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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Frost

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 万世は、そうすれば記憶が蘇ってくるように、写真に写る子供のころの自分を、とんとんと指で叩いた。篠田は言った。
「あの民宿には、どれぐらいいました?」
「確か、祭りの日までは」
 万世が即答したとき、篠田はふと我に返った。ぽんぽんと聞き出してしまって、いいのだろうか。この答えを欲しがっているのは、玲香のはずだ。そう思ったとき、万世が深緑色の『原典』に手を伸ばした。髪が篠田の肩に触れて、くすぐったい感触を残した。
「九十六年以降のことは、この一冊に書いてあると思います。どんどん薄くなってるんですよね。昔のは五年で一冊なんですけど、九十六年以降はこれしかないんですよ」
 万世はそれを机の上に並べ、正月の記録を開いた。玲香が戻ってきて、篠田と目を合わせた。
「ごめん」
 万世が顔を上げ、呼び寄せるように手をぱたぱたと動かした。
「萩山さん、こっちの方が詳しく載っていますよ」
 玲香が覗き込むと、万世は真ん中に載る、集会場で開かれた宴会の写真を指差した。ピントの合っていない位置に座る二人の男。
「この二人が、例のお客さんです」
 体は半分こちらに向いているが、二人とも顔を背けている。その後ろ姿からは、もちろん表情は読み取れない。それでも、誰かは分かる。玲香は、そのシルエットを眺めた。本当に、ここにいたんだ。細身な方が父で、間違いないだろう。
 篠田は、隣に座る大男が気になり、玲香に言った。
「もうひとりは、友達?」
「叔父さんだと思う。会ったことはないんだけど、この人も行方不明だよ」
 玲香はそう言って、また写真を見つめた。生身の人間が紙に取り込まれたようだ。万世が思い出したように目線を上げた。
「千尋がネガを持ってるかも。聞いてみます」
 玲香の両頬が涙で光っていることに気づいたのは、篠田が先だったが、万世がすぐ横について、抱きかかえるように肩へ手を回した。篠田は集落史に目を逸らせながら思った。万世は勘がいいし、頭の回転も速い。まるで、次に何が起きるか予知しているようだ。
    
 がらんとした部屋の中を、何周したか分からない。斎藤は、足の指に意識を向けながら部屋の中を歩き回っていた。篠田と玲香は帰ってこない。遠くで動物が鳴いているのが聞こえて、斎藤は頭をぐるりと動かした。猫のようだ。すばしっこくて、何を考えているか分からない生き物。『猫の手も借りたい』という諺の通り、頼りにならない。
 出頭したとき、応対した刑事が向けた視線を、今でも覚えている。女を殺した人間が同房の連中からどう見られて、どんな目に遭うか、よく知っている目だった。その刑事もおそらく、無期刑を受けるとは思っていなかっただろう。公選弁護人ですら、事の成り行きを面白がっているようだった。十五年で出られたのは、抵抗することなく、大人しくしていたからだ。文字通り、何をされても。斎藤は、左足の薬指と小指があった場所に、意識を向けた。二本の指は同じ日に、凍傷で壊死した。斎藤をサンドバッグにしていた元暴走族の囚人に、真冬に氷水に漬けられたことで、あっさりとその機能を失った。最も辛かったのは、夜通しマットレスの下敷きにされることだった。骨が潰れそうになっても声が出せないから、誰も気づかない。『こいつには何をしても大丈夫』という空気が引き継がれ続けた結果、出所して十年が経つにも関わらず、まっすぐ立っているように見えても、骨のあちこちが曲がって、軋んでいる。その神経性の痛みは年々酷くなっていた。それが、やってもいない罪を被ったことで刑期の中で得た『贈り物』だった。約束とは、一体何だったのだろう。二十五年前の正月。年が明けてすぐに、真夜中の空き地で、萩山は言った。『数年だよ。お前は頭がいかれてるから、医療刑務所に送れる』。両親が事故で亡くなったとき、十九歳だった斎藤は自身も後部座席に乗っていて、頭の骨が折れる怪我を負った。脳のどの部分を損傷したかは、外科手術では判明せず、性格に変化を及ぼす可能性があるということだけを、担当の医師から教わった。萩山は、斎藤が店に出没するネズミを捕まえる様子を見て、言った。
『お前、その殺し方はサイコじゃないの』
 罠にかかったネズミを檻から出すと、その後ろ足を巨大なホチキスで板に打ち付け、頭をゆっくりと踏みつけて、少しずつ体重をかけていく。その過程で斎藤は、萩山にそう言われて気づいた。事故が起きる前にこんなことをした覚えはなかったと。しかし、殺し方のアイデアだけは、脳のある位置に用意されたプールに次から次へと注がれているようで、常に溢れ出していた。そして、萩山は苦笑いを浮かべても、止めることはなかった。一度だけ、固形燃料をネズミの全身に塗って火をつけようとしたときだけは止めた。
『そいつが逃げ回ったら、火事になるだろうが』
 斎藤は叱られたと思って首をすくめたが、萩山は檻を掲げた。
『先に檻の中に入れろ』
 檻の中で火だるまになって暴れまわるネズミを斎藤が見つめていると、萩山は呆れたように笑った。人に何かをしろと言っても、その結果が出るころには一歩引いた位置で苦笑いを浮かべる男。今思い返せば、萩山も面白がっていたのだ。斎藤にとっては、それは火だるまになったネズミだったが、萩山にとっては、斎藤がその役目を果たしていた。
 斎藤は、ふと足を止めた。体が左に傾き、食いしばった歯に少し力が籠る。こうやって帰ってくることができた。かつて、ネズミの殺し方で一杯だった脳の一部は、空っぽだ。ここ十年は思い出しもしなかったのに、それがどこにあるかだけは、今は不思議と分かる。修也と玲香は立派に育った。子供のころを知っているわけではないが、修也と違って、玲香はあの父親にはあまり似ていない。篠田も悪い人間ではないが、かつて真っ黒に変色した足の指を見て、『あー、そりゃ切断だわ。泣くなや、死なねえって』と言って笑った同房の男に、話し方が似ている。そして、猫のことを考えると、空っぽになった『例の場所』に、少しだけ何かが染み出してくるように感じる。部屋から出るだけの力が湧き、斎藤は一階に下りた。台所に立つ千尋が笑顔で見送り、斎藤は愛想笑いを返しながら靴に足を通そうとしたが、転びそうになって靴箱で体を支えた。斎藤は足元に視線を向けた。靴が逆を向いている。千尋がぱたぱたと足音を鳴らしながら傍に来て、言った。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です。大丈夫なんですけど、靴が逆になってて」
「あら、ごめんなさい。私が並べ替えたんです。変な習慣でしょう」
 千尋はばつが悪そうに首をすくめた。斎藤は自分で靴を正しい方向へ並べると、足を通した。なんとかまっすぐ立ち、掴んだときに少し動いた靴箱の位置を修正すると、言った。
「これ、逆にする習慣があるんですか? 靴を?」
「そうです、祭りまでの間」
 千尋はそう言うと、斎藤がさらなる説明を期待していることを悟ったように、歯を見せて笑った。
「悪いものが来ても、迷うように」
 斎藤は笑った。迷信の類だ。軒先に並ぶ靴が反対を向いていたら、それで『悪いもの』は入れないのだろうか。千尋が表情を変えないことに気づいた斎藤は、言った。
「悪いものって、何です?」
作品名:Frost 作家名:オオサカタロウ