ペインギフト
出逢う前からスポーツに秀でていた隼人は、その体格を維持するために器具を利用した腹筋に励んでいた。それは、新居も落ち着き、自分の部屋の整理が終わり、見回した部屋の中で魅入った運動器具だった。
「あ、私もごめん……突然でビックリしちゃって……引っ越しのとき隼人が、荷物一生懸命運んでた時も、腕が自分じゃないみたいでビックリしたのまた思い出しちゃった」
「そうだよね。筋が沢山引っ張られて痛かったよね。ごめん、気をつけるね……え、あ、なんか、変だぞ! あ、あああああ!!」
腰が抜けたように座りこむ隼人。それは何が起きたのか理解が追いつかず、まるで落雷か幽霊から逃げるように跪き、なにもない空間を何度も握る。
「え、大丈夫? 隼人!!」
静香の心配する表情と隼人だけにしか感じない違和感。それは、次の瞬間、隼人の苦しみから遠のいた。そして次の発作が貫いてくる前に、静香へ言葉を強く投げる。
「あ、は、早く病院!! 陣痛だ! きっと陣痛だ! 早く病院に行くんだ!!」
「え!! 一緒に来てくれないの!?」
温度差が大きく違う2人の会話。説得をする余裕がない隼人。その表情は、再び、じわじわと筋トレの苦しみでは見ることがない歪み。それに抵抗するように体の筋肉は膨らみ、浮き出る血管の太さは、痛みと筋肉の戦いが始まっていることを語っている。
「あ、う、動けない……破水……するかもだから、静香! 心構えと準備して病院に! があああああ!!」
「隼人! 大丈夫!? 救急車呼ぶ?」
隼人の尋常ではない悲痛な感情が100%は伝わっていない空間。今にも意識を失いそうな初めて見る砕けた隼人の様子。伝えたい事を大きく伝えるために、隼人は細く、素早く、口を萎めて肺に酸素を膨らませて伝える。
「い、いや! 君が楽になれば僕も楽に!! ……あ、あああああ!! 早く!! 安静できる所に!!」
「わ、わかったわ!! 病院とタクシーに電話してすぐ向かうわ!! 隼人! 頑張って!!」
小走りで部屋中を動き回る静香。病院には、自分が陣痛であり、タクシーで向かう事を伝えて、タクシー会社の連絡先を調べたり、どちらのマタニティウェアにしようか悩んだりする余裕がありつつも、今は隼人の願う行動を第一に考えている静香。ソファーでぐったりとする隼人のバイバイの手振りに合わせていってきますの一言。
マンションのエントランスのから外に目をやると、すでにタクシーは到着しており、赤い蝶ネクタイに白い手袋をしたタキシード姿のドライバーは敬礼で静香を出迎える。後部席へエスコートされ頭に気をつけながら車内に潜ると、前席よりぶら下がっている旅行冊子広告のキャッチコピー。『新婚旅行は?』『家族3人で!』『託児所つき』。その写真をネタにタクシードライバーと会話を弾ませる静香は程なくして病院へ到着する。そこにはすでに連絡を受けていた助産師であり、親友の摩耶がストレッチャーと共に待機していた。
「一人できたの!?」
「あ、摩耶。今、家で旦那が、悶えてる」
「あ、そか! ペギ婚経由だった! オッケー! こっちから救急車を向かわせるように手配するね!」
摩耶の慣れた思考と手配。どこに隼人を搬送するのかなど深く尋ねようとする静香の耳には、産婦人科とは思えない男性の叫喚にギョッとする。
「がああああああああああ!!」
「え? 今の雄叫びは!?」
「静香。ここの病院で運が良かったよ。ここはペギ婚受入の産婦人科と産殿科さんでんかも兼用してるから、同じ医院内で隼人さん見守る事が出来るよ。隼人さんに静香から連絡するか、家の鍵ちょうだい」
ーTwenty four hour laterー 隼人の陣痛発生から24時間後
「頑張ったわね。パパ」
隼人の胸に抱かれる新生児。この丸一日で味わった痛みの果てに待っていた新しい命に涙が零れ落ちる。
「はあぁぁぁ……あぁぁぁぁぁ……ありがとう……ありがとう」
隼人は、自分のお腹を痛めて産まれた事に感動し、産んでくれた事に何度も、何度も静香に感謝する。
ーSeven months laterー 7ヵ月後
新婚旅行。フェリーの上甲板で風を浴びる隼人。胸に大事そうに抱かれている乳児。その後ろ姿に歩み寄る静香は、以前とは隼人の体格が変化している事に気付く。
「あなた、最近筋トレしないわね。少し丸みが出てきた?」
「いいんだ。必要以上に筋トレするのは、俺の自己満足って気づかせてくれたから。静香と静人しずとの痛みは、筋肉じゃ防げないからね」
テレビCM
『あなたの痛み、健やかですか?』
『カラ~ン♪ コロ~ン♪ カラ~ン♪ コロ~ン♪』
『汝はこの者を♪ ペインギフト♪』
『病める時も♪ ペインギフト♪』
『死が2人をわかつまで♪ ペインギフト♪』
『ペギ婚♪ ペギ活♪ 応援中♪』
【録痛】
公共広告CM
『あなたの痛み、待ち遠しいですか?』
『ピーポー。ウーウー。ピーポー。ウーウー』
『改正刑法 ペインギフト』
『我が子の痛み。ペインギフト』
『家族の苦しみ。ペインギフト』
『あなたの悲痛。公判中』
「以上の証拠により、被告人の行った犯罪の残忍性を並べますと、我々検察は、被告人に対し、死刑、並びに執行当日まで、ペインギフトによる痛みの転送を求刑します」
厳粛に進められる裁判。聴こえてくるのは、すすり泣きと書記官の筆跡。検察官による求刑は妥当すぎる冒頭陳述と証拠の数々。裁判官の目の先には、被告人の板谷始飛いただにはじと。足を細かく揺らし、目線はどこへいくでもなく、注意深くもなく、さ迷っていた。
「被告人。何か申し上げたい事はありますか?」
「どうせ~死刑なんすから、質問に答えて意味あんすか? 今後のデータ? 遺族への謝罪? なに求めてんすか?」
第一審の求刑に答えるかのように全ての人間を煽る被告人。検察官、国選弁護人、裁判官、写真を抱いた遺族。反省も今後の心境変化も感じさせない言葉に、感情的な罵声を返す者は現れない。その様子に口を鳴らしながら面白さを感じない板谷は、先程より声量を広げて、躊躇のない言葉を続ける。
「あれですよね。最近は、遺族や被害者の痛みを味あわせるために、犯行時の痛みや、遺族の胸の痛みみたいなのをペインギフトの刑で苦しませるんでしょ? 愉しみだなぁ。死刑までずっとあの時の快感をリプレイできんだから」
「被告人。静粛に」
「便利な時代ですよねぇ。加入者が希望すれば、自分の痛みを録音や録画のように録痛ろくつうできるんですからねぇ」
「被告人! 静粛に!」
もしも木槌があれば叩いているかと思わせるほど被告人の止まらない口にすぐさま静粛を求める裁判官。板谷は、埒が明かない気分で静粛を気取る前に馴れ馴れしく求められていない返答を零す。
「わっかりましたぁ~」
「以上で、この裁判は、結審となります。判決は二週間後とする」
閉廷の合図に立ち上がる傍聴者。数えられるほど握りこぶしをする者のひとりは一旦背を向けた矢先、振り向きなおし、言葉をぶつける。
「痛みを知れ!!」