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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Frost

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一九九六年 一月 二十五年前
      
 朝の七時半。電気を点けなくても、明るすぎるぐらいに日が差している。萩山は目を開けて、電灯から垂れ下がる紐を眺めた。昨日の酒は抜けきっているが、体の中が色々な物を余計に吸い込んだように重い。頭痛はなく、日付が変わる前から熟睡できたということが分かった。昨日の今頃は、閉店したばかりの店舗の裏にある空き地に隠したカローラバンを取りに行っていた。がさりと音がして野良犬が出てきただけでも、飛び上がって車の影に隠れるぐらいに、びくついていた。夕方に事態が一変して、これだ。集落で一泊して、今は朝御飯が用意されるのを待っている。萩山は体を起こした。康夫はすでに起きていて、窓ガラス越しの景色を見ていた。康夫が自分で起き出すなど、今までに見たこともない。萩山は言った。
「起きてたのか」
「たのしかった」
 康夫は窓の外を眺めながら言った。萩山は、康夫の大きな背中を見ながら思った。人生に一度も吹き込まなかった風。見知らぬ土地で歓迎され、一泊するだけのことだが、萩山自身もその暖かさには無縁だった。
「そうだな」
 萩山は、康夫の隣に立って窓の外を眺めた。向かいの野瀬商店は営業中だが、人の気配はない。昨晩から降り続いた雪が積もっていて、そこに何組か足跡が見える。隣の部屋で引き戸の開けられる音が鳴り、足音が部屋の前を横切っていった。
 神谷のハイラックス。せめて、ドライブインまで戻ることができたら。萩山は続きを考えながら、差し込む朝の光から逃れるように、布団の上へ座り直した。通行止になったのは、町に下りる道。つまり、目的地の方向だ。逆方向も、同じようにどこかで通行止になっているのだろうか。萩山は立ち上がると、鏡で寝癖の具合を確認し、トレーナーの上に上着を羽織った。
「ちょっと電話かけてくるから、そこにいろよ」
 返事を待たずに引き戸を開け、温度差に肩をすくめながら階段を下りきったところで、萩山は千尋とばったり顔を合わせた。
「おはようございます。よくお休みできましたか?」
 千尋が浅くお辞儀をし、萩山は思わず頭を下げて言った。
「おはようございます。おかげさまで、疲れも飛んだ感じです。あの、長池さんに電話をかけたいのですが。公衆電話ってないですかね?」
「そこの電話を使って頂いて大丈夫ですよ。番号は、電話帳の黄色の付箋のところにあります」
 千尋は手に持っていた雑巾を床の隅に置き、玄関のすぐ近くに置かれた黒電話の前に立った。萩山は一礼して、電話帳の付箋の位置を開きながら受話器を上げたが、じりじりと無機質なノイズが鳴るだけで、ダイヤルを回しても反応がなかった。立ち去ろうとしていた千尋が振り返り、受話器を持ったままフックを押し込む萩山に気づいて、言った。
「かかりませんか?」
「はい、ノイズみたいなのは鳴っているんですが」
 萩山が言うと、千尋はすぐ隣に立ち、受話器を耳に当てた。いくつか番号をダイヤルしたが、小さく『あら』とだけ言い、受話器を置いた。
「つながりませんね。長池さんでしたら、無線で呼べますよ」
 千尋は早足で台所に入り、四角い無線機を持って戻ってくると、目を丸くしている萩山に言った。
「燃料は死活問題になるので。電話は、ときどき止まっちゃうんですよ」
 千尋はボタンを何度か押して、三度目で言った。
「長池さん、すみません。いらっしゃいますかー」
 しばらく経って、雑音が小さなスピーカーから鳴った。
『はいはい、ごめんごめん。聞いてるよ』
 千尋は無線機を萩山に手渡すと、オレンジ色のボタンを指差して、言った。
「ここを押しながら話してください」
 萩山は一度咳ばらいをしてから、ボタンを押した。
「長池さん、おはようございます。萩山です。昨日はありがとうございました」
 ボタンを離すと、少しだけ間が空いたが、長池の声が少しだけ『余所行き』になって帰ってきた。
『萩山さん、カローラはねえ、まだ動かんよ。部品がないと。あと、鍵持って行ってない?』
「すみません、癖で持ってきちゃいました。通行止になったのは、町に下りる道ですよね? 反対向きはどうなんでしょう。引き返そうかと」
『山を越えるの? 危ないな』
 ドライブインに辿り着くまでの道は、何度か尾根を越える山道だった。そこを逆向きに辿るということは、そこそこの勾配がある上りの山道を走り抜けなければならない。常識的には、カローラバンを置いていくわけにもいかないし、一時的なものになるだろう。ドライブインで降ろしてもらい、そこで誰かに拾ってもらうか。しかし、先に行けないと分かっていて、わざわざ山越えしてくる人間がいるとも思えない。
「ドライブインは、開いてるんですか?」
『今はね。町側の道路が止まっちゃうと、春まで閉めるかもしれんね』
「ありがとうございます」
 萩山はそう言って、無線を千尋に返した。
「参ったな……」
 呟くと、台所の奥から千尋の父と母が顔を出して、母が言った。
「どうしたんな?」
 千尋の父は達夫、母は和美で、二人とも四十代半ば。お互いがどうやって知り合ったかということまで、萩山は野瀬家から教わっていた。達夫は、千尋と生物学的に違う生き物のように強面だが、笑顔は柔らかい。和美の方は真顔こそ優しいものの、その表情はあまり変わることはなかった。千尋が言った。
「町側の道が詰まっとるんよ。電話も繋がらんし」
「電話、あかんのか」
 達夫が言い、自分の手で受話器を上げると、千尋や萩山が試したのとまったく同じことを自分の耳で確認し、顔をしかめた。
「よく止まるからな」
 神谷が外から帰ってきて、玄関で靴を脱ぎながら言った。
「おはようございます、皆さん揃って、どうしたんですか?」
「電話が不通になった」
 達夫が言い、和美は自分が問題の原因であるかのように、肩をすくめた。野瀬商店の引き戸が開き、中から彩乃と万世が顔を出した。大騒ぎだ。萩山は集まりから少しだけ距離を取って、神谷に小声で言った。
「すみません、電話をかけたくて。お借りしたら使えなかったんです」
 神谷は眼鏡をぐいと上げると、眉をハの字に曲げた。
「はあ、困りましたね」
 その横顔は理知的で、萩山が目線を逸らすタイミングからやや遅れて、神谷は萩山の方を向いた。
「車は、治らないんですか?」
「部品が要るんですよ。その部品も、道が開かないと来ないんです」
「神谷さん、すみません。あのハイラックスは四駆ですよね?」
「はい。あ、ドライブインまで送りましょうか?」
 萩山は、壁にかかる時計を見た。達夫と和美が台所に戻り、朝食の準備に戻った。千尋は雑巾を拾い上げながら、萩山と神谷の様子を伺っていた。萩山はうなずくと、神谷の目を見ながら答えた。
「そうですね……、お願いしたいです。どこかでお時間があれば」
「お祭りまでは暇ですから、いつでもいいですよ」
 神谷はそう言って、笑顔を作った。体の芯に光が灯っているように、その表情には明るさがあった。萩山がぺこりと頭を下げたとき、千尋が言った。
「今晩もお泊りになるなら、それは大歓迎です」
 その言葉にはどことなく、年相応の感情が込められた響きがあった。萩山が小さく頭を下げると、台所から達夫が言った。
作品名:Frost 作家名:オオサカタロウ