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火曜日の幻想譚 Ⅴ

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509.輪ゴム



 その女は輪ゴムを一つだけ、左腕に巻いていた。

 極度のあがり症だった彼女は、緊張を克服する方法として、輪ゴムをパチンと弾いて腕に当てると、緊張がほぐれるということを知っていたのだ。それ故、女は高校を受験する際、常に左手に巻いていた輪ゴムをパチンパチンと、おまじないのように手首に打ち付けていた。
 もちろん、それで全てがうまく行ったわけではない。数学でケアレスミスをやらかしたし、社会も普段より出来がいいとは言えなかった。でも、目標校に合格するという目的は達成できたし、リラックスして受験に立ち向かえたことは事実だった。女はこの方法に満足し、どんなときでも常に左腕に輪ゴムを巻いて、パチンパチンと左腕に痛みを加えるようになった。

 その3年後の大学受験の時も同様だった。憧れの異性に告白する時も輪ゴムは役立った。入社時の面接でも、入社後の社内プレゼンでも、輪ゴムは常に彼女の左手首に痛みを加えては激励し、勇気を与え続けた。

 女の齢が30を過ぎた頃、付き合っていた男性からプロポーズを受けた。承諾はしたものの、あまりにもプロポーズが唐突だったので、輪ゴムの出番はなかった。しかしそれでも輪ゴムは何も言わず、プロポーズに感激して涙を流す女の左腕に巻き付いていた。
 結婚生活に入ってからも、輪ゴムの出番は訪れなかった。仕事はもう慣れてしまったし、家庭でも特に緊張することはなかったから。子どもがいれば状況は変わったかもしれないが、女と夫の間には子どもは産まれなかった。どうしても産みたかったわけでもなく、どうしても産みたくなかったわけでもない。ただ、成り行き任せにしていたら産まれなかっただけ。でも、夫婦ともにそれでいいと考えていたようだった。

 それからさらに時がたち、女とその夫は老境に入った。会社を退職し、趣味と実益を兼ねてボランティアに精を出し始める。とはいっても、既にやり慣れていることだ、ここでも輪ゴムに出番はやって来ない。

 やがて、夫が病の床に伏せるようになった。女より数歳年上とはいえ、まだ旅立つには早すぎる。女はボランティアを辞し、夫の世話をするようになったが、効なく先立ってしまった。

 取り残された女は財産を整理し、ある老人ホームに身を寄せた。そこで病を得た女は、認知機能がすっかり衰えてしまう。日常生活すら困難になってしまった女だったが、何の偶然か、介護士が食事介護をする際、女の左手に巻かれていた輪ゴムを引っ掛けてしまった。パチンと手首に痛みが加わる。その瞬間、彼女は意識をはっきりと取り戻し、急にかくしゃくとしだしたのだった。

 輪ゴムの効果は抜群だった。輪ゴムを手首に打ち付けさえすれば、女は食事もトイレも一人で行うことができた。老人ホーム内で手首にゴムを打ち付けることは虐待に当たるのかどうか議論されたが、認知機能が向上している以上、虐待と言い張ることは難しく、例外的に認められたようだ。

 こんなふうに、女の人生に寄り添い続けた輪ゴムは、女が亡くなった際にともに焼かれ、溶けてなくなってしまった。しかし、次に産まれた子の左腕に輪ゴムが巻かれていたら、それは女の生まれ変わりかもしれない。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅴ 作家名:六色塔