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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Frost

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 篠田が笑い、玲香はそのわき腹を優しくつついた。篠田は、名店長というわけではない。任されている店も、普通の人間が酔った勢いでふらりと入るようなタイプの、わかりやすい店だ。だから、繁華街のよく目立つ通りの一本裏にある。この微妙な関係の付き合いは、四年に渡る。会社の同期と飲んだ帰りに、ひとりで近道をして、『あー、うちの店だな』と思って通り過ぎようとしたとき、軒先でタバコを吸っている篠田と目が合った。その目線は足下から頭までを移動したあと、胸で止まって、足にいったん移って、また顔に戻った。お酒の勢いもあって、からかいたくなったのを覚えている。『雇って。時給いくらですか』と聞くと、篠田は漫画のキャラクターのようにその場で飛び上がって、事務所に案内した。すぐに温かいお茶が出てきて、篠田は玲香の外見に対する感想をつらつらと話した。その中でも記憶によく残っているのは『垂れ目メイク似合ってるけど、優しそうなのは客になめられるんで、ガッと吊りましょう。それも似合うと思うな。あ、おれは垂れ目派よ』というフレーズ。感想はかなり長かったが、総合すると『目が合った瞬間ビッときた』というフレーズを六回繰り返していたから、それが一番言いたいことだったんだと思う。免許証を見せて、オーナーの妹だとネタばらしをしたときの顔は忘れられない。『これテストっすか? 自分、合格っすか?』と何度も聞きながら、それでも職業病のように、その目は顔と胸を行ったり来たりしていた。
「じゃあ、行こう」
 玲香はそう言って、自分でドアを閉めた。黒塗りのクラウンマジェスタの車内には、かすかなミントの香り。運転席に乗り込んだ篠田は、助手席で顔ごと暖房の風に当たっている斎藤に言った。
「皮膚、からっからになりますよ」
 斎藤は、玲香と同じぐらいの背丈で、男にしてはかなり小柄な部類に入る。クラウンのシートで体を全て包み込めるぐらいに、全体的に小さい。篠田と斎藤が二人で並んで立っていれば、人はその関係性を読み取れずに混乱するだろう。玲香は、斎藤が素直に暖房から顔を離したのを見て、こっそりと笑った。一週間前に斎藤が訪ねてきたのは、萩山家が持つチェーンの中でも最も歴史がある店だった。つまりは、父が経営に関わっていた店。従業員用の通用口はかなり巧みに隠されているが、斎藤はその前に立っていた。まるで、勝手を知る我が家に帰ってきたように。『萩山和基を探している』。そう言われて、古くから勤める黒服はすぐに気づいたらしい。噂話はすぐに広まって、篠田の耳にも入った。修也も今ごろは知っているだろうが、こうやって三人で車の中にいるとは想像もしていないだろう。もしかしたら、日帰りでは済まないかもしれない。トランクの中には、篠田と玲香がそれぞれ用意した旅行用の鞄と、斎藤が持ってきた袋のようなリュックサック。数泊はできる装備が入っている。
 篠田は国道に合流し、クラウンのスピードを徐々に上げていった。バックミラーの中で遠ざかっていく、この山道で唯一電気が通っていたレストラン。道の駅と書かれてはいるが、そこまでの規模はないし、看板にはうっすら『ドライブイン安川』という名前も見えた。玲香は後部座席で、窓の外を眺めている。このドライブを提案したのは、篠田でもなければ、玲香でもなかった。メッセージで交わしていた他愛ないやり取りの中で、斎藤の話題を出した。それがスタート地点となり、どちらともなく空いている日を尋ね、それが今日になった。雪は路肩にきれいにどけられていて、高規格の舗装道路は走りやすいが、二十五年前は違ったのだろう。
「今のレストランから、電話してきたんすよね?」
 篠田が言うと、斎藤はうなずいた。
「おそらく。この峠には、あのレストランしかないので。昔は、公衆電話があったんだと思います。和基さんは、このまま峠を越えて、ガソリンスタンドに寄ると」
 玲香は、後部座席から少しだけ身を乗り出した。その名前が誰かの口から発せられるのを聞くのは、変な感じだ。篠田はエンジンブレーキを効かせながら下り坂を走らせ、路肩に目を凝らせた。
「スタンドかあー」
 二十分ぐらい川沿いのゆるやかな山道を走った後、斎藤が窓の外を指差した。
「ガードレールの切れ目に、お店があります」
 篠田は、斎藤の指の方向を見て、ハザードを出した。あちこちに蔦が絡まった建物。コンクリートはぼろぼろと崩れ、屋根は事務所に向かって傾き、半分倒壊したようになっている。しかし、それは確かにそこにあった。廃墟になったガソリンスタンド。篠田は、敷地内に半分クラウンの車体を乗り上げると、シフトレバーをパーキングに入れた。
「玲ちゃん、どう思う?」
「ん−、わかんないよ」
 玲香はそう言ったが、そのポンプの古さや、かすれた『危険物給油取扱所』の字に、ここだけが二十五年前のまま止まっているように感じて、ドアノブを引っ張った。篠田が足並みを合わせるように運転席から降りて、斎藤が続いた。篠田は、ガラス片を踏まないように忍び足で歩きながら、ポンプに貼られた検査ステッカーに目を向けた。
「平成八年十月まで有効ってことは、当時はまだやってたのかな」
 斎藤は、枯れ木を参考にしたような色合いのダウンジャケットに半分埋めた首を、少しだけ傾げた。玲香は、篠田をやりすごして、事務所の隣にあるガレージの前に立った。真っ暗な整備用のスペースから鼻先を出して、トラックが止まっている。篠田は、玲香の隣まで来ると、よく観察するように首を前に出した。癖で、目を細めると口が開く。その様子を見ていた玲香が笑ったとき、篠田は言った。
「古いな。これは、キャンターだ」
「前に書いてあるの、読んだだけじゃん」
 玲香はそう言って、背伸びして車内を覗き込んだ。ガラスは埃をかぶっていて、ほとんど中を伺うことができない。
「ここの車なのかな?」
 玲香が言うと、篠田はトラックから事務所に興味を移し、小さくうなずきながらその前に立った。すりガラスの窓には、電話番号と『長池石油』の文字。篠田はドアノブを捻ったが、鍵がかかっていて、ただでさえ錆びついたドアは全く動かなかった。玲香は、斎藤の隣まで歩き、小さく頭を下げた。
「斎藤さんが教えてくださらなかったら、わたしここに辿り着くこともなかったと思います。ありがとうございます」
 斎藤は、笑顔と泣き出しそうな顔の中間で表情を固定し、気まずそうに肩をすくめた。
「すみません、突然で」
 玲香の父が残した手掛かりを知っているということを聞いた篠田は三食を奢り、家にまで泊めたが、斎藤は口数が少なく、大したことは聞き出せなかった。玲香は、篠田が調子外れな口笛を吹きだしたことに気づき、斎藤と一緒に、その方向を向いた。口笛で注目を集めた後、篠田は車止めのブロックを拾うと、車が何台か通り過ぎるのを待ち、振りかぶって窓に投げつけた。すりガラスが裂けたように割れて、その音に玲香は飛び上がった。
「ちょっと、なにしてんの」
「口笛でごまかしゃ、なんとかなるでしょ」
作品名:Frost 作家名:オオサカタロウ