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雑草の詩 2

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『ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。』
 真悟の父にすがりつくようにして懸命に彼を止めている幸恵の口は、この言葉ばかりを繰り返す。
 大粒の涙をポロポロとこぼしながら、自分の両腕をギュッと掴んで震えている幸恵、その幸恵をジッと見詰めた父だった。彼は振り上げた右腕を下ろすと、力なく椅子に腰を下ろした。そして寂しげに、
「もういい。さあ、早く自分の部屋へ行け。
 一人になって、頭を冷やしてみるがいい。」そう呟いた。
 真悟は殴られた頬を押さえて逃げるように居間から飛び出していった。そしてそのまま家をも飛び出したのだった。

 真悟は歩いた、ただ闇雲に。
 夏も盛りを過ぎようとしている夜は、快適な涼風を運んでくるが、その夜空には星はなかった。
 彼の知らぬ街並を行き来する彼を知らぬ人達、行き過ぎる車は騒音と排気ガスだけを撒き散らしてゆく。証明に照らし出された道、暗闇に包み込まれた道を、真悟はただ歩き続けている。
「畜生、あの女、どうして俺の邪魔ばっかりするんだ。」真悟は何度もそう呟いた。考えれば考えるだけ、頭に血が集まった。

 公園のベンチに腰掛けたまま、ジッと街灯に照らされた白い土を見詰めている。普段歩き慣れないせいか両足は石のように重く、鈍痛を訴えていた。ポタッ、冷たいモノに頬を打たれて、真悟は空を見上げた。雨だった。そして頬に受ける雨粒の間隔は次第に狭まってゆく。時計を見ると、二時を少し回っていた。
「アーア、金も無いし、泊まる所もないしな、」真悟は深い溜め息をついた。
「こんな雨の中じゃ野宿も出来ねぇし、‥‥‥帰るとするか。」
 真悟は立ち上がり、両足を引き摺るようにして歩き始めた。

 雨が激しく彼の体を叩いている。たっぷりと水を吸った服は体に張り付き、靴はペチャペチャと音を立てていた。
(俺は、何て馬鹿な事してるんだろう。本当に馬鹿みたいだな)通り過ぎる車のライトを目で追いながら、真悟の顔には微笑みが浮かんでいた。
(別にあいつが俺に嫌がらせしているって訳でもないしな、考えてみりゃ可哀想な奴じゃないか、親はいないし、カタワだし。
 だよな、気にすることはねえんだ。アイツはアイツ、俺は俺なんだから)そんなことを考えながら歩いている真悟だった。
 機械の末端を操作するだけで、それを自分の能力だと信じ切っている人達の動かす車は、真悟の傍らを、水を弾き飛ばしながら猛スピードで駆け抜けて行く。人気の全く絶えた、それでも人工のあかりが到る所にともっている道を歩き続けて、夜もしらじらと明ける頃漸くのことで我が家へ辿り着いた真悟だった。
 玄関の灯がコウコウと辺りを制している。その灯の下には黒く霞む人影があった。一歩づつ歩を進めて行く度にその人影も大きくなり、そして動き始めた。
 打ちつける雨の中で、向かい合ったまま真悟と幸恵は立ち尽くしている。
(こんな雨の中で、ずっと俺を待っていてくれたのか)幸恵を見詰める真悟の瞳の奥を熱い興奮が駆け抜けた。しかしその感情を必死で押し殺して、厳しい表情のまま幸恵を見詰めていた真悟だった。そして、優しく微笑みながら真悟を包み込んでいる幸恵の視線から逃れるように彼は家の中へ逃げ込んだのだった。

         8

 生まれて初めて父に殴られた夜、あの夜以来真悟は再び自室に閉じ籠もるようになった。父も母も彼にはもう何も、一言も語ることはなかった。

 一週間が過ぎた。その夜も相変わらず部屋に閉じ籠もったまま真悟は机に向かって卑猥な雑誌のページをめくっていた。部屋の外には夜食を手にして今上がってきたばかりの幸恵の姿があった。
(真悟さんも、もう落ち着いている筈だわ。でも、開けてくれたらいいけど)ためらいながらも、幸恵はコツコツとドアを叩いた。
「開いてるよ。」ぶっきらぼうにそう答えて、真悟はそのまま黙って本を読み続けていた。しかしドアは開く気配もなく、またコツコツと音をたてた。
「うるせえなあ。」
 真悟は立ち上がりドアを開けた。が、幸恵の姿を目にした途端、そのまま何も言わずにクルッと背を向けて机に戻った。幸恵は部屋に入ると、真悟の傍らに歩み寄り夜食を机の端に置いた。
 長く垂れた幸恵の黒髪は微かに真悟の頬を撫で、僅かに起こった風に運ばれた心地よい女の芳香が、真悟の鼻を刺激した。
 胸のボタンの隙間から僅かに覗いた白い肌、そしてその奥の、白い上着を隆起させている豊かで柔らかな乳房の膨らみが、手にしていた雑誌の中の裸のモデルと重なって彼に我を忘れさせた。と同時に理性と名付けられたものまでもが全て吹き飛んでいったのだった。

 真悟は嫌がる幸恵を無理矢理、力任せに抱きすくめると、その体をベッドの上へ投げ出し挑みかかった。男の手を降り払おうと懸命に抵抗する女、我が物にしようとする男、二人の争いは暫く続いた。
 あっちに転びこっちに転びしながら揉み合っていた二人だった。が、突然に女はその抵抗の全てを止めた。そして諦めたような悲しげな瞳でジッと男を見詰め、やがて静かにその目までも閉じてしまったのだった。
 哀れむような、自分に向けられた瞳に射貫かれて、ハッと我を取り戻した真悟だった。羞恥は激流となって体中を駆け抜け、幸恵の身体から手を離した彼は、机にすがりつくようにして両手で顔を覆い慟哭し始めたのだった。
「俺も、俺もあいつらと同じじゃねえか!
 獣だ、ケダモノだァー!」
 幸恵は立ち上がり、丸めた背を激しく震わせている真悟を見詰めていた。やがて目を伏せると、そのまま部屋を後にしたのだった。

 目許は赤く腫れ、頬には涙の後が太く上下に一本の線を作っていた。机の上を覆うように丸めた背中は時折ピクッピクッと震え、肩から不自然な角度で持ち上げられた顔の中で、瞳だけが異常な輝きを放ち一点を凝視していた。慟哭の状態を抜け出してからもずっと、真悟はこの姿勢を保ち続けている。外の世界ではもう太陽が顔を出す準備を始めていた。

 目の前に差し出された一冊のノート、ビクッとして顔を上げた真悟の視界一杯に、幸恵の姿とその微笑みとは飛び込んできた。がそれは一瞬だけで、幸恵はスルッと背を向け去っていった。その後ろ姿を追うようにして手を伸ばして立ちあがった真悟、しかし音をたてて閉ざされたドアと共にその思いさえ断たれ、力なく再び椅子に腰を下ろした彼の眼前には、幸恵から託されたノートが置かれていた。
 真悟はノートを見詰めていた。それは長い時間だった。微かに震える手がゆっくりとノートに近づき、そしてノートの表紙に手をかけたのだった。

 『あなたにベッドの上で両手を押さえられた時、私は全てを諦めました。あなたの瞳は余りにも悲しかった。でも、あなたは自分を取り戻してくれました。そう、あの夜と同じように。
 自分をいじめて楽しいのですか。苦しみを作りながら生きて楽しいのですか。
  
作品名:雑草の詩 2 作家名:こあみ