短編集121(過去作品)
母親に対して最初に違和感を感じるようになった。それまで比較的あまり注意を促す方ではなかった母親が、反抗期に近づいてから、少しずつ注意を促すようになっていた。今から思えば、中学生にもなってくれば当たり前の注意なのかも知れない。本来なら異性に興味を抱き始め、身体も大人に変わっていく頃、精神的にも落ち着かないだろうから、それなりに注意を促すのは親として当たり前のことだろう。
だが、それが露骨に見えて仕方がなかった。
「分かってら」
何を言われても、捨てゼリフは決まっていた。何よりも自分がしようとしていることを相手から言われることが一番嫌だったのだ。これでも結構相手に気を遣う方で、気がつく方だとも思っていた。
「人から言われる前に何でもできるようにならないとね」
と、小学生の頃から言われていて。忠実にそうなるように実行してきたつもりだ。それを今さらのように注意をされると、
「全然信用してないのかよ」
といいたくなるし、実際に叫んでいる。それも無意識にである。
母親は、その訴えが無意識であると分かっているのだろうか。ただの反抗期で、どうしていいのか分かっていないのかも知れない。だからこそ、子供もどうしていいのか分からない。
学校の先生にしてもそうだ。勉強に関してはそれなりに敬意を表することもできるが、説教や注意には敬意などあったものではない。
中学に入ると、まず嫌いな学科が増えてくる。
英語には最初から違和感があったし、算数から数学に代わると、途端に面白くなくなった。
いくつもの解き方があり、答えを導き出すプロセスに着目する算数と違い、公式に基づいて答えを導き出すことを要求される数学は、どうにも好きになれない。まるで型に嵌められていくようで、これから成長していく自分が逆行していくように思うのだった。
学校の先生はそれでも他人なので、
「所詮、他人なんだ」
と思うことで、それなりに感情を抑えることができる。だが、その抑えた感情は消えるわけではなく、その矛先が母親に向いたりする。
「母親が本当は悪いわけではないんだ」
と分かっているつもりでいるが、どうしようもないのが、反抗期というものだろう。
反抗期には入る時と、抜ける時、それぞれを分かっていた。入る時は、何となくだったが、抜ける時は、本当にトンネルの出口が見えていたように思う。だから、逆に入る時もそれなりにハッキリとした感覚があったのではないかと思うのだが、思い出すことはできない。
反抗期を抜けてから、しばらくは記憶力がかなりよくなった。歴史の年代を覚えるのも苦にならなくなったし、そうなってくると、本当に勉強が面白くなってきた。
高校には進学校と呼ばれるところに入学できたし、母親にとっては自慢の息子のようだった。
記憶力がよくなってくると、応用力もついてくるようで、応用問題も解けるようになってきた。それが進学校に入学できた要因だった。
高校の三年間は、大学進学のための勉強がほとんどだった。それでも歴史だけは、雑誌などの本を読んだりして、結構奥深くまで勉強したものだ。教科書で教えてくれない内容を見ていると、本当に楽しくなってくる。趣味だといってもよかった。
大学にも無事に入学でき、一番喜んでくれたのは、やはり母親だった。自慢の息子ということで、鼻が高いに違いない。
大学では歴史の研究をするサークルに所属した。しかし、入ってみるとレベルはあまり高くない。どちらかというと歴史というよりも、歴史という名目で、旅行に行くことが目的のサークルのようだ。せっかく入部したのだから、すぐに辞めたくはない。しばらく在籍することにした。
一番レベルが高いというのも、自意識過剰にさせられた。過剰ではあるが、それだけ研究熱心だとも言える。部員からも敬意を表されているようで、二年生になると、おだてに乗せられた恰好になってか。部長に推挙された。
嫌ではなかった。望まれてなったのだから、それなりに嬉しいというものだ。その時初めて自分がおだてに弱いということを思い知らされた。
しかし、それからしばらくして、自分の記憶力が少しずつ低下していくことに気がついた。
最初はものすごくショックだった。少しくらい記憶力が低下したとしても、他の人に比べれば、まだまだ記憶力で負ける気はしない。それなのに、少しだけでも低下したのを感じると、ショックは計り知れないものであった。
他の人と変わらないレベルになってくると、却って開き直りのようなものがある。
「これが普通なんだよな」
と思うことで、勝手に納得してしまうのだ。それだけ記憶力がずば抜けているという自負が強かったことを示している。
その時にストレスが溜まっていった。中学の時の反抗期に似ていた。ストレスが溜まってくるのが分かったし、何かにぶつけないと、自分がきついだけというのも分かっていた。
だからと言って母親に向けることはなかった。むしろ、母親を意識していた言った方がいいだろう。癒しを感じるのが母親なのだ。
マザコンでは決してない。母親がいなければ何もできないというのが正二郎にとってのマザコンの定義だった。母親がいない時にこそ実力を発揮してこそ自分だと思っている。その気持ちは中学の時に反抗期が終わってからずっと思ってきたことだった。
母親に対しての気持ちが変わることはなかった。いや、永遠に変わることはないだろう。変わってしまう要因がないからだ。母親が交通事故で亡くなったのだから……。
晴天の霹靂だった。
病気を患っていたのなら、心の準備もあったが、その日の朝、元気だった人が急に冷たくなって、目を二度と開けないと言われても、ピンと来るわけがない。
涙も出てこなかった。まるで他人事のようで、それまでのことが走馬灯のようによみがえるが、なぜよみがえるのかも分からなかった。
よく、弔辞などで、
「故人の思い出が走馬灯のように……」
などと聞くが、
――本当なんだろうか――
と疑ってみたくなったが、どうやらウソではないようだ。それも無意識にである。自分がそうなってみて、本当に本能というものの存在にビックリさせられたのだった。
肉親で初めての葬儀出席、それまでは親戚というのがあったが、どちらにしても、なぜか悲しみが生まれてこない。
亡くなった時の顔を見ると、最初どうしていいか分からなかった。
「でも、即死だったので、苦しまなかっただけでもよかったと思わないと」
父が話していた。正二郎も成人式を終えた大人である。大学生ではあったが、これから就職活動に勤しむため、気持ちはすでに大人の仲間入りだった。うろたえることなど何もない。
それにしても悲しくないのはなぜだろう。確かに即死だったこともあって、死に顔は安らかに見えた。だが、
「気がつけば死んでいた」
などという笑い話ではないが、
「死んでしまったらどこに行くのだろう?」
ということを真剣に考えさせられた。
葬儀が済んで火葬場に運ばれ、最後、骨だけになってしまうと、
――魂だけは残っていると思わないとやり切れない――
作品名:短編集121(過去作品) 作家名:森本晃次