火曜日の幻想譚 Ⅴ
521.大人になった瞬間
“大人の階段を登ったなっていう瞬間は、どんなときでしたか?”
うーん。やっぱり、あのときだろうなぁ。
小さい頃、小学生2年ぐらいだったかな。深夜、トイレに行きたくなって目が覚めたんだ。で、トイレで用を足して戻るとき、居間の明かりがついていることに気がついたんだよ。そのとき俺はさ、父さんと母さんが、テレビでも見てると思ったんだ。それで、そーっとふすまをあけて、中をのぞき込んだのさ。
そうしたら、居間には両親ともう一人、ひげもじゃの男がいた。
ひげ男は居間中央のテーブルの一角にどっかりとあぐらをかいて、ふんぞりかえっている。父さんと母さんは、彼の左右に座り込んで、両手をついて頭を下げていた。
「どうか……、どうか、これで、今年もよろしくお願いいたします」
父さんはそう言って男に封筒を渡し、額を畳に擦りつけた。
「…………」
男は黙って封筒を手に取り、中身を改めた後、突然大声で怒鳴った。
「悪いが、こんな額じゃあ引き受けらんねえな」
両親はその声に震え、身をすくめる。
「で、でも、それじゃ約束とちg……」
「…………」
父さんの反論は、男の眼力と無言の圧力によって遮られた。
しばしの沈黙。再び口を開いたのは、男だった。
「奥さん」
「は、はい」
母さんはビクリと体を震わせ、顔を上げる。
「……奥さんもまだまだ女盛りだろう? なあ」
男はゆっくりと立ち上がり、母さんに近づく。その顔は、なんというか、汚い欲望にまみれている。
「や、やめてください、いくらなんでもあんまりです! あ、あなたっ!」
母さんはおびえて、父さんに助けを求める。
「奥さん、いいのかい。今年、息子さんのプレゼントがなしになってもよぉ」
「…………」
だが、父さんは無言で微動だにしない。手をついて、畳を見つめたまま。
「あなたぁ……」
「許せ。これも、裕二にプレゼントをあげてもらうためだ」
父さんは畳の上で、怒りに震える手をきつく握りしめた。
“なるほど。その光景を見て、大人になったと”
ああ、うちは貧乏だったし、あの光景で社会の厳しさっていうのをよく理解したよ。でも……。
“でも?”
あのとき、俺もひげもじゃで赤白の服を着てガキにプレゼントをやる仕事をしたいなって、思ったのも事実なんだ。