輝きのなかで
神社の本殿を背景として、中央に描かれている黄金色の神輿とその上に乗った若菜色を纏った少女に大志はまず目をやった。
黄金色に包まれた少女は、陶酔感で満たされているような笑みを浮かべて手を振っている。その下には、神輿を担ぐ藤色の法被を着た男達。周りには、金赤の布に涅色の文字で書かれたのぼりを垂れ下げた金魚すくいや綿飴などの露店や、オレンジ色に光る提灯がぶら下がった石畳の参道を行き交う人の姿が色とりどりの筆使いで描かれている。
神輿を見上げている数多い見物客の中央最前列に大志は目を留めた。
そこには、神輿の上の少女と同じ若菜色の服を着て、真っ直ぐに両腕を神輿に向かって突き出している後ろ姿があった。周りとの濃淡の差で浮かび上がるように見えるその後ろ姿が、技法に拘らず自由に描かれた色彩の画像のなかで異質な量感を放っているように思えた。
多彩な色を背に突き出された腕とそこに手を振る神輿の上の少女。この絵を見る度に大志はそこに重大な秘密が隠されているような気がしていた。
曲がりくねった幅の広い道路の海側には高さ1メートル程の堤防が設けられていた。堤防の下には歪な形をした岩と朝の光に湿った光沢を放つ石と無数の砂粒が散りばめられた海岸が広がっていた。
大志は頬に潮の香りを含んだ少し冷たい風を受け、地図を片手にその海岸沿いの道を歩いていた。
絶え間なく繰り返される、波が砂浜を潤す音に紛れて後方から人の声が聞こえてきた。
ふみちゃんだった。手を振り、こちらに走ってくる肩越しに赤いランドセルが跳ねていた。
「今日はどこに行くの?」
口一杯に朝の透き通った潮の香りを深く吸い込んだ。
大志がまだ何処に行くか決めていないことを告げると、拍子抜けしたような顔をした。
「そうねぇーおすすめはね……」思案気味にちょっと小首をかしげた。
「ここから見る海も素敵よ」
ふみちゃんは堤防から身を乗り出した。
「危ないよ」
「平気よ」
堤防に手足をかけ、よじ登ると得意そうに目を真ん丸くさせた。
「お兄ちゃんも登ってみなよ。また違って見えるわよ」
水玉模様のワンピースを海からの風になびかせ、両手を広げバランスをとり堤防の上を進んでいった。
「あれが、私の小学校よ」
指差した先を辿っていくと、鉄筋コンクリートの大きな建物とそれを取り巻く緑の木々が目立つ校庭が横たわっていた。
「今日もがんばろう。お祭りの為にね」
昨日、おばあさんにしたように大志に向かって大人びたウインクをした。
「神輿に乗れるといいね」
「絶対に乗るわ」
朝の陽と重なったふみちゃんが眩しくて、大志は目を背けた。
「あ、久美ちゃんだ」
小学校の正門近くでふみちゃんが叫んだ。
反対側から歩いてくる少女に向かって、腕を精一杯伸ばし、指で形作ったVの字を送った。
「友情のしるしなの。久美ちゃんもお神輿に乗るのに立候補しているから。どっちが選ばれても恨みっこなしってしるしなの」
堤防から飛び降り、駆け出したふみちゃんは、丁度正門の前で久美ちゃんと一緒になった。
二人で校内に入る際、振り返ったふみちゃんは、腰の辺りに遠慮がちなVサインを大志に向かって差し出した。
再び一人になった大志は、地図をたよりに母が中学校まで住んでいたという生家を訪れることにした。
間隔をおいて建っている民家と民家の間には、あまり手を入れられていない大木が連なっていた。それらを左手にしばらく海岸沿いの道を東上した。
遠くから異彩を放つように見えていた、近代的な造りの建物を角にした枝道の手前に辿り着いた。隅切部分にバス停があり、その真新しい案内板に広げた地図を押し当てた。吹き付けタイルの壁に掛っている住居表示板と地図に付けた丸印の部分とを見比べ、大志は枝道に入っていった。
最近整備されたらしい道路には、段差つきの歩道があり、その歩道には植栽帯が設けられていた。真っ直ぐ伸びる道の右側には、半地下駐車場が備えられている同じような家が数軒建ち並び、左側には会社の保養施設と思われる建物とそれに隣接したテニスコートがあった。
大志はテニスコートの周りに張り巡らされた背の高い金網フェンスのところで立ち止まった。
丁度この辺りに生家があるはずであった。
相変わらす海からは、仄かな潮の香りが漂うなか、波頭がはじける音が聞こえていた。
大志はしばしその音に耳を澄ませた後、急に振り返り、眼前に広がる海に向かって先程のふみちゃんのように、走り出す幼い日の母を思い描いて微かに微笑んだ。
海沿いの道まで引き返すと遠くにふみちゃんが通う小学校が見えた。
防波堤越しに海を見やりながらきた道を戻り始めた。
不規則に波頭に反射する光と足を運ぶ身体の振幅で海に向けた焦点が定まらなかった。
徐々に視覚が混乱しはじめ、身体が海に溶け出していくような感覚に包まれた。
果てしなく永遠につづく海に、身体が少しずつ浸透していき一体になる感覚、それを願うような感覚に身をまかせながらも、今自分は、絵のなかの神輿に乗った少女と同じ表情をしているのだろうかという沈着な問い掛けをしているのに気づいていた。
区役所の道路パトロールカーが止まった。
黄色に白いラインが入ったボディの上には回転灯がついている。回転灯は回ってはいない。ただ、静かに大志を凝視している。
大志は、手に握ったデッキブラシに集中した。
公園のほぼ中央にある噴水に大志は立っていた。左手に持ったホースからは水が勢いよく流れ出て、コンクリート製の構造物に跳ね返っていた。その跳ね返っている部分を右手に持ったデッキブラシで、何度も何度も擦った。
水を循環させる為のポンプの吸い込み口の前で腰を下ろし、詰まっている葉っぱを取り除いている間も背中に視線を感じていた。
(まだ、あそこが残っている)
大志は、公園の隅にあるトイレを上目使いで見やりひとつ息を吐いた。
噴水の清掃が済み、トイレに向かっていく間、急に背後に感じる気配に対して、怒りが込み上げてきた。
視線に抵抗するかのように、タイル張りのトイレに外付けにしてある蛇口にホースを乱暴にねじ込んだ。
「すみません」
後方から聞こえた声に一瞬ぎくりとした。
だが、すぐに声の主は知れた。ここ一ヶ月ばかりずっとトイレ脇のベンチにいるホームレスの老人の声だった。
「植木に水をやってくれないか」
皺だらけのジャケットに泥がついたスラックスといういつもの格好で、大きな布袋を背もたれにした老人はベンチ裏の植え込みに生えている一本の細長い樹木を指差していた。
大志は、公園の出入口の辺りを斜眼で窺った。
そこには、道路パトカーの姿は無かった。
大志は、又ひとつ息を吐いた。
「暑い日が、続いたんで大分弱っているんだよ」
老人は、大志の方には向かずに樹木に話しかけるようにつぶやいた。
大志は、何も言わずに蛇口を捻り植え込みに近づいた。水圧を感じると、老人が指差した弱々しい樹木に向かって散水した。
「秋には真赤な花が咲くんだよ」
老人の言葉を聞き流し、再びトイレへ向かった。
トイレのなかは、初夏の熱気に汚物の臭いが染み込んだ空気が充満していた。