四人の同窓会
彼にとって奥さん以外の女性との交際は初めての経験だと思った。もてない男が有頂天になり、その行く末が心配でもあった。
「富津君、不倫に未来はないわよ……。奥さんが育児で苦労している時に心が痛まないの、彼女だって夫がいるのでしょう? 修羅場を迎える前に別れた方が彼女のためだよ」
凛子は身勝手な富津を批難したが、彼にすれば不倫のことを言いたくて仕方がなかったのであろう。
「彼女の旦那は毎日パチンコに狂って家庭内別居だそうだよ。だから彼女の浮気にも関心がないそうだ。俺のアパートで家事をしている時が幸せだと言っているし、まだ三十前だから俺も可愛いんだ……」
これまで女性に縁の薄かった富津は聞く耳を持たないといった感じで、のろけを聞かせるばかりであった。
その晩、村木と富津はビジネスホテルに泊まったが、平山凛子は実家の方に帰ると言うので海峡通りを駅まで送って行った。
晩秋とは言え、海峡を吹き抜ける夜風は冬を思わせる寒さだった。時折、凛子のロングコートをひらつかせていた。凛子は直ぐに腕を組んで体を寄せてきたが、富津のことが尾を引いて少し陰鬱な気分だった。海峡の遊歩道に歩を刻む革靴の音だけがやけに響いていた。
「チェンは夢中になっていたが、大丈夫かな?」
私は富津彬の妙に得意げな顔が気になってポツリと言った。結婚して十年が過ぎて単身赴任になれば、男の浮気心も分からないではなかった。
「わたしは冨津さんよりも、その相手の女性が可愛そうだと思うの……。富津さんのアパートを出た後、彼女は冷たい家庭に戻るわけでしょう。家の玄関を開けた時の彼女の寒々した心情を思うと堪らないわ」
凛子は女性の心の闇に触れたが、無神経にそういうことを公言する富津を軽蔑しているとも言った。彼女にすれば、そういう富津から“もらってやったのに”と情けをかけられたことも許せなかったのであろう。
「凛子、お前、今幸せか? さっきも言ったが、今度二人でゆっくり会おうよ」
私は改札口で念を押すように言った。
「アイハラのバカ……、もう遅いわよ……。わたし、色々あって……、余り時間がないの……」
凛子は私の誘いを黙殺してホームの階段を上って行った。一度だけ、私に振り向いて気恥ずかしそうに手を小さく振ってから電車に乗った。
久し振りに会った凛子は家庭臭さを感じさせなかったが、長崎でどういう生活をしているのか謎のままだった。
チェンの急死
私は公私ともに問題を抱えていながら、三十路を中途半端な気持ちで過ごしていた。
立秋を迎えたばかりの暑い日に、霞が関の化学会社に勤務する市島伸一と新橋の小料理屋で待ち合わせていた。市島が地元の工場から東京本社に転勤してからは、気が向けば時々飲んでいた。
「相原、裏番の子分だった富津彬っていただろう。背の高い男だが……」
昨年の十一月に四人で同窓会をやってからは、K中の三人とは会っていなかったが、市島から彼の名前が出るとは思わなかった。
「チェンだろう、一年前に帰省した時に裏番と一緒に飲んだよ。彼がどうかしたのか?」
「うん、富津が飲んでいる最中に倒れて救急車で運ばれたそうだよ。どうやら心筋梗塞でそのまま亡くなったという話だ」
四人の同窓会で飲んだ時に、チェンが若い彼女のことを自慢気に話した時の顔が浮かんできた。その時に、平山凛子が不倫に未来はないと忠告したが、その通りチェンには未来がなかったのである。
そう言えば、チェンは昔に比べて随分肥えていたが、単身赴任による不規則な生活が原因かもしれなかった。
その夜、富津の死亡を確認するために村木隆一に電話した。
「市島からチェンが急逝したと聞いたが、本当なのか?」
「俺も驚いたよ。チェンの兄貴から連絡があって、車で病院に駆け付けたが間に合わなかった……。先週、葬儀が終わったばかりだが、奥さんが病院で彼女と鉢合わせて大騒動だったよ」
村木はその時の顛末を話してくれた。
富津は若い彼女とスナックで飲んでいた時に倒れて、心肺停止状態で救急搬送されていた。救急病院で蘇生措置を行ったが駄目だったということであり、市島から聞いた通りだった。
「それにしても早死にだよな。チェンは肥えていたので、健診でひかかっていたのかもしれないな」
高校時代は細身の体形だっただけに、異常な太り方だった。
「生活習慣病といのか、糖尿病と高血圧だったそうだ。どうやら単身赴任の不摂生が原因のようだ。チェンの奥さんは赴任先で葬儀だけ行って、遺骨を残して引き上げたので遺族も困ってな……」
凛子が心配した通り、チェンの奥さんは激怒して遺骨の引き取りを拒否したという。
「それでチェンの遺骨はどうしたのか?」
奥さんは若い彼女がいることも知らなかった様子で、葬儀の後はもの凄い剣幕だったという。
「奥さんは遺骨を若い彼女に見て貰えと言うけど、そういうわけにもいかないだろう。チェンが可愛そうだから、俺が奥さんを説き伏せて、先日遺骨を引き取らせたばかりだよ。今回だけは流石に俺も参ったよ」
裏番が子分の遺骨の行く先まで面倒をみた形になったが、その役目を果たせるのは裏番を置いて他にいなかった。
凛子の上京
翌年の五月に、単身赴任のアパートに電話がかかってきた。
「平山ですけど、元気している?」
四人の同窓会以来だったが、彼女からの初めての電話だった。
「凛子か、元気にやっているよ。どうした? 電話かけてくるなんて」
「今、羽田に着いたけど、これから会えない?」
凛子の声はどことなく沈んでいるように思えたが、敢えて東京に来た目的は訊かなかった。
「恋しい相原君に遥々逢いに来たのか? 事前に言ってくれれば迎えに行ってやったのに」
私が陽気に言うと、凛子が電話の向こうで少し笑った。
「バカ言わないの、いつも代々木のホテルに泊まるので、山手線の代々木駅に着いたら連絡くれない?」
凛子は定期的に上京している口ぶりだった。
「了解、一時間後には行けるよ」
代々木駅で落ち合ったが、凛子の目から以前の輝きが無くなり、心なしか肌にも艶がなくなっていた。
駅前の通りで、焼き鳥と海鮮料理の居酒屋の看板が目に入った。
「凛子、この店、来たことある?」
「ううん、入ってみようか?」
まだ早い時間だったので店は空いていた。
奥の個室に案内されて生ビールを二杯オーダーすると、凛子はウーロンにすると注文をつけた。
「この前はビールを飲んだだろう? この後、予定があるのか?」
「ううん……、でも今日は、アルコールは止めておくわ」
結局、私だけが生ビールを注文した。
何か私の時間だけが早瀬のように速く流れていくような気がするけど……。富津君の不倫の話しを聞かなかったら、わたし不倫していたかも……」
あの時、凛子は富津に、不倫に未来はないと厳しく迫っていたが、それは彼女自身への叱責だったのだろうか?
「もう少し、富津君ののろけ話を聞いてあげればよかった……」
富津の早世と遺骨騒動を重ね合わせて、凛子は後悔しているようであった。
「バレー部の市島と飲んだ時に富津のことを聞いたよ」
彼は東京に転勤する時に自宅を富津に売却した関係で奥さんともつながりがあった。