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催眠副作用

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 要するに、何を言われたとしても、その言葉を信用してしまうと、もしダメだった時、ショックが大きいということであろう。
 いや、ショックが大きいというよりも、また同じことになってしまうと、言葉というものを信用できなくなってしまいそうで、そっちの方が怖いのかも知れない。それでも、ダメだった時のショックが怖いと思うということは、言葉を信用できないということに関しては、それほどショックでもないということなのだろう。
 ショックというよりも、そのショックがマヒしてしまうことの方が本当は怖い。ショックを感じたくないという思いから、他人事のように感じるようになって、いつの間にか感覚が慣れてしまう。感覚が慣れるということは、
「絶えず、同じレベルの感覚を保ち続ける」
 ということであり、難しいことのように思えていたが、他人事だと思うことで、その難しさを解消することができる。
 他人事のように感じるというのは、あくまでも漠然として感じることで、慣れてくることとは違う。これこそ別レベルのことなので、一緒に考えることがほとんどないが、もし考えることができるとすれば、それは、
「夢から覚める時であろう」
 という思いであった。
 眠っていて目が覚めるまで、見ていた夢をどんどん忘れていくのを、高校時代までは感じたことがなかった。
 目が覚めてから、
「何か、夢を見ていたような気がする」
 と思っても、どんな夢だったのか覚えていないことの方が多かったのだが、別にそれならそれでいいと思っていた。
「怖い夢だったから、意識的に忘れるようにしているんだ」
 と自問自答していたのだが、後から考えてみると、
「覚えている夢というのは、怖い夢ばかりではないか」
 と思うことであった。
 その時に考えたのが、
「私は楽しい夢など見ることができない体質で、その中でも覚えているとトラウマになってしまいそうな怖い夢だけ忘れてしまうようにしている」
 という思いと、
「楽しい夢は忘れるようにできているんだ」
 という思いとが交錯していた。
 夢というものを、皆楽しいもののように言っているが、
「ほとんどの人が楽しい夢を見ていてもそれを忘れることはないのだが、ごく一部の人間は覚えることができないでいるのだろうな」
 と思っていた。
 自分が、その、
「ごく一部」
 の人間であって、希少価値なのだろうと思うのだった。
 まわりの誰かに聞けば自分の疑問を解決する話をしてくれるのかも知れないが、敢えて人に訊いて疑問を解決しようとは思わなかった。
「きっと、分かる時がいずれやってくるのであって、何も焦って知る必要などないのではないか」
 と思うようになっていたのだ。
 その年の夏は結構厳しい暑さが続いた。六月中旬から梅雨に突入し、ジメジメした毎日を送っていて、やっと梅雨明けしたかと思うと、うだるような暑さが襲ってきて、それに追い打ちをかけるのが、あの耳をつんざくようなセミの声だった。
 セミの声を一番鬱陶しいと思って聞くセミの声は、朝目覚める時であった。朝なので、冷房までは掛けないで目を覚ますことができると思っていたので、窓を開けたまま寝ていると、早朝の六時を回ったくらいから、セミのけたたましい音で目を覚ますことが増えてくる。
 目覚めが一日のうちで一番嫌いな時間だっただけに、セミの声は完全に追い打ちだった。一気に身体にだるさが襲ってきて、身体中に変な汗を感じるようになる。この暑さは表からのものではなく、内部から噴き出してくるもので、
「これが現実に引き戻されたという気持ちなんだろうな」
 と感じるのだった。
 目覚めた中で、夢から覚めていくのを感じていたが。セミの声を自分がどうして恨めしく感じるのかというと、
「せっかくの夢を台無しにしやがって」
 と、心の中の声は親父化してしまっている自分に戸惑いを感じながらも、ふと感じたこととして、
「そう思うということは、見ていた夢が決して怖い夢ではなかったということを示しているんじゃないかしら?」
 ということであった。
 つまり、今までは、
「怖い夢以外は少なくとも自分にはないんだ」
 と、まわりのことは別にして、そう感じていた。
 目覚ましのアラームで目を覚ますのも、嫌だったが、セミの声はさらに嫌だった。その日がうだるような暑さであることを、目が覚めた瞬間から頭にしみこんで離れないからだった。
「本当に嫌だわ」
 と、アラームのように脅かされるわけではなく、ジワジワと現実に引き戻される感覚の方が嫌だったのだ。
 そのうちに、つかさは夢を見なくなった。いや、見なくなったというわけではなく、夢を見ていたかも知れないという感覚がなくなってきたのだ。
「やっり、夢なんか見ないんだ」
 と思うようになり、それまでと違って、夜がゆっくり眠れるようになった気がしてきた。
 その感覚があるからか、自分をあまり惨めに思わなくなった。この感覚に慣れてきたのかも知れないが、慣れてきたことを嫌だと思うこともなくなってきたのだ。
 そう思うと、朝起きた時のセミの声も嫌ではなくなっていた。セミの声は相変わらずなのだが、ジワジワと現実に引き戻されるという感覚がなくなってきたのだ。
 一番よかったのは、目覚ましが鳴る前に目が覚めるようになったことだ。
「それは熟睡できていないからなんじゃないの?」
 と自分に問うてみたが、そのわりには、目覚めは悪くなかった。むしろ目覚ましで叩き起こされる方が、眠りを途中で邪魔された気がして、頭痛も残ってしまうし、ロクなことはないように思えたのだった。
 きっと、体内時計が実際の時間に対応できるようになったからなのだろうが、そこまで冷静になれなかったので、結論を理解することはできなかったが、感覚で納得していたのがよかったのか、その頃から、目覚めが嫌ではなくなっていた。
 それまでは、
「まずは規則正しい生活を志すこと」
 という意識が強く、昼寝もしなかった。
 眠い気持ちを抑えて勉強をするのがどれほど辛いか、昼寝をするようになって気付いた。昼寝などという感覚を持ってはいけないなどと考えていた自分を、その時に戻って殴ってやりたいとまで感じたほどだった。
 季節はいつの間にか秋になっていたのだろう。セミの声がいつの間にか鈴虫の声になっていた。セミの声が響き始めた時は意識があったのに、セミの声がいつの間にか鈴虫の声に変わってきてからというもの、その意識がなくなっていることに、なぜか気付いていなかったのだ。
 ただ、相変わらずの暑さではあった。ただ、風が吹いた時に感じる涼しさは、秋の到来がすぐそばまできていることを予感させた。
 まだ暑さが残っているので、鈴虫の声に気づかなかっただけなのだろうか? どうも違っているような気がして仕方がなかった。
 そこから大学受験まではあっという間だった。
 それまでを思い出しても、あれだけ暑かったはずの夏があっという間であったということは、暑さの感覚を遠い昔のように、忘却の彼方に追いやってしまったことと同じなのかと、余計なことを感じるようになっていた。
 だから、秋から先があっという間であるということを自覚していたのであり、実際にあっという間に過ぎてしまっていたのだ。
作品名:催眠副作用 作家名:森本晃次