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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Frost

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「着替えとかないでしょ。長池に持ってこさせるわ」
 萩山がどう答えていいか分からないでいると、千尋が台所に顔を向けながら言った。
「今日、揃うかな?」
「それは長池次第やね。敏道くんなら、揃えてくれるやろ」
 達夫が笑った。それに和美が共鳴するように笑い声を添え、千尋までが笑った。この集落での長池家の扱いは、相当下だ。無線が用意されているというのも、緊急時に燃料を持って来てもらう本来の目的以外に、雑用をすぐお願いできるようにするためではないのか。萩山がそう思ったとき、直感を補強するように、無線を持った達夫がオレンジ色のボタンを押しながら言った。
「長池さん、ごめんねえ。お客さん二人な、今日も泊まるかもしれんから、着替えを一式用意したってほしいんよ」
 返事は雑音交じりで聞き取りにくかったが、長池の声だった。萩山は頭を下げた。
「何から何まで、ありがとうございます」
「身動き取れんのは、心細いやろ。少しでも気が楽になるように、協力させてもらうよ」
 達夫はそう言って、朝食の準備に戻った。味噌汁の匂いが広がり始めたとき、引き戸を開けて、彩乃と万世が顔をのぞかせた。
「おはようございます」
 彩乃が二人分の挨拶を担当し、万世は『お気に入りのぬいぐるみ』である康夫の姿を探すように、首を伸ばした。
「ねー、ヤスさんは?」
「部屋で休んでるよ」
 萩山は短く答え、万世の視線から逃れるように後ずさった。空気が少し澄んで、神谷が言った。
「戻りましょうか」
 二人で階段を上がりながら、萩山は万世の言葉を頭の中で繰り返していた。康夫は仲間内で『ヤス』と呼ばれている。少なくとも、自分と康夫が兄弟だということは、集落内の全員が知るところだろう。しかし、あだ名は? あの、集会場での三時間。色々な人間と話した。ほとんどは自分が会話の主導権を握っていた。しかし、自分が捉えきれなかった会話もあちこちにあったはずだ。康夫は誰かに、どう呼んでいいか尋ねられたのかもしれない。そして、ありのままに答えたのかも。自分の知らないところで、萩山兄弟に関する事実が少しずつ積み上げられている。
 部屋に上がると、康夫はくしゃくしゃになった掛布団の上に座り、ぼんやりと宙を見つめていた。誰にあだ名を伝えたのか、問い詰めてもよかった。しかし、眩しいくらいの朝日に照らされる康夫の姿は場違いで、猫背であることも相まってか、情けなくすら見えた。
「目、覚めたか?」
「うん。ごはん?」
 萩山は時計を見上げて、首を横に振った。
「もうちょっと我慢しろ。あと十五分ってとこだな」
 萩山が向かい合わせに座ると、康夫は居住まいを正した。猫背が不器用に伸びあがったのを見て、萩山は言った。
「くつろいだらいいんじゃないか。旅行みたいなもんだ」
「りょこう。たのしかった」
 康夫が言い、言葉自体を恥じるように少し俯いた。萩山は言った。
「今晩も、ここに泊まることになる」
 もしかしたら、結構な期間。所持金は十分ある。ここに泊まり続けたとしても、支払いで揉めることはないだろう。最初の一泊はタダでも、何日もそれが続くとは思えない。康夫は少し気分が晴れたように、ぎこちなく笑った。
「りょこう、続くってこと?」
「そうだよ。だからそわそわせずに、くつろいだらいい。去年は大変だったろ」
 あの、忌まわしい殺し。年を跨いだからか、大昔に感じる。そしてどういうわけか、この部屋にいると、その記憶が擦り切れていくように、薄くなっていく。現実の延長線上にいないような感覚。自分から、弟を労うような言葉が出るのも、信じられなかった。ここに来て以来、以前とは全く違う人生を歩んでいるようだ。ぼうっと座っているだけで、あっという間に時間は過ぎた。
 朝食の席には、千尋と神谷がいて、達夫と和美は出かけた後だった。萩山は言った。
「お父さんとお母さんは、食べないんですか?」
「ええ、朝は仕事場で食べます。お昼に帰ってきますけど」
 千尋に合わせるように、全員で『いただきます』を言い、萩山が卵焼きを箸で割ったとき、神谷が言った。
「早い方がいいなら、ご飯の後でもいいですよ」
 萩山は笑顔でうなずいた。
「そうですね、早い方が助かります」
 康夫が会話の流れを追おうと試みるように、萩山と神谷の顔を代わる代わる見た。萩山は言った。
「ドライブイン、覚えてるか?」
「でんわ?」
「そう、公衆電話を試してみる」
 萩山が言ったとき、千尋が納得したようにうなずきながら笑顔を見せた。
「あそこなら、大丈夫だと思います」
 朝食が終わり、萩山は食器を運ぶのを手伝おうとしたが、上品に笑う千尋に止められた。
「お気遣いなく。ありがとうございます」
 神谷がリュックサックのカラビナからハイラックスのキーを外して、言った。
「行きましょうか」
「よろしくお願いします」
 萩山は頭を下げ、部屋に戻ろうとする康夫の肩を掴むと、言った。
「お前もだよ」
 ハイラックスサーフは新しい型で、ギアはマニュアルだった。シフトレバーの隣にはトランスファーのレバーが生えていて、神谷はディーゼルエンジンに火を入れると、助手席に乗り込んだ萩山に言った。
「大きくて運転しにくいけど、頼りになるんですよ」
 後部座席に座った康夫が不安げに車内を見回し、神谷はハイラックスを発進させた。ドライブイン安川までの道は真っ白になっていて、除雪自体が間に合っていないどころか、積もるのに任せたようだった。駐車場にハイラックスを寄せた神谷は、電話ボックスを指差した。
「いってらっしゃい」
作品名:Frost 作家名:オオサカタロウ