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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Frost

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 篠田は、熱心に調べ物をしているとは思えないようなだらけた姿勢で、それでも口調だけは、教室の一番前の席で授業を聞き入っている生徒のようだった。そのちぐはぐさに笑いながら、玲香はバックミラーに映るガソリンスタンドをちらりと見た。あそこで車が故障したなら、近くでひと晩過ごせる場所を探すに違いない。父が同じ屋根の下にいた、最後の日の記憶。それが居座る場所は薄暗く、ほとんど消えかけた蝋燭の炎のように微かな明かりに照らされている。
 今は少しだけ勢いを取り戻して、新しい記憶を投げ込めるだけの場所を空けているように感じる。
        
        
一九九六年 一月 二十五年前
        
「自分、よく飲むねえ」
 野瀬姉妹の父親は、満腹の人間に鍋セットを売りつけることができそうだ。萩山はそう思いながら、五杯目の酌に付き合った。あれだけ静かだった集落が、夕方になると一気に賑やかになった。公民館に集まった十五人に用意された夕食は豪勢で、萩山が普段、店の薄暗い事務所や、家族が寝静まった台所で食べる食事とは違い、温かさがあった。日が暮れる直前に風呂に案内され、旅館のような湯船で寛いだ後、宴会のような場に合流して食事を取る。今までの人生で、そのような経験は記憶にない。萩山家は、家族旅行とは無縁の家だった。
「ほんとに、助けていただいて、どう感謝したらいいか」
 萩山はそう言いながら、頭を下げた。康夫も空気を読むように、小さくうなずくように首を動かした。その目は少しだけ怯えているようで、理由は明らかだった。野瀬姉妹の妹、万世だ。萩山は、その姿を探した。万世は、康夫のことをペットの犬と同列に考えている節があり、公民館の入口で再会したときは『あー、いた!』と叫んで、彩乃に口元を押さえられていた。今は、二人とも別の一家の子ども達と話しているから、大人だけで囲む酒の席はまだ静かで、落ち着いているほうだった。しかし、いつ両親のもとに飛んで帰ってくるか、分かったものではない。野瀬姉妹の父は淳史、母は牧子と言い、共に三十五歳で萩山よりも少し年上だったが、その表情は柔らかく、『朝ごはんはうちで揃うよ。いや、勝手に食べさせたら、ちーちゃんに怒られるな』と言って、お決まりの冗談のように、夫婦で顔を見合わせながら笑った。七福神のように朗らかな表情が真顔の淳史は、康夫がすでに三度おかわりした煮物の鉢に目を向けて、言った。
「弟さんも、遠慮せずにもっと食べなよ。にしても、でっかいなあ自分」
 康夫は、あまり飲めない酒を、飲んだふりでもするようにちびちびと進めていたが、相槌を打つその表情は穏やかな方だった。大勢の人間がいる場では緊張して、最終的には萩山が逃がすように外へ連れ出すのが常だったが、今日は隣で、落ち着いた様子で聞き役に徹している。萩山は、視線を左右に泳がせた。長池親子の姿はない。千尋は、炭谷家だけで固まるように、父と母を合わせた三人で楽しそうに話し込んでいる。少しだけ黄みがかった冷酒を口に含むと、萩山は足の指を動かしながら顔をしかめた。
「ぼちぼち、足に来てます」
「なあに、痺れてんのよ。自分、椅子生活やろ? 洋風な顔しとるもん。こういう座敷で足が痺れるのは、普通やって」
 この男の遺伝子を継いでいるなら、万世が機銃掃射のように話すのも納得だ。隣でにこにこしているだけであまり話さない妻の遺伝子は、彩乃が継いだのだろうか。萩山はそう考えたとき、何年も見知っているように、この集落に住む人間の特徴が自分の頭に刻まれていることに気づいた。自分の頭の中に、家族以外の人間が小さな明かりを灯して、酒盛りをしている。そこはしばらくの間にしろ、彼らの居場所になる。ずっと金を数えている父親と、その金を数えなおしている母親。中学校のときの担任教師は、店の常連客のひとりで、萩山が学校で繰り広げる暴力行為に見て見ぬふりをしていた。その暗くて薄っぺらい記憶の集合体が、萩山家だ。炭谷家も、野瀬家も、ここに集う家庭は、何もかもが違うように感じる。
「ここ来るとき、川を越えたでしょ」
 牧子が言った。口を開けばその表情は彩乃と瓜二つで、若々しい。淳史が代わりに答えるようにうなずき、話を継いだ。
「あの川にかかる橋は、昔はなくてね。木の橋を何度かけても流されちゃうから、ずっと下流まで行かないと、町側には出れんかった」
 そろそろ、歴史の時間だ。こちらの自己紹介は終わった。仕事のことや、旅の目的を深く尋ねられなかったのは、好都合だった。萩山兄弟ということは知られてしまったが、それはもう取り消せない。明日の午前中ぐらいまでには、集落の全員が知ることになるだろう。萩山は、本当に痺れだしてきた足の位置を少し調節した。宿に腰を下ろしたときは、この語りの場を想像して気が重くなっていたが、いざ身を置いてみると、満腹感と酔いの組み合わせもあってか、それほど悪くないどころか、むしろ興味深くも感じる。
「上りは大変でしょう」
 萩山が言うと、淳史はうなずいた。
「そう、ほんとにね。橋ができたら、今度はその道を誰も掃除しないから、獣道になっちゃってね。とにかく、ここは冬になると、外から切り離される村なんよ。やから、夏から秋にかけて、いやっちゅうぐらい食料を溜め込んで、冬の間はパーッと切り替えて、毎日火を起こして騒ぐ。合理的でしょ?」
 淳史はそう言って、息継ぎ代わりに笑った。元から笑顔のような表情をしているが、笑うときには、はっきり笑顔に変わったことが分かる。いい店長になりそうだ。萩山はそう思いながら、相槌代わりの笑顔で応じた。淳史は裏山の方角を指差すと、言った。
「祭事もあるんよ。真冬にやるのは珍しいでしょう。昔からこの地域を守ってきた神様に、今日まで無事に生きてこられた感謝をする。まあ、よくあるやつ」
 冬に閉ざされたとき、十分な食料がなかったら。萩山は、目の前に並んだ料理を見回しながら、ふと思った。その反動か、皆の前に並ぶ皿は、わざと『食い散らかされた』ようにも見える。それは豊かさの象徴なのだろうか。
「もし、収穫が進まなかったら、冬を越せないこともあるってことですか?」
 萩山が言うと、淳史はうなずいた。
「昔は、あったみたいやね。今は便利な時代やから、どうにかなるんやけど。はちがしら様も、肩の荷が下りたと思うよ」
 聞き慣れない単語が出てきて、萩山は愛想笑いのまま、淳史と牧子の顔を交互に見た。牧子が口元に手をやりながら上品に笑い、言った。
「八に頭と書いて、はちがしら様です。ここの神様で、社にいます」
 収穫と繁栄の守り神。萩山はうなずいて、それとなく宙を見回した。淳史が笑顔で社の方向を指差した。
「あっちね」
 牧子が上品に笑ったとき、両端に彩乃と万世が飛びつくように帰ってきた。万世は全員の顔を見回しながら言った。
「楽しそうー! あー、寝てるー!」
 萩山は反射的に隣を向き、船をこぎ出した康夫の頭を叩いた。乾いた大きな音が鳴り、肩をびくりとすくめるのと同時に康夫が目を見開いて、言った。
「ごめん! ごめん、ごめん」
作品名:Frost 作家名:オオサカタロウ