火曜日の幻想譚 Ⅴ
555.老夫婦
その家に住んでいた老夫婦は、とても穏やかで優しかった。
朝早くから二人で家の前を掃き掃除し、昼は庭の手入れをする。夜は10時には電気が消えていて、とても規則正しい生活を営んでいるようだった。
私はこの人の良さそうな老夫婦と何らかの関わりを持ちたかったのだが、仕事で忙しかったこともあって、せいぜい顔を合わせたときにあいさつをするぐらいの関係にとどまっていた。だが、ご近所さんと親しげに話をしている風景を仕事の行き帰りにたまに見掛けたので、周囲の評判も決して悪いものではなかったようだ。
そんなふうに仲良く暮らしていた老夫婦だったが、ある日突然、彼らは姿を消していた。気付いたら、その家はいつの間にか無人になっていて、玄関の前には黄色いテープが貼り巡らされていた。もしかしたら、近所にお別れのあいさつなどがあったのかもしれない。でも、もともと大して面識もなく、仕事で日中は留守にしていて、休日は訪問チャイムに気付かず寝ているだけの私には、そんなあいさつにあずかれるはずなどなかった。
そんなふうに老夫婦が立ち去ってから、1年ほどの歳月がたった。
無人の家屋の前にトラックが止められ、彼らのだった家は解体され始める。あっという間に建物は消え去り、代わりにその大地には、真っ白できれいな家が建てられた。
当然、その家には新たな家族がやってくる。小さいお子さんを連れた夫婦。私と、恐らくご近所さんも、あの老夫婦のような温かい人物を期待した。あの二人のような、近所にいるだけで気持ちが良くなるような家族であってほしい。僕らはそんなふうに願っていた。
だが、そんなにうまくことは運ばなかった。新しく来た家族の旦那さんは、仕事が忙しいらしく、早朝から車のエンジン音を激しく立てて出勤し、深夜に再びエンジン音を響かせて帰ってくる。奥さんは子供の教育に相当こだわりがあるらしく、日中、まだ幼いお子さんを強く詰る声が聞こえてくる。お子さんはそれに対して泣きわめいて反抗の意を示す。近所に住む身としてはたまったものではない。
だが、それも致し方のないことなのだろう。ご近所さんは、都合よくとっかえひっかえできないものだ。どうしてもというなら、こちらがお金を出してここを出ていくしかない。
それにしても、あの老夫婦はどうしているのだろうか。単に住まいを変えただけなのか、どこかの老人ホームのような場所で二人で暮らしているのか、いずれにしても悪い想像はしたくない。
せっかくの休日に、早朝、休日出勤していく旦那さんのエンジン音で起こされ、日中は母子の金切り声に苛まれながら、私はあの老夫婦が今現在、幸せであることを祈った。