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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Frost

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 萩山は道の入口に立つと、康夫を誘い込むように手招きした。動こうとしない大きな図体に、拾えるだけの雪を掴んで投げつけてやりたくなったとき、萩山は、康夫が俯いたまま肩を震わせ始めたことに気づいた。
「おい、しっかりしろお前」
 体が先に動き、萩山は、地面から千切ったように掴み上げた雪の塊を、康夫めがけて投げつけた。その勢いによろけた康夫は、短い不格好な腕で顔を庇った。萩山はさらに雪を固めると、庇った手めがけて叩きつけた。
「動けつったら、動けよ」
 萩山が抑えた声で言うと、康夫は首を横に振った。何かを意思表示するにしても、断ったり異を唱えるのは、これが初めてだった。予想外の反応に萩山が言葉を切ると、康夫は言った。
「ころ……」
 萩山は、何もしないという意思を示すために、拳を開いた。次の言葉を聞くまでは、何かを投げつけたり、行動を起こすつもりはない。それを理解した康夫は、顔を少しだけ上げた。
「ころさないでほしい」
 萩山の心臓が、素手で掴まれたのを逃げるように、いびつに跳ねた。
「なんだって?」
「兄貴は、さいごに、ころす。おれがめいわく、かけたから」
 まるで、仕事仲間と話しているようだ。萩山は表情をできるだけ和らげようとしたが、自分がどんな表情をしているのかは、寒さも手伝って皆目見当がつかなかった。萩山が間合いを詰めようとすると、康夫は後ずさりながら呟いた。
「おれ、じしゅするから」
「どうして、おれが殺すなんて思うんだ」
 萩山が言うと、康夫は自身もその答えを持っていないように、俯いたまま黙り込んだ。萩山は、そのうなだれた猫背を見ながら、子供のころからずっと共通して萩山家がやりつづけてきたことを、思い出していた。萩山家は、状況判断が早い。そして、相手が最初に下した判断から逸れることを徹底して拒否する。長男の和基は、後継ぎ。家族の力で大抵の暴力行為は揉み消してもらえるが、家族の中で意地悪く、加虐的な性格とみなされた以上、その枠から逸れることは許されない。康夫は、人間の形をした動物。長男と常に行動を共にし、時々『しつけ』を受ける。何かを学ぶことも、何かを感じることも、許されないし、認められない。萩山は、立ち尽くす康夫を見ながら、確信した。環境が変わったことで、檻のように機能していた家のルールが崩れたのだ。いや、もはや家じゃない。
 おれは、この弟に何をしてきたのだろう。
「お前は、おれの弟だぞ」
 萩山が言うと、康夫は何度もうなずいた。その情けない姿は、子供のときに持ち物を同級生に全て取られて帰ってきた日から、何も変わっていなかった。兄として、役割は果たした。康夫をいじめた同級生の『持ち物』は、小学校を卒業するまでの二年間、ありとあらゆる手段で『なくなり続けた』。本人が見ている前で、自転車を川に投げ捨てたこともある。それが、萩山和基に求められていた行動だったからだ。
 おれだって、実の弟を殺したくはない。
 この場を収めるために言いくるめようとしているのか、これが頭の中にずっとあったことなのか、今となってはごちゃ混ぜになってしまって、分からなくなっていた。
「ここには、ずっとはいられないんだ。旅行と一緒だよ」
 萩山が言うと、康夫は諦めたようにうなずいた。萩山は、林の中へ続く薄暗い道を指差した。
「おれたちには、仕事があるだろ。もし戻らなかったら、店はどうなる? おれたちが帰らないと、正月明けから大変だぞ。この道が町に繋がってるか、確認するんだ」
「町。まちにはいけないって」
「それを確認しよう。歩けるか?」
 萩山が手を差し出すと、康夫はそれがきっかけになったように、手を掴み返すことなく歩き始めた。萩山は頭上に伸びる枝の数本が折れていることに気づいた。折れた断面は真新しい。川を流れる水の音に案内されるように、萩山は歩いた。川は途中で明後日の方向へ逸れ、景色が開けて町の景色がおぼろげに見えた。大きな町ではないが、建物が見える。道路はくねりながらも、続いているように見えた。距離は読めないが、歩きなら夜通しだろう。光源がない中、歩き続けるのは難しい。しかし、ハイラックスを拝借するとなると、『逃げた』ということは必ず発覚する。
「お前、あの町まで歩けるか?」
「ちょっと、とおい」
 康夫が即答し、萩山は思わず笑った。その通りだ。辿り着けそうに見えるが、それは道がまっすぐであれば、の話だ。途中でつづら折りになっていれば、見積り通りにはいかない。もう少し先まで歩きたかったが、あまり時間が空きすぎると、怪しまれる。萩山は康夫の背中をぽんと叩いた。
「戻るぞ、昼飯はなんだろうな」
       
 長池は、事務所の中で日誌を読み返していた。カローラバンを入庫したことは、すでに書いた。しかし、本当は残すべきではないのかもしれない。八頭集落にかかる橋を初めて通ったのは、戦後という概念が消えつつあった頃で、小学校に上がった年だった。完成したばかりで、そのコンクリートの塊は頼もしいのと同時に、両端の橋げたは要塞への入口のようにも見えた。どちらも、集落の一部とされていない長池家には、無縁のものだった。ただ、学校へ通うにはその橋を渡るしかなく、長池は人目につかない早い時間に家を出て、なるべく人に見られないようその橋を渡っていた。早起きするようになったきっかけは、『火つけは川で水を被ってこい』と言われたからで、最初はその意味が分からなかったが、両親にそのことを話した夜、二人は八頭集落に伝わる『呪い』の話を、大真面目な顔で話した。
 長池自身は、現実主義だった。油売りだった先祖のやったことで、集落の外に家を構えている。それなら、集落の外にしかないものを作ればいいと考え、商売で燃料を扱うことを考え始めた。冬に薪を火にくべる時代が終わりつつあることは、敏感に察知していた。しかし、燃料を扱うには、危険物取扱者の資格が要る。そう考えた長池は、両親が期待した集団就職や集落の外での暮らしを全て捨て、一九七二年に長池石油を開業した。翌年に敏道が生まれ、一九九〇年に妻の敏子を病気で失うまでは、三人家族だった。
 今でも、安心して冬を越せるのは、長池石油によるところが大きい。集落の人間が来ても、わざわざ頭を下げさせることは、しなかった。商売は商売だ。敏道が学校で嫌な思いをすることはなく、炭谷家ともうまくやっている。行事や集落の習わしにも参加する義務はなく、一種の寂しさはあるものの、ほとんどの場合は気楽さが勝つ。今となっては、あれこれ頼みごとをしてくるのは、炭谷家ぐらいだ。
 敏道が給油に訪れた客に、地図を片手に道案内をしている。下りは通行止になっているから、山を大きく迂回するルートを案内しているのだろう。その様子を眺めながら、長池は無線が立てる音に注意を払った。
『私は、何のしがらみもありませんから。助け合いましょう』
作品名:Frost 作家名:オオサカタロウ