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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Frost

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 篠田は肩を揺すって笑った。集落の方で聞こえるということは、もしかしたらどこかの家で飼われているのかもしれない。玲香も同じ方向を振り返ったが、結局前に向き直って、足を進めた。公民館の中は案内なしだとひどくがらんとしていて、窓から差し込む淡く色づいた夕日の帯の中で、埃がくるくる舞っているのが見えた。資料室の電気を点け、篠田は集落史を手に取った。
「さてと。おれが知りたいのは、歴史だ」
 最初のページには、集落の成り立ちが書かれていた。文字は新しく書き起こされているが、隣のページには、倒れた猫を取り囲み、油や食べ物を持って跪く村人の姿が描かれていた。目を忙しなく動かしながら、篠田は言った。
「この猫は長寿で、この村の平和の象徴だったらしい。三百年前の話だ」
「ちょっと待ってよ、もうそこまで読んだの?」
 絵に見入っていた玲香は、呆れたように笑った。篠田は、自分でも呆れたように苦笑いを浮かべ、ページをめくった。神社の絵が描かれていて、それはさっき見たのと同じ、石段の上にあった。
「どうも、この猫は手違いで死んじゃったらしいな。で、この村は不作になった。そういや、何も育たない土地だって、女将さんが言ってたっけ」
「この猫の呪いみたいなやつってこと?」
「そこまでは書いてないけど、文面からして、ガチで反省したっぽい」
 篠田の軽い言葉は、絵面に全くそぐわない。玲香がくすりと笑ったとき、外で車の停まる音がして、二人は目を合わせた。公民館の扉が開く音がして、足音と台車が転がる音が鳴った。集会場の中に台車が入れられ、足音が止まったとき、篠田は顔を出した。万世が髪をかき上げ、ひと仕事終えたように手を打ち合わせたところで、篠田は顔を引っ込めようとしたが、先に万世が目を向けた。
「あら、こんにちは」
「お邪魔してまっす。あ、万世さんちょっといいすかね」
 篠田は昔からの知り合いのように言うと、万世を手招きした。資料を覗き込む人間が三人に増えたところで、万世は言った。
「調べものですか?」
「そーなんすよ。歴史、詳しいっすか?」
「うーん、そこまでは。この集落で一番若い世代が、わたしとか彩乃なんですよ」
 万世は苦笑いを浮かべながらも、髪を耳にかけて、集落史を覗き込んだ。篠田は言った。
「なんか、手違いで猫が死んじゃって、ガチで反省したってとこまで読んだんですけど」
「ああ、これはね。不作の呪いです」
 その整った横顔からあっさりと『呪い』という言葉が出て、玲香は両腕に走った鳥肌を隠すように、両手に力を入れた。万世は集落史の、最初のページを開いた。
「わたしも、歴史については両親から聞かされたぐらいでして。ただ、習わしとして、祭りのときは、普段神様に守ってもらっているお返しをするんです」
「感謝する、というのではないんですか?」
 玲香が言うと、万世は視線を上げた。その大きな目は薄い化粧の中で異彩を放つようにはっきりとして、窓から差し込む夕日をまっすぐに跳ね返していた。玲香と目が合うと、万世は白い歯を少しだけのぞかせて笑った。
「そうですね、どちらかというと、わたし達が神様の守りをするのが目的です。この辺はちーちゃん……、いえ、千尋の方が詳しいと思います」
 玲香は、篠田の顔をちらりと盗み見た。時間が許せば、このまま明日まで聞いていそうだ。神様を守るということは、持ちつ持たれつの関係。玲香はそれを口に出そうか迷ったが、篠田と万世の両方から文句を言われそうな気がして、唇を結んだ。その表情の変化を察した篠田が、再び集落史に視線を落とした万世に言った。
「子供のころとか、覚えてます?」
「人並みには、覚えてますよ」
 万世はそう言って、顔を上げた。玲香は、篠田に向かって微笑んだ。千尋や彩乃よりも、万世の方が聞きやすい雰囲気がある。玲香は、小さく息を吸いこんでから言った。
「あの、今から二十五年前の話なんですけどね。九十六年です。正月のことは覚えていますか?」
「はい、この年はよく覚えています。本祭の年で、お客さんがいらっしゃったんですよ。雪で立ち往生しちゃって」
 万世が言った。玲香の心臓が好き勝手に暴れ出し、篠田が夕日を遮るように姿勢を正した。万世は玲香の目をじっと見ていたが、突然頭の中で線が繋がったように、歯を見せて笑った。
「もしかして、娘さんですか?」
 ずっと遠くに見えていたものが、突然目の前に迫ったようだった。半分が夕日に照らされた万世の笑顔に合わせてうなずきながら、玲香は思った。今まで、記憶のロープの端を離すことはなかった。その先は暗闇で、時折思い出しては端を引っ張ってみても反応などあるわけがなく、そうなることを受け入れていた。それが今日、たった今、二十五年間で初めて生身の力で反対側から引かれたのだ。その手応えの中に、底の見えない微かな恐ろしさがあった。
「そうです、あの……」
「出て、右に行くとあります」
 篠田が、それがお手洗いのことだと気づくよりも前に玲香は資料室から出て、木でできたドアを開いた。鏡の前に立ち、目元を確認する。自分がどんな表情をしているのか、涙を流しているのかも分からない。自分ではない誰かが電源ボタンを踏んで、体全体にリセットがかかったような感覚。改めて見てみれば、がらがらと音を立てて散らばったのは内面だけで、外から見れば少し化粧が派手なだけの、二十九歳の女だった。泣きたいわけでもないし、言葉は見つからない。ただ、過去と再び接点を持つには、あまりにも長い年月が経ちすぎたのかもしれない。
 篠田は、姿を消した玲香を気にするように、開きっぱなしになったドアをちらりと見てから、集落史を開いた。九十六年の正月。祭りの前に撮られた写真。万世は言った。
「あら、わたしだ。恥ずかしいな」
 写真を撮ると言われても、じっとはしていられない。そんな活発さが、写真から滲み出ている。おかっぱ頭に気づいた篠田は、全く異なる髪型の万世を見ながら言った。
「おかっぱ、やめちゃったんすね」
 万世は声を出して笑った。その仕草の端々には、姉に縋りついて笑う妹の面影がある。自由に振舞っていても、隣で姉が訂正してくれる安心感。おそらく、物怖じしない明るい子供だったのだろう。篠田がそれを口に出そうか迷っていると、万世は言った。
「仕事柄、髪を上げられないと困るんですよね」
「万世さんも、働きに出てんすか? 彩乃さんと交代じゃなくて」
「はい、ドライブイン安川で働いてます。駐車場にマジェスタが停まってるの、見てましたよ」
「マジ?」
 篠田がそう言って笑ったとき、万世は同じように笑顔を浮かべながら、篠田の肩をぽんと押した。
「まさか、こんな形でいらっしゃるなんて、思いませんでした」
 そう言ってくすくすと笑う万世は、篠田の目には今までに見たことない種類の人間に見えた。顔見知りばかりの集落で育ち、地元から離れることなく過ごしている。独身なのかということも気にかかったが、それは言い出す気になれず、篠田は言った。
「縁つうか。玲ちゃんさ、二十五年前に親父が出ていったきりで」
「そうだったんですね。ご兄弟でいらしてましたよ。これこそ、千尋の方がよく覚えているかと」
作品名:Frost 作家名:オオサカタロウ