火曜日の幻想譚 Ⅴ
545.犯罪者の理論
近所の家が火事になった。
夕食時に出た火はみるみるうちに燃え広がり、ぐれんの炎と化して、あっという間にその家を包み込んだ。
通りがかった俺は、通勤カバン片手にその炎をながめる。
やじ馬が周囲を覆い尽くした頃、ようやく到着した消防車が消火活動を始めた。燃え盛る炎を消し止めようとする水は、間近で見るとすごい勢いなのに、肝心の火元ではチョロチョロと情けなく見える。
話を聞いてみると、どうやら放火らしいとのことだった。時間は夕食時だったが、その家では夕食に出前を取ろうとしていたので、火を用いる予定はなかったそうだ。そのおかげもあってか発見も早く、家族全員が素早く避難できたので、死傷者はいないということだった。
それを聞いてから俺は家に帰り、部屋着に着替えて晩飯を食べた。その後、しばらくテレビを見てぼんやりと過ごしていたが、10時ちょうどに立ち上がる。部屋着のまま、念のため傘を持って家を飛び出し、目的地である火事になった現場へと早足で歩いていった。
火は既に消えていた。しかし、家屋は崩れ落ち、まだ焼け焦げた匂いを放っている。その前を通り過ぎようとすると、二人の男がいた。俺がそいつらとすれ違った瞬間、声が聞こえた。
「犯人は現場に戻る、とはよく言ったもんだな」
思わず駆け出そうとした。だが、警官にすかさず取り押さえられる。
「今日、出先から早めに直帰したのは、もう調べがついてるよ。いつもより30分ほど早く帰ってきて火をつけ、普段どおりの帰宅時間を装ったね?」
「…………」
「おかげで、こちらから出向く手間が省けたよ。でも、犯罪者ってのは、なんであの言葉通り、律義に現場に戻ってきちゃうんだろうね? 高飛びでもすりゃよかったものを。やっぱり犯罪をするようなやつは、おばかさんなのかな」
挑発してくる刑事に、俺は小声で言い返す。
「これだから、犯罪者の心理が分かってねえやつは駄目なんだ」
「ほう、じゃあ、現場に戻ってくる犯罪者の心理、とやらをお聞かせ願おうか」
警官に取り押さえられながら、俺は、声を張り上げる。刑事のほうは見向きもせず、ただ、天上の星空に向かって。
「いいか。犯罪者にとって、犯行現場ってのは生まれた場所なのさ。俺、という一犯罪者のな」
夜中に、ただただ俺の絶叫がこだまする。
「犯罪者の生まれた場所、ということはその場所は、母親の胎内に他ならねえってことだ」
「……ほほう」
興味深そうな相槌を打つ刑事をよそに、俺は声を上げ続ける。
「犯罪者は何を得たい? 何がほしい? 安心、安全だろう? 自分の罪が問われない絶対的に守られている場所。そこに行きたい、そこに居たいんだよ」
「…………」
「そんな場所、母親の胎内以外にないだろう。何をしても許されて、絶対に罰せられない地。そこに戻りたいと願うのは、至極当然なことじゃねえのか?」
そのとき、聞くことに集中し過ぎていたのか、警官の腕が緩んでいた。俺はその腕をさっと振りほどき、叫んだままで走り出す。
「一度目の犯罪じゃなくたって考え方は同じだ。新たに犯罪をするたびに、そこが、その場が母親の胎内になる。こんな犯罪理論のいろはも分かっていねえようじゃ、本物の猟奇殺人犯相手にゃ、手も足も出ねえだろうなっ」
言い終えた俺は、ぱっと持っていた傘を開く。次の瞬間、俺の体はふわりと宙に舞い、はるかかなたへと浮かんだ。
「せっかく現場に戻ってきたやつを捕まえられない刑事ってやつも、とんだおばかさんだ!」