返しているかと思った。それは繰り返しているのではなく、同時に声が発せられていた。

 振り返る男に、俺は動けなくなった。その男の相棒は腰を抜かし、もう一人いたクライマーは叫びながら二階へ上がった。



 窓を眺めていた男の顔から、別の顔が浮き出ていた。



 喉からも、もう一つの顔。確認できるだけで三つの顔がある男。それぞれ本体の男に似ているようで崩れたような顔。それは少しずつ形をハッキリさせ、すでに存在していたかのように顔の中から、喉の中から、外に出ようとしていた。

 男の履くズボンの中では何かが蠢いている。まるで中には蛇でも忍ばせているように尻から巻くように足に螺旋の凹凸を思わせる。



「うわあああああああ!!」



 ロッジのスタッフの男が襲いかかった。

 武器として抱えたもの、それは片隅に置いてあった季節外れのスキー板。恐怖に駆られた行動か、ロッジの支配人から何か深く聴いていたのか、その男はスキー板の平ではなくサイドの部分を真っ直ぐに構え、男へ振りかぶった。



「ぐぎゃあああ!! ……なんだっていうんだ……お前、何しやがった……なにしやがった。がぶああああ!! ぐぅあああああ!! グルルルルル……」



 男から生えていた顔が飛び出た。

 それは中でゆっくりと形を成していたものが一気に飛び出た。人間の顔と見えていたものは、白い牙を目立たせ、口元だけが顔面より前方へ突出させた。それは動物であれば犬であろう。

 振りかぶっていたスタッフはスキー板を再び振り下ろす事が出来なくなった。振り下ろそうとしたその存在は、すでに人間が抑え込む事ができるような存在ではなかった。

 意味があるのか、無意味な事なのか、すでに男と呼べなくなったその化物は、体を大きく左右へ揺らし始めた。その動きは、まるでまだ完全な形へ変貌していないのか、背中が痒いかのようにぐにゃぐにゃとくねらせる。

 俺は、いや、俺達はどうすればいいんだ。どうしてこのような怪物が存在している。どうして突然現れた。

 これは謎解きなのか。解くような謎なのか。

 変貌していくその化物に攻撃を加えれば、そのまま自分に飛びかかってくるのではないかという予感が拭えない。

 逃げるか。眺めるか。戦うか。

 どのように考えても、すでに現実味が無くなったこの空間。夢であることを願うだろうが、夢ではないと自信を持って言える。

 俺は一歩ずつ、横に動いた。それは逃げるためでなく、戦うわけでもなく、目の前で犬の顔を三つ突出した化物の後ろにある窓から、その頭を狙うライフルの銃口が見えたから。

 静かに狙う銃口。その銃口から放たれる威力に巻き込まれないため、俺は手招きでスキー板を握ったスタッフと、腰を抜かした化物の相棒を招く。

 化物以外、全ての人間が窓の銃口に気がついた。

 俺達の存在に気がついているのかわからないライフルを持つ者。それはフードを被っている事だけはわかった。

 俺達が十分に窓のそばにいる化物から距離を空けたとき、窓の外にあるライフルは火を噴いた。



 その声は、犬なのだろうか、人間の悲鳴なのだろうか。銃弾の衝撃から余裕の無くなった化物は、着ていた人間の服を内側から引き裂き、その本来の姿を表に出した。

 ライフルからの銃撃のダメージを感じさせない肉質は、脂肪も感じさせないほどに皮が張り切った筋肉の塊。隙を見せない体は蛇の尻尾を体中に纏い、三つの引けを取らない面構えは、全ての生き物に戦いを放棄させる。

 もしもこの存在に門番をさせれば、どのような者でも近寄る事もなく、どのような生き物にも、門を開けることはないだろう。必要な時にだけ、門を開き、閉じ込める存在。

 ケルベロス。

 確かそのような空想の番犬がいた。それは幼い頃、空想の生き物に興奮をもらい、眠れない夜をもらい、夢をもらった想像の産物。それが眼前に現れた時、先に感じたのは恐怖だったが、どこかに興奮を感じる自分がいた。



「ぅあ……うああああああ!!」



 ロッジスタッフは勝手口へ走り出した。それはちょうど勝手口が外から開いた時だった。

 ライフルを放銃した者が外から開けた勝手口のドア。吹き込んでくる青空の下で温もりを含めた風の匂いを鼻にかすめた時だった。その匂いには生還という魅力がある。ロッジスタッフには、ケルベロスの真横を走りきる事が全てだった。

 鋭い爪。鋭い牙。それが少しでも体をかすめれば、恐らくは楽に絶命することが出来ない予感がするほどの威圧感。

 俺は思った。きっとやられると。

 だが、そのロッジスタッフはケルベロスに邪魔されることなく、生還への空へ羽ばたいた。

 そう、その言葉の通り、羽ばたいたんだ。

 空に向かって、天高く、駆け上がる。炎のような体毛は揺らめき、なびき、広がる。ドラゴンを思わせる輪郭は、もし食べられても神の一部となれる幸福を感じられるのではないかと思わせるほどに神々しい姿が馬の足で空を蹴り、鹿のような軽やかな胴体は抵抗なく麒麟となって空へ吸い込まれた。

 麒麟となったスタッフが外に出た瞬間に、ライフルを構えた者が内側から押されたドアの反動に腰を落とし、被っていたパーカーのフードがめくれて光に照らされている顔はロッジの支配人。

 俺は思う。なぜケルベロスは外に脱出したロッジスタッフの道を塞がなかったのか。

 襲わなかった。それは、きっとこのドアが門の入口であり、それを通過する者には寛容に、そこに近づかないものは門の外へ引き込むのではないだろうか。



 ここは地獄の一丁目。一度踏み入れれば、きっと戻る道は用意されていないだろう。

 俺は怖かった。今から二階で休んでいる静恵の元へ走ろうとする行為が。

 それを見たケルベロスは、俺をどうするのか。

 決断が出来ない俺。そんな俺に決断力のある者から響く銃撃音によりリセットされた。



「奥へ行け!!」



 ロッジの支配人はケルベロスに至近距離でライフルを発泡しながら叫ぶ。



「いいか!! 窓を開けるな!! 光を入れるな!! 外へ出るな!! 化物になるぞ!!」



 ケルベロスの相棒だった男は食堂へ走り出す。そして俺は二階へ駆け上った。

 俺達が逃げられるようにロッジの支配人は発泡を繰り返す。その銃撃に恫喝と鋭い牙を振りまきながら食って掛かるケルベロス。けれど、支配人は軽やかに逃げていた。

 それはとてもしなやかに、そして俺に背を向けているにも拘わらず、顔の真ん中から長く太く赤い鼻が伸びているのがわかった。
作品名:悔季 geki ~violent~ 作家名:ェゼ