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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Frost

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 お昼までには起きよう。頭の中で最後に考えたことは、確かそんなことだった。その現実的な考えと相反するように、深い眠りの中ずっと浮かんでいたのは、萩山家の娘だった自分が父親も揃った状態で育ち、全く違う人生を歩んでいる姿だった。夢でありながら、どこかに一致する点もあって、森の中にある会社に勤めていながら、同僚に篠田がいたり、真っ白な雪の中、ガソリンスタンドの店員として働く斎藤と出くわしたり、様々な景色が流れていったが、その度にどこかで『これは夢だ』と意識していた。知らない場所で、知らない人生を歩んでいる自分がいる。玲香は目を開けようとしたが、瞼の上に直に腰を下ろしているような頭痛に阻まれ、目を閉じたまま意識をはっきりをさせようと息を吸い込んだ。木の香りがして、それは夢の中で感じた匂いと一致していた。現実に引き戻された玲香は、頭痛をはねのけるように目を開けた。朝、千尋とコーヒーを飲んだのが最後だったはずだ。しかし、視界は真っ暗だった。目が慣れてくるにつれて、宙に浮いたジャングルジムのように見える縦横の線が、屋根を支える骨組みだということに気づいた。玲香は、瞬きを繰り返しながら、体の感覚だけでスマートフォンを探った。いつも体の傍にあったはずの重みはどこにも感じられず、連絡を取り合った最後の記憶だけが蘇った。
「篠ちゃん」
 言葉が飛び出し、右手と左手の感覚が完全に戻った。玲香は体をゆっくり起こした。真っ暗で、その広さと天井の高さから、民宿ではないことが分かった。窓から光が一切差し込んでこないから、夜まで眠っていたのだ。あのコーヒーに、何かが入っていたのかもしれない。まるで睡眠薬を飲んで眠った後のように、体が重かった。暗闇の中、言うことを聞かない体を賢明に捩ったとき、足を引かれたように感じて、玲香は肩をすくめた。恐る恐る足に触れると、右足首にロープが撒かれていて、土のようなざらついた感触が返ってきた。動けない。玲香は心臓の鼓動が緊急事態を察知して跳ね上がるまで、中途半端に体を起こしたままの姿勢で辺りを見回していた。
「すみません」
 玲香は、常識が先行して飛び出した自分の言葉の間抜けさに呆れた。片足を縛られていて、どこかも分からない場所にいる。これは異常事態だ。自分に言い聞かせて初めて、栓が外れたように声が出た。
「篠ちゃん! 斎藤さん!」
「あっ、はい」
 暗闇の奥で、斎藤の声がした。玲香は縋るようにその方向へ顔を向けて、言った。
「斎藤さん、大丈夫ですか? わたし、足をロープでくくられてて」
「すみません、まだじっとしててくれって、言われてます」
 斎藤の言い訳じみた口調は、どこか期待に満ちていた。玲香は体温が一気に冷めていくのを感じ、暗闇の奥から目を逸らせた。目が慣れてきた先に、さっきまで見えていなかったものが浮かび、気づいた。神社だ。わたしは、本殿の中にいる。
「あの、誰かいます?」
 玲香が震える声で言ったとき、すぐ隣で蝋燭の火が灯った。耳に息がかかるぐらいに近くで、千尋が言った。
「よく、お越しくださいました」
 順番に蝋燭に火がつけられていき、斎藤の声がした暗闇にも、橙色の揺れる光が投げられた。玲香が目を凝らせると、斎藤の姿は見えたが、その両手両足にはロープが巻かれていた。
「斎藤さん!」
 玲香が叫ぶと、斎藤は首を横に振った。
「まだ、じっとしてないといけないって。先代が待ってるから」
 千尋の手によって最後の蝋燭が明るく燃え始めたとき、彩乃が言った。
「では」
 彩乃の視線を追うように、玲香は首を振り向けた。大きな塊のようなものに紫色の覆いがかけられていて、その隣に立った万世が言った。
「はちがしら様、おかえりなさい」
 紫色の布がするすると床に落ちたとき、その真っ黒な影を見た斎藤が呟いた。
「ヤス……?」
 黒い肉の塊はあちこちがいびつに腫れあがり、その表皮はほとんど蝋のようになっていた。万世が言った。
「では、代替わりまでの間、あと少しの辛抱をよろしくお願いします」
 そろりと足音を消しながら、二人の人影が現れた。先頭に立つ神谷は、両手両足を失った康夫の前で、深々と頭を下げた。
「長きにわたり、お守りいただいた御恩を、忘れません」
 それを遮るように、斎藤が叫んだ。
「ヤス! あの、これってなんなんですか、なんであんなことに」
 千尋が諭すように目を向けて、言った。
「神になったんですよ。あなたもこれからなるんです。次の代となって、お守りいただきます」
 玲香は、集落の中で完全に閉じた理屈についていけず、その場に腰を下ろしたまま、いびつにあちこちが出っ張った塊を見つめた。叔父さんの話は、何度か過去形で聞いたことがあった。それが、ここの神様? 玲香が頭に浮かんだ疑問を呑み込めずにいると、黒い塊がぎしりと軋み、動いた。玲香は悲鳴を上げた。生きている。同じことに気づいた斎藤が、呼びかけた。
「ヤス、おい!」
 そのやり取りを眺めながら、千尋は二十五年前の『本祭』のことを思い出していた。萩山兄弟は、はちがしら様のことを生贄と呼んだ。実際には、神に捧げるわけではない。はちがしら様自体が、神様なのだから、死んでしまっては意味がないのだ。二十五年間、康夫はこの場所で生き続けた。万世がワイヤー型のノコギリを引きずって来ると、斎藤の周りに重ねて置いた。彩乃は結界を張るように本殿の周りに油を撒き、中へ一歩引いた。
 神谷が下げていた頭をようやく上げると、振り返った。玲香は初めて見る顔にたじろぎながらも、言った。
「殺人ですよ」
「そうである以前に、罪人です」
 神谷は鋭い目で、玲香の顔を突き刺すように見つめた。
「叔父さんは、誰かを殺したんですか?」
 玲香が言うと、神谷はうなずき、先回りするように斎藤の方を向いた。玲香はそれでも、自分の頭に浮かんでいたことを吐き出した。
「じゃあ、斎藤さんは? 罪を償ったんですよ」
「そうかもしれません。しかし斎藤さんは、篠田さんを殺した」
 その言葉が胃を直接殴りつけたように、玲香は思わず体を折った。篠田と入れ替わりに頭の中に入り込んできたのは、布団の中にくるまっていたときの、父の手の感触だった。
「出られなかったんだ……」
 自分の言葉で発すると、それは驚くぐらいに軽く、胸の中に落ちていった。狂った人間に捕まって、閉じ込められた。自分の父が見た最後の景色は、ここだったのだ。
「人は、簡単に人を見捨てられないものです」
 千尋が言い、お面をかぶった彩乃と万世がノコギリを拾い上げた。そのぎらついた刃が光をいびつに跳ね返し、玲香は目を逸らせた。神谷が蝋燭を一本ずつ吹き消していき、真っ暗闇に戻ったとき、刃が巻き付いて空気を切り裂くような音が鳴った。次に上がるのは、おそらく悲鳴だ。そう思って暗闇の中で目を閉じたとき、玲香は右足を掴まれたように感じて、身を捩った。声が喉元まで上がってきたとき、それを察知したように足首の周りで手の力が少し弱まり、どうにかして悲鳴をこらえた。すぐに気配が薄くなり、恐る恐る足首に触れたとき、固く捕えていたロープの感触がなくなっていることに、玲香は気づいた。思わず体に足を引き寄せたとき、また気配が強くなり、背中に冷え切った手が置かれた。
作品名:Frost 作家名:オオサカタロウ