雑草の詩 5
「みんな、どうして辞めないんですか?学校続けるつもりなら、辞めた方がいいんじゃないですか?」と、それまでみんなの話を黙って聞いていた真悟が、不思議そうに口を開いた。
「辞められれば、とっくの昔にみんな辞めてるさ。学校の入学金やら月謝やら、みんなまとめて出してもらってるんだよ。だから、その期間が終わるまでは辞めようにも辞められないんだ。辞める時は全額返さないといけないからね。
第一、そんな金有る筈もないよ。もしそんな余裕があったら、誰も好き好んで新聞なんて配りはしないさ。」
「そうなんですか‥‥‥。
すいません、何も知らなくて‥‥。」 静かに語る森の言葉にそう答えるだけの言葉しか持たない真悟だった。もう一つの、別の世界を目の当りにして、恥ずかしさで消え入りたいような思いの中で、真悟は幸恵の姿を心の中に描いた。
「じゃっどん、やっぱい店やっど!
他ん所ィの人達を見てん、部数も少なかし、ちゃんと代配制度もあっでや。」突然、村井が主人の悪口を言い始めた。「あん男は休みも作らんし、仕事ばっかいはどんどんさすっでや。たまにはみんなで抗議をすっが。」
「そうだよ、その通りだよ。やっぱり店だよなあ。他の店ではさ、配達しながら浪人して、東大行った奴だっているんだから。
村井なんて、予備校行く暇もねえしな。だって、いつも、暇さえあれば寝てるんだもんな。」
「梅木さん、そいはなかど、オイやってん頑張っちょったっでや。そやひでど。(ひどいぞ)」
梅木はついさっきの騒ぎも忘れて村井をからかい、村井もまたそれに応じている。
「まあ、二人とも。少しは静かに飲まんね。」と、森は笑いながら二人をいさめた。
「森ちゃん、村井の方言がうつってやんの、ワハハハハ‥‥‥。」
梅木の声に誘われて、他の者達も笑い出した。この夜も遅くまで、六人の若者達は村井の部屋で騒ぎ続けたのだった。
4
一日、また一日と、時間との戦いのような新聞販売所での生活を真悟は送っていた。
喧嘩したり励まし合ったり、そして時には愚痴を語り合ったりしながらも、それぞれに違った荷を汗だくになって背負い歩き続けている仲間達に囲まれて、真悟も次第に心から打ち解け、幸恵の事や自分の歩いてきた道を語れるようになっていった。
「そうかあ‥‥‥、みんな色々あるんだなあ‥‥‥。」
上を向いたり下を向いたり、時には声を途切れさせながら全てを語り終えた真悟の脇で、膝を抱えたまま天井を見上げていた梅木はつぶやいた。
「でも、お前幸せだよ、そんな素敵な人はいないよ。」真悟の顔に戻した視線に熱い感動を込めて、そうつぶやいた梅木だった。
「坂口、気を悪くしないで聞いてくれよな。
お前、家、帰った方がいいよ。お袋さんだって、やっぱりお前が可愛かったんだと思うよ。たとえ、その表に出た形がどうであれ、そんな人を、心配させたらいけないと思うな。」
「何言うんだよ、森ちゃん。そんな親の許へなんか帰ることねえよ。
それより坂口、早く探せよ、捜し出すんだよ、彼女を。」
「幸恵さん、幸恵さんだっけ?彼女も、お袋さんの気持ちが分かったんだと思うよ。みんな自分の子供は可愛いもん。辛かったと思うよ、彼女も。でも、やっぱり坂口の幸せを第一に考えたんだと思う。 彼女、身寄りが無いって言ってただろう。だから、余計答えたんじゃないかな、母親の強さって奴にさ。優しい人だから、きっと入ってゆけないものを感じたんだよ。」
「そりゃおかしいよ。親と子は別だぜ。 彼女のお陰で坂口は大学は入れたんじゃないか。なあ、そうだろう、坂口?」顔中から湯気を噴き出さんばかりの勢いで、梅木は真悟に同意を求めた。
「ええ、‥‥‥彼女は、僕の人生の全てでした。」真悟は俯いたたまま、静かにそう答えた。
「その言葉を聞いたら、彼女、どう思うかなあ、喜ぶかな?」
「なんだよそれ、森ちゃん?」
「いやあ、彼女はさ、坂口が立派な医者になることを望んでたんじゃないかって事さ。
坂口が、立派な一人前の医者になってさ、困ってる人達の力になる日を、彼女、信じて待っていると思うよ。坂口に期待してるんじゃないかな。」
森は静かに言葉を選びながら、真悟に語りかけた。優しく開かれた瞳で真悟を包み込むように。
「オイもあんまい人の事は言えんどん、甘えたら負けじゃなかどかい。やっぱい、自分の道を自分で決めんとね。
そいに、親不孝は駄目やっど。親は大切にせんと。」ずっと黙り込んで三人の会話を聞いていた村井だったが、壁にもたれたまま口をはさんだ。
「そういうもんかなあ‥‥‥。けどさ、村井もたまには良い事言うじゃん。
アチャ、何だ!」突然梅木が大声を発して飛び上がった。
「これは何よ、これは!
なんでティーパックが座蒲団の下にあるんだよ!」そう叫んで、梅木は座蒲団をめくった。
「あれーっ‥‥‥。
あのなあ、お前なあ、偉そうなこと言うワリにはどうしようもねぇ奴だな。
なんだ、この靴下?みかんの皮や、あらっ、ゴキブリが死んでるよ。すげえなあ、この部屋は、ゴキブリが餓死してやんの。」
梅木は大声で笑いながら、カビのはえた靴下をつまんで村井に投げつけた。
「止めやいよ、梅木さん。ひであい、明日掃除をする積もりやったたいが。」
梅木と村井のジャレ合いを、森と真悟は楽しそうに見守っていた。そして真悟は森の耳元でこうささやいた。
「森さん、村井さんね、僕に部屋の掃除ぐらいやっとけ、ここはゴミの巣だって言ってましたよ。」
「ああ、あいつの悪い癖さ、偉そうなこと言うの。部屋の掃除だって、汚れてない所がなくなるまではやらないんだ。でもまあ、いい奴さ。」笑いながら、森はそう答えた。
「アアッ、梅木さん、押し入れは駄目やっち!駄目、駄目やっち!」
押し入れの前で梅木と村井は競り合っていたが、梅木は村井の隙をついて、とうとう押し入れを開けてしまった。
「あーあ、やっぱりだよ。見てみなよ、これ。森ちゃん、坂口。」
崩れ落ちてきた汚れ物の山を前にしてしきりに弁解している村井、それを指さして笑いころげている梅木、森と真悟も大笑いしていた。
5
日曜日の午後、配達も明日の朝まではやってこない、そんなのんびりとした気分の中、秋の陽の差し込む部屋の机に真悟は向かっていた。その時、部屋の戸をたたく音がした。
「やあ、勉強してるのか?じゃ、悪いかな。」森だった。
「いや、いいですよ森さん。丁度ひと休みしようとしてた所ですから。さあ、どうぞ入って下さい。」と森に中へ入るように進めて、真悟はヤカンを手にして共同炊事場へ出ていった。
「何か邪魔したみたいだなあ、折角勉強してたのに。
それよりどうだい、家へ帰る気にはならないか?」
「いえ、まだあんまり‥‥‥。
でも、来年の為に一応準備だけはしておこうと思ってるんです。」森の声を背中で聞きながら、青白い炎を見詰める真悟。
「そうか、でも居場所ぐらいは知らせといた方がいいと思うな。」
炊事場からの反応はなかった。ややあって、無言のままテーブルについた真悟は、目を上げ森の瞳を直視した。
「ええっ‥‥‥、そう思っています。