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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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「やめてよ、まだ恥ずかしいから。電話したのはね、パールの話。マスターがもう長くないの」
 立石は平静をぎりぎり装い通して、それでも目を少しだけ伏せた。店主は目と鼻の先でイヤホンをつけている。友恵は続けた。
「上の話では、持田くんか、もし興味があるなら立石くんって話になってる」
「腕がもう少し落ちたら、考えるよ」
 立石は受話器を首で挟むと、右手を眺めた。ただの手とは思いたくない。引き金と対話する役目を果たす人差し指は、いつだって特別だ。立石の言葉への相槌を飛ばした友恵は、言った。
「完全にイヤってことはないのね。また決まったら、色々と教えるよ」
 立石は受話器を置き、店から早足で出るとスタンザの後部座席に乗り込んだ。めまいがするぐらいに冷えた車内で一度くしゃみをすると、ハンドルを握る矢崎が肩をすくめた。助手席に座る持田が振り返って、言った。
「風邪ひいたか? それか、誰かが噂をしてんのかな?」
 立石は、苦笑いだけで応じた。いや、お前の代わりにくしゃみをしたようなものだ。その反射神経に陰りが見えているのは、一度で姿勢が安定しなかったセドリックや頭のたんこぶが証明していると思ったし、同時にそんなことはあってほしくないと考えていた。
「パールの店主って、何歳だ?」
 立石が言うと、矢崎がスタンザのシフトレバーを操作しながらバックミラー越しに視線を合わせた。
「六十三歳だそうです」
 持田が灰皿を引き開けて、エコーを一本くわえると火を点けた。
「そろそろ、交代か」
 いつも通りの会話なのに、うまく間に入って繋げられない。立石が会話に入るタイミングを見失ったことに気づいた持田は振り返った。
「お前、ほんとに風邪ひいたんじゃないか?」
 スタンザを駐車場の出口で一時停止させて、矢崎が言った。
「健康が一番です、そう思います。はい」
 立石はうなずいた。二年目の矢崎が、一人前に仕事を終わらせるのを見届ける。できなかったら、笑顔で『次があるよ』と言って顔に弾を撃ちこむ。今日の仕事の趣旨は、それだ。一時間ほど走ってガード下をくぐり、河川敷を見下ろす廃アパートに辿り着いた矢崎は、緊張が喉までつかえているような青い顔で言った。
「では、行ってきます」
「いちいち言わないで、早く行け。五分だ」
 持田が言い、矢崎はナイフをポケットに入れると、スタンザの運転席から降りた。持田は一旦降りて運転席に移り、立石は同じように助手席へ移動した。いつもの位置関係に戻り、持田がシートの位置を調整したとき、立石は言った。
「うまくやると思うか?」
「これが単独で二人目だっけ? どうだろうな」
 持田が会話を宙に浮かせたまま黙ったとき、立石は運転席に目を向けた。その横顔に視線が向いたとき、持田が顔を向けて言った。
「お前、パールの店主と交代するつもりなのか?」
 立石は目を見開くと、顔を引いた。持田は続けた。
「昨日、クジャクが言ってたんだ。興味がないか、聞いといてくれって」
 つまり、クジャクは返事を待っているのだ。立石が相槌代わりにうなずくと、持田はニュートラルに入ったシフトレバーに触れて、左右に動かした。神経質な仕草。スタンザではなく、もっと馬力のある車を使いたかったのだろうか。立石は、その様子を眺めながら思った。パールの店主というのは、諸刃の剣のような存在だ。モズからはキャリアが終わった人間として見られるが、死ぬことはない。家族がいる身としては、有難い立場だ。この業界から『お世話になりました』と言って立ち去るのは、かなり難易度が高い。上手く出て行ったらしい連中も知っているが、その後を知りようがないから、今この世で暮らせているのかは分からない。
「パールの店主、夜になるとだいたい絡まれてるよな。やり返せないのは辛くないか?」
 立石が言うと、持田は笑った。
「まあ、ガス抜きだから。組織内の立場としては上になるけど、モズには馬鹿にされる。難しいとこだね」
 持田の口調には迷いがある。それ自体が不思議だったが、実際のところ、反射神経には限界があるし、それは年々衰えていく。銃の取り扱いも同じだが、車の運転ほどはっきりとは現れない。矢崎が階段を降りてきて、小走りで後部座席に飛び込んできたところで、二人の間の会話は完全に終わった。持田がシフトレバーを操作しながら言った。
「三分三十秒、上出来だ」
 簡単な仕事。相手は、廃アパートに住み着いているホームレス。依頼人は建物の持ち主で、その弟。妙に細かい情報が伝わってくるのは気に食わない。引き金を引く側としては、相手のことなど何も知らない方がいいし、大事なのは相手がどっちの方向を向いているかだ。それによって仕事のしやすさは大きく変わる。そう考えながら振り向いたとき、立石は、矢崎が右手を押さえたまま俯いていることに気づいた。親指の付け根から手のひらにかけて大きな切り傷ができている。ナイフが滑って刃が手に当たったのだろう。
「持田、白井のとこに寄ってくれ。怪我してる」
 立石が言うと、 矢崎が青白い顔を上げて首を横に振った。
「大丈夫です」
 返事の代わりに持田はシフトレバーを二速に落とすと、医者の家を目指して国道をUターンした。二時間ほど走って辿り着き、医者本人ではなく中学生の娘である貴美子が、痛みで気絶しそうになっている矢崎の手を不器用に縫合した。
 全体で、約三時間の道草。持田は軒先でエコーの箱を取り出すと、隣で缶コーヒーを飲む立石に言った。
「うまくいかないもんだな」
「うまくいったよ。あいつの怪我は仕事とは関係ない。現場に自分の指でも落としてりゃ別だが」
 立石が言うと、持田はエコーを一本抜いて口にくわえ、火を点けた。深く吸い込んだ煙を吐き出したとき、立石はその横顔に言った。
「で、店主になるのか?」
「おれが? なんでだよ」
「それほど、嫌でもないだろ」
 立石が言うと、持田は鼻で笑った。
「上がやれと言ったら、それは絶対だしな」
 煙草の煙が断続的に吐き出され、それは明らかに心の中を映していた。持田はおそらく、抜けるタイミングを見計らっている。予定外の出来事に、新人の子守り。年齢を重ねるごとに、仕事は複雑になっている。それは、生きて帰れるチャンスが少しずつ目減りしているということでもある。幸い、缶コーヒーを手に持っているだけだから、こちらには考えを読まれるような要素はない。立石は中身を飲み干すと、持田に差し出した。吸殻を中へ投げ込むと、持田はスタンザの方へ歩き始めた。立石は後ろ姿を眺めながら思った。パールの店主は、命の危険がない引退の方法としては、ベストに近い。
 引退を考える年になってきたのは、こっちも同じだ。
       
      
― 現在 ―
   
 この業界から足を洗うのは難しい。立石は、イヤホンから聞こえてくる会話に集中した。ぺらぺらと話す矢崎は、口調こそ荒っぽくなったが、本質はホームレスを殺すときに手を切った頃から変わっていない。常に何かが後ろで待ち構えているようにせっかちで、四六時中時間を競っているようにさえ見える。その臆病さが五十代までの命を約束したのだろう。
『長岡と連絡が取れない』
作品名:Props 作家名:オオサカタロウ