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輝きのなかで

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大袈裟過ぎるくらい真剣な眼差しが、栗色がかった髪の毛の下から大志を見上げ、励ますように小さく動いた。
「その絵がどうしたんだい」
「ひみつ」
源さんが、石畳の道を逸れていった。
「手伝っていくか?」
にやついた顔で、男達が山積みにした段ボール箱の方を顎で杓って、大志を見た。
大志は、微笑みで応え、話しかけることで感謝の気持ち表そうとした。
「神輿は、あそこに入っているのですか」
「そうだよ」
大志を急かすように、一人で石段の方へ歩き始めていたふみちゃんの靴音が止んだ。
「見せて、見せて」
「今、鍵は持ってないんだよ。まぁ、当日までのお楽しみだな」
からかった口調の源さんに、ふみちゃんは空気を沢山吸い込んだ頬っぺたを見せた。
「おばあさんによろしくな」
石段に向かった二人を源さんはまた手首だけを上げるポーズで見送った。
「年なんだから労わってやれよ」
「うん」
力強く突き出したVサインが源さんに投げかけられた。
二人は石段に差し掛かった。
眼下に、瑠璃色を基色とした一枚の水彩画が広がっていた。
「お兄ちゃん、早く」
ふみちゃんは、石段を一段ずつ飛ばして先に降りていった。
瑠璃色のなかに飛び込んでいくその姿が、カンバスに描き加えられていった。
栗色の髪、チェックのワンピース、赤いランドセル、手に持った黄色い傘。大志の気持ちの高まりとともに、水面に漂っていた無数の光の粒子がそれらの周りに群がり始めた。
縁取られていく部分が揺れて、お互いに溶け合っているようだった。駆け下りていくふみちゃんの動きに合わせて変容していくが、失われることはなかった。
大志は、石段に足を差し出した。見失わないように、しっかりふみちゃんの後姿を見つめていた。

大志の問いかけに母は、手を休めずに答えた。
「ウコン桜の木の下から見たのよ」
スケッチブックの左端に張り出している枝部分の仕上げに取り掛かっていた。
「こんな感じかな」
母は、スケッチブックを傾けて、ベット横の丸椅子に腰掛けている大志に向けた。
「いいんじゃない。うまいよ」
「大志には負けるわよ」クッション代わりの枕に凭れ掛かって、他の入院患者を気遣うように小声で言った。
母が入院して5日が経っていた。
掛かりつけの医者に大学病院での精密検査を勧められて、それ以来一日数種類の検査を行う為に入院したのであった。
今まで無理してきた身体を休めること、これからも元気に働けるように、少しでも調子がおかしいところは治してしまおう、という医者の説得に母は渋々入院したのであるが、入院が長引くに連れ、母も少し不安になってきたようであった。
入院3日目に、大志に画用紙を持ってくるように頼み、幼い頃に見たという祭りの絵を描き始めた。
「大志のおじいさん、おばあさんと毎年見に行ったわ。引っ越してからも、わざわざ見に行ったことがあるのよ」
母は、覆いかぶさった枝の右側に小さく露店の輪郭を描き始めた。
「ここの綿飴、美味しかったわ。毎年楽しみにしていたのよ」
その言葉通り、楽しそうに、軽やかに指先が動いていた。
「今度来る時に、絵の具を持ってきてくれない」
「そんなに長くかかるの。検査の結果はわかったの?」
「そうじゃないけど、用意だけしておいてってことよ。大志の使い古しでいいから」
6人部屋の室内は、二人の会話に聞き耳をたて、時折洩れてくる咳以外の物音はしなかった。
大志は、描き込まれていく画用紙に母の話を重ね合わせ、暫く母の傍らに付き添っていた。
帰りしな、母は、食事はちゃんとしているか、洗濯は大丈夫か、何々は何処其処に置いてあるからというようなことをしつこい程口にした。
「そうそう、食堂の野原さんたちにも会ったらお礼を言っておいてね。昨日、お見舞いにきてくれたからね」
「わかったよ」
大志は、病室の出入口のところで、一度振り返った。
意識して母を見るのはいつ以来だろうか。大志が知っている母と、乾いて艶の無い髪の毛を無造作に後ろで束ねて、皺が寄った目尻を向けて大志を見送っている母、その間に横たわっている溝に、大志は改めて驚いた。
途中、吉祥寺のデパートで絵の具を買い求め、大志は阿佐ヶ谷駅に降り立った。
タイル舗装の歩道を歩き、南口駅前広場に差し掛かった。
糸水柱、泡泉、湧水と3つある噴水はインターバルを変えて吹き上がり、それぞれに水中ランプがカラーフィルターを通してあたっていた。
傍では、パン屑の袋を持った親子連れの周りに鳩が群れていた。
この広場の清掃も大志が受け持っていて、鳩の糞と食べ残しのパン屑には毎回悩まされていたが、今日は不快な気持ちにはなるどころか、正しいものに惹きつけられるような感覚で、大志は広場のなかに入っていった。
広場のベンチに腰掛けた大志のもとに、パン屑を手に持った幼児が覚束ない足取りで寄ってきた。鳩の群れを怖がっているようであった。
母親が追ってきて、大志のすぐ傍で後ろから腕を回し幼児を抱きかかえた。
刹那、幼児と母親の安心しきった表情を大志は凝視した。
二人の背後で、パステルカラーの噴水が薄暗くなった宙に高く吹き上がった。
大志は、先程通った歩道の辺りに目をやった。
自分自身がいるこの光景、微笑ましくノスタルジーを感じさせる瞬間を切り取って、あそこから眺めてみたいと思った。
母が亡くなったのは、それから一ヶ月後のことだった。手術中に突然心臓が停止し、大志が見取る間も無かった。
その日、母の遺体と自宅に戻る途中、知らぬ間に、病室で母が描いた祭りの絵を握り締めていた。感情や思考も何も無かった。ただ丸められた絵を握り締めていた。
葬式やその他一切の段取りは叔父夫妻がやってくれた。
大志以外は皆、慌しくしていた。
大志も徐々に周りに合わせていった。
そして、日常に投げ込まれた。
久しぶりに来た公園のベンチには、荷物が増えていた。
鏡、茶碗、懐中電灯、リックサック……特に目立つのは書籍類だった。ジャンルを問わず何冊も重ねて置いてあった。
大志がゴミ袋を持って横切ると、地面に役所の公園課が貼ったらしい、荷物撤去の警告札が剥がれて落ちていた。
大志は、それを拾ってゴミ袋に入れた。
「兄ちゃん、しばらく見なかったね」
ホームレスがにやついた顔をしてみせた。
大志は、無表情のまま次のゴミ箱を目指した。
九月半ばにしては強さを持った昼下がりの陽が作業着をぐっしょりと濡らしていた。
もっと強く、朦朧となって倒れるくらい強烈な陽射しになればいいと思っていた。
全てのゴミ袋を替え終わり、軽トラックの方へ向き直ると、洗面器を持ったホームレスがふらつきながらトイレへ進んでいく姿が視界に入った。
手洗い栓を捻り、洗面器に水を満たしたホームレスは、ベンチ裏の樹木の前で腰を屈めた。根元に円を描くように丁寧に水を撒き、須臾、樹木に顔を寄せてから、また何か物色してくるつもりだろうか、肩にバックを担ぎそのまま公園の出入口に向かっていった。
大志は、主を失ったベンチに近づいた。ベンチの下に落ちていた菓子パンの袋が、風に煽られ樹木に纏わりついた。
(これか)
目で追った大志は、樹木に幾つかの蕾がついているのに気づいた。
作品名:輝きのなかで 作家名:大西 ひろ