火曜日の幻想譚 Ⅴ
556.腹話術
僕は、小さいころから自分の考えが言えなかった。
何でも他人のいう通り。親だったり、先生だったり、ガキ大将だったり、とにかくみんなの望むようにやってきた。おかげでいい思いをしたこともあったし、当然、いやな思いもした。でも、この他人に流されてしまう性格を、どうにかしたいと常々思っていたんだ。
あるとき、ぼくは見せ物小屋で、腹話術をしている人を見かけた。人形は面白い声で突拍子もない事を延々しゃべっている。僕はそれを見て、これしかないと思った。
僕は人形を購入して、猛練習をする。口を開かずに声を出すことに全精力を費やしたんだ。おかげで数カ月もしないうちにプロ顔負けの実力がついた。これなら人前でやっても支障がない。そこまでの域に達した僕は、その人形に本音をしゃべってもらうことに決めたんだ。
まずは母だった。お手伝いをしなさいとやかましく言ってくるので、僕は人形の口をパクパクさせながら、変な声音で言ってやった。
「そんなつまんないこと、やってられないよ」
母は僕が初めてお手伝いを拒否したので面食らったようだった。そして、その日からお手伝いをしろとは言わなくなった。
これを皮切りに、僕は今まで言えなかったことをみんなにぶつけていった。テストの結果を叱る先生にも、つまらないギャグに対して笑いを強要するガキ大将にも、大してすごくもないことを自慢するいやみなやつにも、どんどんいろんなことが言えるようになった。
当然、みんなは反論してくる。けれど、そんなものはどうでも良かった。言われているのは人形だ。僕じゃない。僕は真っ赤な顔で反論してくる彼らを涼しい顔で受け流し、相変わらずおかしな声でピーチクパーチクとさえずり続けた。
そうやって生きてきて、老境に入った今。僕の周囲には誰もいなくなり、人形しか残っていないことに気が付いた。人形は、相変わらず奇妙な声でくだらないことをつぶやいている。その声を聞きながら、しみじみと考え込んでしまう。
『これって、本当に僕が言いたかったことなのかな?』