火曜日の幻想譚 Ⅴ
546.サーブをする女
深夜。男はいくつかのスナック菓子や飲み物を購入し、帰り道を急いでいた。
寒い道を歩き続ける。さあ、そろそろ家だ。だがその矢先、奇妙な物音が聞こえることに気付いた。
「うぉりゃー!」
パァン!
「どりゃぁっー!!」
バシィィン!
「クソがぁー!!!」
スパァァァン!
何だ何だ。男はあわてて周囲をキョロキョロと見回す。すると、近くの公園にその原因はいた。
物音の主は、スーツ姿で靴を脱いで砂場に立っていた。髪を後ろに一つに結んでメガネをかけている、そんないかにもOLといったいでたちの若い女性。彼女は両手で持ったボールを上空に放り投げると、やや遅れて自らも飛び上がり、ものすごいおたけびとともに、落下してくるボールに平手打ちをくわえている。長時間やっているのか、彼女は肩で息をついているようだ。しかし、それでもやめることはせず、自動販売機で買ったと思われるペットボトルの水に時折口につけ、小休憩をはさみながらこの行為━━バレーボールのジャンプサーブを続けているのだ。
男は、少し遠目に彼女を見ながら思う。スーツ姿ということは、会社の帰りだろう。きっと会社で嫌なことがあったに違いない。仕事でしくじったとか、上司に怒られたとか、パワハラ、セクハラとか。そのつらさや悲しみを紛らわすため、学生時代、青春をささげたバレーボールという形でストレスを発散しているのだろう。
男は寒さも忘れ、しばらく彼女のサーブをながめていた。バックスイング、そしてそこから上手にテイクバックに移行し、直後に圧倒的なエネルギーをボールにたたき込む。たたかれたボールは弾丸のようなスピードで壁にぶち当たり、しばらく転がった後、力なく動きを止めるのだ。
このうまさ、プロじゃないだろうか、そう思ってしまうほど圧巻の動き。しかし、男は同時に、彼女の別の部分にも目を光らせていた。躍動感の中、彼女のブラウスやスカートを押し上げ揺れる体の膨らみ。健康的に引き締まったウエストやストッキング越しの肉感的な脚。男の性か、深夜という時間帯がそうさせたのか、彼女を性の欲望という名の色眼鏡でいつの間にか見つめていたのだ。
男はゆっくりと彼女に近づいていく。それに気付かずサーブをうち続ける彼女。やがて、会話ができる距離まで近づいた男は、優しく声を発した。
「お姉さん、疲れたでしょう。俺んちでちょっと休んでかない?」
声に気付いた彼女はくるりと振り向き、じりじりと男に近付く。1メートル、50センチ、20センチ……。初対面にしてはちょっと近すぎるんじゃないかと思うほど接した彼女は、至近距離でメガネをそっと外し、にこりと笑った。
……と思ったその瞬間、彼女の口はあくびをしたように、いや、もっと大きく耳の付近まで開き、そこから数え切れないほどのバレーボールが延々と吐き出された。それは何かの粘液にまみれているのか、目の前にいた男の体にべとべととまとわりついて離れようとしない。男はすっかりバレーボールまみれになり、面食らって思わずうずくまってしまった。
「ジャキン! ジュルルルルッ」
突如として、まとわりついていたボールから無数のトゲが飛び出し、男の周りをぐるぐると回りだす。まとわりついたボールが一瞬にしてウニのようになってしまい、さらにそれが回転を始めたので、男は瞬く間に肉塊と化し、傍らには商品の入ったレジ袋だけがぽつんと残された。
「最近は妖怪も居場所がなくてイライラするのう。でも、ストレスを発散しながら人間が食えるのはありがたい限りじゃ」
男の血肉をすすりながら、女はもう少しサーブをやってから帰ろうと思った。