吸血鬼の椅子
瀟洒な猫足に肘掛け付きの洒落た椅子だ。あまりにも華奢なせいか机を挟んで向かいにあるソファをその椅子と見比べると、やはりいささか見劣りがするのは否めない。革張りの椅子で色は白く、家具職人によって切除された跡と覚しい部位はまだ再生が終わりきっていないのかクリームを塗られた肌が血の色をにじませながら露出していた。骨格の銀は磨き込まれて──その中には砕かれた骨が入っていることを知っている──肉と骨との間に打ち込まれた銀の鋲に混じって薄紅色に淡く血を通わせた爪が五つ、肘掛けの先で洒落た意匠のようにきちんとそろえられている。手の甲の肉は薄い。だからその分骨にぴったり貼り付こうとする。同じ血肉を分けた骨と皮の記憶がそうさせるのだ。だから厚い肉は座面や背当てに、薄い肉はめくれやすい部分に配置する。桶の中で何度も聞かされた説明を反芻しながらその家具を見た。肘掛けの側面にも上肢の薄皮を張って、手や肘のかかる天辺には掌や二の腕の柔らかい肉を盛り付けた。座面には腿と脛を縫い合わせ、背あてには腰から臀部と腿の裏側の肉を使っている。乳房はとうに腐ってしまったのだろうか。椅子は子を産むことも殖えることもないからあるだけ無駄だ。目も鼻も口もいらない。そもそも椅子は生き物ではない。だが脳はいる。身体の形を保つために、椅子に貼り付けられた肉が崩れていかないように、脳だけは残り続けてかつての身体を思い続けなければならない。
吸血鬼の椅子は椅子であって椅子でないことが最大の特徴だった。椅子に張られたその皮膚は現に生きており、いたずらに傷をつければ血が流れる。しばらく前に刃物で椅子を傷つけてしまったメイドの悲鳴は家具職人の工房で保管されていた耳に届くことはなかったが、相当量の血が失われたのは判った。もしかしたらカスリーンはこの椅子が生きていることを知らなかったのかもしれない。すべすべした指先はけして嫌いではなかったのだが、やはりそこつが過ぎた。傷を治すのは心臓の桶で足りた。心臓は肉体を司る。だからその桶を近付ければ自然肉体の再生能力も増進してあっという間に傷が塞がった。だが脳は脳で必要だった。目も口も鼻も脳に付随して必要だ。なぜなら吸血鬼の椅子はただの椅子ではなく、吸血鬼が生きながらにして貼り付けられて、自身が椅子ではなく吸血鬼であると認識した状態を保たなければならないからだ。目も鼻も口も耳も銀のナイフでそぎ落とさず、脳ともとろも聖水の桶につけられているのは、自他の境を忘れ立ててしまった椅子に貼り付けられた吸血鬼にものを見せ、嗅がせ、聞かせ、見させて己の輪郭を再び思い起こさせるための感覚器官を残しておく必要があるからだ。
枝状に分岐した銀の針金が肌の下にある肉を貫通する激痛が、心臓の桶を近付けられて復した神経網を伝い大気中を神経伝達物質が通過して脳髄に到達する。痛みに身動ぎするたび針金が肉をえぐり、えぐられた部分は再生してその席を再び肉が占め、感覚が再生し、氷のように冷えた銀の切っ先に怯えてまた蠕動する。椅子の肉がぶるぶると動き始めた。肘掛けの片側で椅子を押さえていた主人が予想外の動きに手を離しかけたが、一転、意地の悪い笑みと共に押さえつけにかかるのが目に入る。
クッション代わりに使われる厚い肉の中に入った銀糸や銀の針金から成る海綿状の組織は弾力を増す目的に入れられているのではなく、椅子の骨格に肉を固定して逃がさないためだ。枝状に、それこそ薔薇の枝のように突起を持つ銀の針金が、さらに複雑に他の針金にからみついて海綿状の様相を呈している。再生した吸血鬼の肉は他の組織と癒着して、より強固に椅子に固定され苦痛を味わい続けなければならない。椅子の上からはめられた凝った意匠の銀のバンドは上部組織を増殖させて吸血鬼の肉が逃亡することを防ぐ目的ではめられていたし、日々の手入れに椅子の肌にクリームを塗り込むのはその表面を保湿し保全するという目的の他に、針金とバンドを逃れて肉が増殖することを防ぐ効果もあった。途中で断ち切られた喉が声にならない悲鳴を上げる。声帯を取り上げられた人魚ですら脚は得たというのに、残されたのはただただ苦痛と動くことすらままならない頭蓋だ。
「お静かになさい」
耳元で老執事が囁いた。
「じきに助け出して差し上げます」
ですから死んだ風になさいというこの男の本懐はあの椅子を購うことだろうと目尻をあらん限りに釣り上げる。桶の中につけられていたから聞いていないとでも思っているのだろうか。醜悪な、忌々しい、老いの波に飲まれて垂れ下がっている目元にかすかに昔の恋人の面影を見つける。その目に向けてくそったれと悪態を吐いたつもりだったが口からこぼれ落ちたのは聖水が混じった唾液だけだ。椅子にはりつけにされる前は人間だった。吸血鬼の椅子に、昔ながらの吸血鬼を使うことはほぼない。最前、家具職人が執事に言った年季の入った皮というのは、古くから吸血鬼であったものの皮という意味だ。吸血鬼の家具に使われるのはもっぱら新参の吸血鬼で、それも椅子にするために吸血鬼にさせられた元人間だった。吸血鬼の中にも吸血鬼の家具を愛用す者もあるらしいが(吸血鬼や吸血鬼の家具に関する知識は全て家具職人からの受け売りだ)、古くからの人間の集まりの中に新参の者が入るといじめ抜いて笑いものにするのは人間でも吸血鬼でも大して変わりはないらしい。彼等は椅子にされた元人間の吸血鬼を決して吸血鬼だとは思っていなかった。彼等の認識を正確に言葉にすると、吸血鬼ではあれど吸血鬼未満、人間にしてはいささか丈夫なものだ。椅子にして遠くにその悲鳴を聞きながら、貼られた皮の手触りを楽しむ趣味の悪い吸血鬼もいるという話は家具職人から何度も聞かされていた。家具職人もまた新参の吸血鬼だったが、新参といっても吸血鬼の中ではという話で、人間にするとにゆうに二百才は超えているはずだ。けれども顧客である古参の吸血鬼から執拗な嫌がらせを受けていたらしいことは桶の中からでも窺い知ることができた。
桶の中でどれほどの時間が経っていたのかは判らない。ヴェキポーレの二階の窓の、日がな通りを眺めながら刺繍にせいを出していた頃の、片恋の恋人などとっくの昔に死んでいるに違いなかった。その少年は朝と夕の一度だけ下の通りに姿を現す。行商の子供だと聞いていたが、私の家の扉を叩いたことは一度もなかった。おそらく行商の中でも縄張りのようなものがあって、彼の受け持ちの地区は別にあったのだろう。どうやら街の外から来ているらしかった。そうでもなければ帰路にパンとミルクを持って街の外へ走り去っていく理由が付かない。その少年にかつて私はハンカチを渡したが返ってくることはなかった。生きていたとしても、きっと爆発に巻き込まれて死んでしまったのだろう。