二人一役復讐奇譚
「ひょっとすると、弟さんじゃないかしら? 確かサトシさんには弟がいるようなことを一度話していた気がするの。その弟は今年大学を卒業して、やっと就職できたって言っていたのよ。ただ、一つ気になるのが、その弟が大学で、小説研究会に入って、自分でも小説を書いていたって言っていたわね。私はその時それ以上、言及はしなかったは、だって、小説というと、あの秋田が目指していた分野でしょう? いまさら思い出したくもないと思ったから、弟の話はほとんど聞いていなかった気がするわ。真理子さんの方ではどうですか?」
と言われて、
「ええ、弟さんがいるという話は聞いたことがあったけど、それ以上の詳しい話はしなかったと思う。私といる時、ほとんど家族の話をしたことはなかったし、弟のこともいるというだけの話で、どんな人なのか、まったく言わなかったわ。ひょっとして私に気を遣ってくれているのかって思ったもの」
という真理子に、
「それはそうかも知れないね。サトシさんにはそういうところがあった。私に話をしてくれたのは、あの時、私も弟がいたので、ちょうど弟についての話になっていたんじゃなかったかしら。そういう意味ではただの偶然だったと言えるかも知れないわね」
と、恭子は言った、
「でも、その名前が弟だとすると、弟が何か記憶を失い時に関係していたか何かなのかしらね?」
と真理子も言った。
「私は、自分から家族の話をするのは嫌なんです。今回田舎に帰ってきたのは、都会に疲れ果てたというのが本音だったんですが、帰ってきたら、もう少し暖かく迎えてくれるものだと思っていたんだけど、本当に田舎って冷淡で面倒臭いものなのよ。都会から帰ってきた人に対しての偏見は、時代が変わっても変わらない。どうせ、都会で何か大きな失敗をして挫折して帰ってきたという風に見られるだけで、本当のことではあるんだけど、嫌でしかないわよね。息が詰まってくるし、どうしてもっと柔軟に考えられないのかって思ったりしますよね。だから田舎が嫌で都会に出たのに、これじゃあ、本末転倒もいいところよね」
と言った。
「私は広島に親戚がいるのはいるんだけど、自分の田舎があるわけではないので、田舎がある人が羨ましかった。そういう意味では、サトシさんも田舎があるわけではなく、自分も帰るところがないようなことを言っていたような気がしたわ」
と恭子が言ったが、
「えっ?」
と、いう真理子のリアクションに、こっちもビックリした。
「サトシさんが田舎がないって?」
「ええ」
「私には、田舎があるような話をしてくれたわよ。自分も田舎から出てきて、いまさら田舎に帰ることはできないので、その時、弟と一緒だって言っていたような気がするんだけど、あなたに対しての答えとは違っているわね」
「ええ、そのようね。でも、それも彼の優しさで、話を合わせてくれていたのかも知れないわよ。もっともそれが彼の優しさなのかも知れないけど」
と、恭子がいうと、真理子も一緒に頷きながら、目の前で自分の話をしているとも気付いていないのか、きょとんとした表情をしているサトシだった。
――この人のこんな表情見たことがない――
と、奇しくも二人は同時に同じことを感じていたようだ。
だが、果たしてサトシは本当に田舎がないのだろうか? そして、それぞれに気を遣って話を合わせただけなのだろうか?
意識が戻らないと分かってこないことではあるが、少しでも早く知りたいと思うのは、真理子の方だっただろう。
二人で一人
「みゆきとあやめ」
いわゆる、
「恭子と真理子」
は、お互いに似たような境遇で顔もよく似ている。
――ひょっとすると、真理子さんは自分と似ていなければ、秋田のような下衆な男の毒牙にかかることはなかったかも知れない――
と真理子は思ったが、それは違うだろう。もし、恭子の存在がなくとも、秋田にとって毒牙に掛けやすいと思ったのであれば、最初から狙ったに違いない。
それは恭子くらい頭の回転が速ければ容易に分かることに違いないが、どうしても、真理子が気になってしまう。顔が似ているということにこだわっているのは、恭子の方だった。
真理子の方は意外と恭子を意識しているわけではない。同じ相手からひどい目に遭ったという意味での同族意識のようなものはあるが、それ以上の意識はない。それよりもサトシの記憶が何とか戻ってほしいという意識の方が強く、それには恭子の存在はありがたいのではないかと思ったのが、真理子の恭子と一緒にいる理由である。
「観光するのであれば、私も行こうかな? サトシさんにもいろいろ見せてあげたいとは思っていたので、そういう意味では一緒に行けるのは好都合だわ」
と言った。
恭子はその言葉を額面通りに受け取り。
「それはありがたいわ。地元の人が案内してくれるのであれば、それに越したことはないよね」
ということで、まず最初は、
「北の方から行ってみましょうか?」
「井倉洞とか、備中高梁とかかしら?」
「ええ、そう、新見から下がってきて、最後は倉敷にいければいいわね」
ということで、少しハードかも知れないが、翌日は少し早めに起きて、行動することにした。
岡山から総社を抜けて伯備線に入る、新見の手前の井倉駅まで行って、そこから徒歩で軽く歩いたところに、井倉洞はある。
ここの鍾乳洞の規模は結構大きくて、広さよりも、その立体的な大きさに魅力があるのだという、なるほど、出口は山の上にあるということで、結構歩くだけでも運動になりそうだ。
途中の足元のおぼつかない場所もちょこちょこあり、三人は、やっと進むことができるくらいのぬるぬるした足元に気を付けながら歩いていた。
すると、途中でサトシさんが苦しみ出した。
「どうしたの、サトシさん」
と、真理子は心配しながら、途中の求刑できそうな場所を見つけ、そこに腰かけさせ、左右からサトシさんを囲む形で、二人も腰かけた。
「どうしたのかしら?」
と真理子は心配しているようだが、
「これは何かを思い出している証拠なんじゃないかしら? 思い出すにはきっと超えなければいけない壁があって、今彼はその壁に手をかけているのかも知れない」
と恭子は言った。
中学時代に恭子は、やはり記憶を失った友達がいたのだが、その友達の記憶が少しずつだがよみがえっていった時、ちょうどこんな感じだったことを思い出していた。
――あの時も、生みの苦しみのようなものがあったんだっけ――
というのを思い出してくると、ただ、オロオロと落ち着かない真理子に比べて、恭子の方が幾分か落ち着いていた。
「ねえ、サトシさん。何かが見えてきたの?」
と声をかけると、息も絶え絶えにサトシは。
「弟が、弟が、ううう……」
と言って、唸っている。
「弟さんがどうしたの?」
と、恭子がまた声をかける。
「こっちを向いたあいつは、真っ赤に染まっていたんだ。こっちに向かってくる。ああ、このままだと殺される」
と、言って、頭をもたげ、泊らない震えを最小限にしようとしてか、まるで饅頭のように身体を丸めるのだった。