輝きのなかで
「突然、お邪魔して申し訳ありませんが、ポスターの絵を描いた人のことを教えていただけないかと思いまして」
大志がふみちゃんの言葉を継いだ。
「あの絵がどうかしたの」
金子さんは、ふみちゃんの肩越しに大志を覗いた。
「この絵に似ているもので」
勢いよく振り返ったふみちゃんに刹那、母の絵を向け、そのまま金子さんに手渡した。
「篠山さん?」
子細を説明しようと口を開きかけた大志に金子さんの驚いた面輪が飛び込んだ。
(やはり)と思い頷いた大志に、金子さんの表情が柔らかくなった。
「あなたが、恵子ちゃんの息子さんなの」
金子さんは、懐かしそうな目を大志に這わせた。
「とにかく上がって、上がって」
ドアを手で押さえ、招き入れる金子さんの後に二人はつづいた。
リビングに通されている間、ポスターの絵は母が小学生の時に描いた物であること、金子さんは母が通っていた小学校の先生であったことを大志は伝えられた。
大きなガラス窓が、こぢんまりとしたリビングに光を与えていた。
そのガラス窓に吸い込まれていくような上下左右の天井と壁には、びっしりと卒業生達の寄せ書きが書かれた色紙がピンで留められていた。
二人は、ソファーに並んで座り、金子さんがキッチンから出てくるのを待った。
「篠山さんは紅茶ね。あなた、お名前は」
「片岡ふみ」
「じゃあ、ふみちゃんはジュースね」
木目調のテーブルに、紅茶とオレンジジュースが置かれた。金子さんは、二人に飲むように勧め、自分も紅茶を一口啜ってから話を切り出した。
「もうすぐ一年ね。お母さんが亡くなってから」
「ご存知なんですか」
「ええ、恵子ちゃんの同級生から聞いたわ。
まだ若いのにね」
隣でふみちゃんがジュースをストローで吸った。その音が、瞬刻の静寂に紛れ込んだ。
「あの日、恵子ちゃんが描いた絵、ポスターの絵ね、それをずっと眺めていたわ。色んなこと思い出してね。活発な子でよく覚えているのよ。引っ越してからは同窓会で何度か会っただけなのだけど。ご主人を亡くされた後の同窓会でも、子供と頑張るって笑っていたものよ」
「そうですか」
大志はポツリと言い、訪れる沈黙を避ける為すぐに母がどんな子だったかを尋ねた。
「そうねぇ。人懐っこかったけど、芯は強かったわね。それとお転婆だった」
金子さんは、年に不釣合いな程、大袈裟な笑顔を作った。
「私は美術を教えていたのだけど、図工室でも皆の絵を見てまわって、誰が一番うまいかなんてやっているの。そのくせ自分は絵が苦手だからって殆ど描いてないのよ」
ここに来た以上、尋ねなくてはならなかった問いに、底に溜まっていたものが小さな排水溝に向かって、少しずつ流れ出すような内部の動きを大志は感じていた。
「あまりに描かないものだから何でもいいから、課題でなくていいから、一番好きなものを描きなさいって言ったらお祭りの絵を描き始めてね」
「お兄ちゃんのお母さんもお祭りが好きだったのね」
畏まっていたふみちゃんが身を乗り出してきた。
「そうね。あんなにうまく描いたのだから好きだったのでしょうね」
「病院でも描いていましたから」
大志は、丸めていた絵を押し広げ、肩を寄せてきたふみちゃんの眼前にずらせた。
「ポスターの絵に似ている」
「本当ね。色が溢れていて、恵子ちゃんらしいわ」
金子さんは、改めて大志の手から絵を受け取ると須臾の間感慨深げな視線を送った。
「後でお母さんの絵を見に行きましょうね」
金子さんの言葉に、大志は頷いた。
残りかけのジュースを忙しなさそうに一気に飲み干したふみちゃんが、螺旋状の階段を上がる二人を追いかけてきた。
「わぁ、小学校の教室みたい」
階段を上り切ったところで、ふみちゃんが追いついた。
がらんとしたフローリングの真ん中には、図工室によくあるような十人ぐらい座れそうな木製長机が置かれていた。
「小学校を建替える時にもらってきたのよ」
四方を巡る水色の壁紙には、所狭しと生徒が描いたらしい絵が貼り付けられていた。
「もう三十分もすれば、子供達で一杯になるわよ」
金子さんは、色鉛筆やクレヨン、画用紙などが収められた子供の背丈程ある収納棚まで大志を導いた。
棚の右上、窓を覆うひまわりがプリントされたカーテンの横に、ポスターの絵、母の絵があった。
「仕舞い込んでいたのを探して、ここに貼ったのよ」
丁寧に保存されていたらしく周りの絵との違和感はなかった。
「最近、お祭りのポスターにする絵を募集しているのを知って、ぜひ恵子ちゃんの絵を皆に見て欲しくて頼みにいったの」
所々に固まった絵の具が、こんもり貼り付いていて、大志はその部分を辿った後、金色の神輿に乗った少女とその下に描かれている神輿に手を振る少女の後ろ姿を刮目した。「どれがお兄ちゃんのお母さんなのかなぁ」
囁くような、ふみちゃんの独り言が聞こえた。どちらの少女なのか、大志は自問しつつ思い出したように手元に持っていた絵を広げた。
「お兄ちゃんのお母さんは、お神輿に乗ったの?」
「いいや、乗ってない筈だよ」
「じゃあ、この子かなぁ」
ふみちゃんは、神輿に手を振る少女を指差した。
「一番前の特等席でお神輿を見ているもの。お神輿の上の子にも笑いながら手を振っているし、友達なのかな。私と久美ちゃんみたいに」
大志は、開いた絵の濃淡が付けられていて周りから浮かび上がって見える少女の後ろ姿に目を落とした。
「でも、こっちかも知れない。お父さんに肩車されている子。ここの金魚すくいをしている子もかわいく描けているから、そうかも」
大志は、はっとして顔を上げた。
「こっちの絵にもいるの?」
大志の手の甲を掴んで、ふみちゃんが首を突き出した。
「この木の下の子、友達と二人で手を繋いでジャンプしている子も目立っているわね」
ウコン桜の木の下に描かれた二人の女の子に指の腹を押し当てた。
「綿菓子を両手に持って、美味しそうにパクついている子も怪しいわね。このヨーヨー釣りをしている子も楽しそう」
ふみちゃんは、大志の母らしい子を見つけては甲声をあげた。
「もしかしたら、お神輿に乗った自分を想像して描いたってこともあるわね」
ゲームに飽きて、腕組みをしたふみちゃんの横で大志は、絵のなかの色が動きうねり混ざり合う感覚に身を置いていた。
「全部、母さんかもね」
きちんと整理し管理してきたもの、それに抵抗してきたものが混沌とするなか、なんとなく口をついた言葉に、ふみちゃんは「そんなのインチキ」と口を尖がらせた。
ふみちゃんが、金子さんに自分がお神輿に乗るかも知れないという例の話をし始めた。
莞爾として笑う金子さんに、ふみちゃんは矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
「楽しみね。私も、久しぶりにお祭りに行きたくなったわ」
「来て、来て」
リビングに戻ると、三人で母の卒業アルバムを開いた。
小学校入学から卒業までの集合写真、遠足運動会等の写真が順を追って綴られていた。
金子さんが指差す母を追い、最終ページ、卒業式の写真まで辿り着いた。
卒業証書を手にした母の晴れやかな表情が何処と無くふみちゃんに似ているように思えた。
「また、いらっしゃい」
半開きのドアの向こうで、金子さんが微笑んだ。