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ベリー・ショート (掌編集~今月のイラスト~)

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 ふらふらと出て行ってしまったものの帰り道がわからなくなってしまうことも何度もあった、近所の人に見つかれば帰してくれるのだが、そうでなければどこを歩いているのかもわからなくなってしまう、一日中探し回ったこともあった、腰痛を抱えているので歩みは遅いが、時間が経てば経つほど遠くまで行ってしまう、GPS付きの携帯をポケットに入れておいても家に置いて行ってしまう、そのような電子機器は自分の物だと認識できず、早紀の物だと思ってわざわざテーブルの上に置いて出かけてしまうのだ。
 不本意ながらお金は隠し、市営バスのシルバーパスも隠してしまったが、うっかり財布をテーブルの上に置き忘れてしまった時は電車に乗ってしまい、終着駅で駅員に保護されていた。
「できるだけ目を離さないようにしてあげて」
 近所の人たちは心配して言ってくれるのだろうが、夜中に何度も起こされて眠れないのだ、昼間うつらうつらしている間に出て行かれてしまっては防ぎようがない。
「はた目には徘徊に見えても、本人にとっては何か意味があるんです、外出を禁じるのではなく見守ってあげた方が……」
 ケアマネージャーや施設の職員はそう言うが、腰に爆弾を抱えている、次にもう一度転倒でもしたらおしまいだ、そう考えれば外出はしてほしくない。
「何かしたい、役に立ちたいと言う意欲は出来るだけ尊重してあげてください」
 施設の職員はそう言うし、早紀もできるだけそうしてあげたいと思うのだが、言うほど簡単なことではない。
 洗濯をすればセーターを縮ませてしまい、取り込めばてんでバラバラにしまい込んでしまい、自分でどこにしまったか忘れてしまう。
 料理をしようとしてガス台に火をつけたことを忘れてしまい、危うく火事になるところだったこともあった、食べ物をクロゼットにしまってしまい、腐りかけたそれを食べてしまってお腹を壊したこともあった。
 しかも、腰は完治してはいない、今は小康状態を保っているだけなのだ、いつ、どんなきっかけでまたひどい痛みに襲われるかわからない、もしまた入院するようなことがあれば認知症はさらに加速してしまう、そう思って家事全般を先回りするように済ませるようにしているのだが、その隙を縫うようにして動いてしまう。
「だって、世話になるばっかりじゃ悪いじゃない」
 そう思ってくれるのは嬉しいが、実際は何もしてくれない方が楽だし、余計な心配をしなくて済むのだが……。
 
 高齢者介護の分野では色々と研究が進んでいて、専門家を名乗る先生が「ああしたら良い」「こうした方が良い」とアドバイスする。
 だが、話はそう簡単ではない、研究は介護を『される側』の立場で進められているが『する側』のケアは通り一遍、真摯に向き合おうとすればするほど介護を『する側』は疲弊して行く。
 世話を必要とするのは子供も同じ、だが、子供は成長するにつれて世話を必要としなくなって行くし、親はその成長を楽しみに世話することができる。
 だが高齢者の場合は違う、衰えて行くばかりなのだ、その進行を少しでも遅らせることしかできない、自分の大切な人が緩やかだが確実に壊れて行くのを間近で見守ることしかできないのだ。

「もうどうすればいいの?」
 早紀もほとんど限界だった。
 仕事として高齢者に向き合う分には、言い方は悪いかも知れないが『そう言う動物なのだ』と割り切ることもできる。
 だが身内はそうはいかない。
 その人との思い出を持っている、しっかりと元気だった頃の姿を知っている、だからこそ壊れて行く様を見ながら世話を続けなければならないのは堪える。
 
(もう施設のお世話になるしかない)
 早紀もしばしばそう思う、だがどうしても踏ん切りがつかないのだ。

「早苗の髪は綺麗だねぇ」
 祖母はほとんど何もできなくなってしまっても正座した早紀の後ろに膝立ちとなって髪を漉いてくれる。
 もう娘と孫の見分けもつかなくなっている、それでも娘の早苗とそっくりの早紀の髪の手入れはちゃんとできるし、それを楽しみにもしてくれる。
 母と間違われていることを知っていても、早紀は祖母に髪を漉いてもらうのが好きだった、母の髪に憧れて伸ばし始めた頃からずっと。
 櫛を通して祖母のぬくもりが、愛情が伝わって来る心持がするのだ。
 髪を漉いてくれている時、鏡に映る祖母の目はいつものぼんやり、どんよりした目ではなく、生き生きと輝いて見える……この時間を共有できるうちは何とかこの家で……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 だが、その幸せな時間もついには失われることになってしまった。
「危ない!」
 ドライバーはとっさに急ブレーキを踏んだ。
 横断歩道の手前に立っていた早紀の祖母が何の前触れもなくふらりと車道に踏み出して来たのだ、対向車もあってハンドルを大きく切ることもできない。
 床を踏み抜かんばかりにブレーキを踏んで、何とか寸前で止まれたが、ギリギリになって車に気づいた祖母は尻もちをついてそのまま立ち上がれなくなってしまったのだ。

「このお歳では手術はお勧めできません、手術で治せるかどうかもわかりませんし、そもそも手術に耐えうる体力が残っているかどうかも……」
 医師の説明を聞いて、早紀はもう無理だと考えざるを得なかった。
 手術なしでできる医療行為と言えばコルセットをはめて腰を固定することだけ、あとはできるだけ痛みを和らげてあげることだけ。
 強い痛み止めを使えば認知症が加速度を増して悪化していくことは目に見えている。
 痛み止め以外の医療が出来ないのならば、入院している意味はない、そして自分が誰なのかもわからなくなってしまえば住み慣れた家で過ごす意味もない。
 
「あたしが居眠りなんかしなければ、外に行くのを止めてあげていれば……」
 早紀は自分を責めて涙を流したが、その背中をケアマネージャーがそっと叩いた。
「早紀さんは充分によくやりましたよ、あなたが真面目に一生懸命介護に取り組んでいたのは良く知っています……私もそれに甘えて無理を強いてしまっていたかもしれませんね……後は施設にお任せしましょう……」

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

「お祖母ちゃんを施設に預けて帰る時ね、もうあたしの顔も覚えていないみたいだった……で、帰り道に美容院を見つけて飛び込んだの」
極端に短く切った髪……それは早紀にとって『贖罪』だったのだろう、由美はそう感じた。
両親を一度に失った早紀を育ててくれた祖母を最後まで看取ってあげられなかった……その自責の念が早紀を美容院に飛び込ませたのだと。
でもそれは……。
「あとあたしに出来ることと言ったら、この家を守っていくことくらい……」
 その言葉を耳にした時、由美は思わず早紀の手首を掴んだ。
「一緒に来て!」
「どこへ?」
「あたしのアパート、ワンルームだけど落ち着くまで居て」
「あたし……落ち着いてるけど」
「ううん、疲れ果てて立ち上がれないでいるだけ、落ち着いてなんかいないよ」
「そんなこと……」
「でも一緒に来て、この家に居ちゃだめ、おばあちゃんとの思い出が詰まってるところに」
「どこにも行きたくないんだけど……」